第17話:勇者隊見参

 ダンっ、と赤黒い大地を蹴り、エリカが飛び出した。

 彼女は異形——魔王軍兵士の一体にすぐさま切りかかった。

 相変わらずの、いや、日々その太刀筋を鋭くさせているエリカの剣。

 しかし、魔王軍兵士は体表をうねる触手のようなものを僅かに波打たせると、その形を変え、刃先を逸らした。

 無傷とはいかないが、致命傷には程遠い一撃。

 オレが見てきた限り、彼女が一撃で倒せない相手は未だいなかった。

 Bランク上位のストームベアですら、だ。

 今の彼女は、その時点より遥かに強い。

 その彼女が振るう剣が、容易く屠ることの叶わない相手。

 やべえ……。

 

 「はぁっ!!」


 しかしエリカは、そんなことに動揺すら見せず、流れるように攻撃を続けた。

 自らの回復具合を確認するかの如く、一手一手全力で。

 次第に、魔王軍兵士を凌駕していく。

 敵の反応の、その先へと的確な斬撃を叩きこむ。

 敵の伸ばす無数の触腕は赤い魔力渦を貫くも、彼女の身体に触れることはできず。 次第に、触腕が次々に削られ、不快な色の体液が飛び散る。

 傷が増えるたび、苦悶とも受け取れる音が漏れる。

 聞き続けたら、オレの気が狂いそうだ。

 その身体を支えている脚のような物が断ち切られ、バランスを崩した。

 エリカの身体を覆う赤い魔力渦から、赤い光が伸び、敵の身体を捕縛。

 逃れようと藻掻くも、その一瞬の隙を逃さず、踏み込み下段より斬り上げた。

 両断された魔王軍兵士は不快な絶叫と粘液を撒き散らしながら崩れ落ちた。

 そこまで、僅か数十秒。


 「まずはっ、ひとぉぉぉつっ!!次ぃっ!!!」


 エリカは、笑みを浮かべたまま叫んだ。

 彼女の頬を伝う汗は、この場の熱のせいだけじゃないはずだ。

 無傷の勝利とはいえ、全力をもってようやく打ち倒せる相手。

 勇者もぱねえが、敵もぱねえ。

 

「魔王様自ら出てこずに、雑魚だけ寄越すんなんて…あたしも舐められたものね」


 さっき倒した魔王軍兵士を、便宜上異形Aとしとこうか。

 魔王軍兵士Aじゃ長ぇしな!

 で、オレがエリカと異形Aのたった数十秒の死闘に見惚れている間、他の魔王軍兵士ども——異形B以下沢山はオレ同様黙って見ていたかというとそんなことはなく。

 当然、エリカに向けて様々な手段で攻撃を仕掛けていた。

 触手、体当たり、素手(?)、剣、鈍器、粘液、炎、エトセトラエトセトラ。

 その全てを、彼女は軽々と身を翻し、または剣でいなし、拳で弾く。

 それでもなお、異形Aへの一点攻撃に迷いがない集中力たるや。

 やっぱ……勇者ぱねえ。


 一方、オレもただ呆気に取られているわけではなく、異形に向けて矢を放った。

 しかし、矢は異形に突き刺さり、オレの存在に気付きこちらに振り向いた。

 その異形——異形Zは、何故か胴体らしきところにある大きな口をにやりと開け、乱杭歯と長い三つに割れた舌を、ちろちろと見せつけてきた。

 ……うっわぁ、きめえ。

 途端、異形Zの姿が視界から消えたと思った瞬間、オレの身体に衝撃が走り吹き飛ばされていた。

 どしゃっ……ごろごろごろっ、べちゃ。


「いってえぇぇぇぇぇぇぇぇっ……くねえ??」


 激しく全身を打ち付けたのは分かるのだが、どこにも痛みを感じねえ。


「これも、勇者の……力ってやつか」


 オレの周囲を漂う赤い光は、それを肯定するかのように優しく光っていた。

 これならオレも……。

 いや、全然相手にならねえじゃねえか。

 それに、この赤い光はエリカの魔力渦のもの。

 オレが受けるべきダメージを肩代わりしてくれてるんなら……くそ。

 下手に手を出したら、余計にエリカの負担になるんじゃねえのか?

 そんな下らない思いに囚われながらも、立ち上がろうとした瞬間、異形Zの大きく開かれた口が目の前にあった。

 気色の悪い色の粘液でてらてらとぬめった、無数の乱杭歯の奥にある、闇。

 ……ああ、こりゃ死んだわ。

 オレは赤い光の事も忘れて、一瞬で死を覚悟し、目を閉じた。


 だが、最後の時はいつまでたったも訪れない。

 オレはゆっくりと目を開けた。

 そこには、少女の笑顔があった。

 少女の見た目をした、中身25歳勇者のエリカ。


「レダ、遅れてごめん、怪我ない?」

「お、おう」


 エリカは笑った、異形のものと思われる極彩色の液体に塗れた幼い顔で。

 彼女はそれを手で拭い落とした。

 彼女の足元には、半身を無くした異形Zが事切れていた。


「なら、よかった。無理はしないでね」


 エリカはそう言うと、くるりとオレに背を向けた。

 彼女の肩口は服が大きく裂け、白い肌は抉れていた。


「おいエリカっ、それ——」

「ん、平気よ」


 エリカが纏う赤い魔力渦が僅かに強く光ると、傷から肉が盛り上がり、綺麗な肌を取り戻した。

 勇者の、驚異的な回復力は以前目にしていたも、やはり驚くほかない。

 不死身かよ、こいつ。

 だが、エリカの横顔、苦痛に歪むそれを見てしまって、否定する。

 死ななくても痛えか、当たり前っちゃあ当たり前だな 。


「……すまねえ。邪魔にしかならなくて」

「ううん、いてくれるだけで嬉しいから。できたら、勝利を信じていて」

「ああ」


 オレは頷くことしかできなかった。


 再び、異形の群れに飛び込むエリカ。

 異形Bに上段から切りかかると、横から異形Cの剛腕が薙ぎ払われた。

 彼女は、それを足場に跳び上がる。

 そこに異形の背後から、異形D蛸のような触手が襲い掛かった。

 回転しつつ触手を輪切りにし、その勢いのまま異形Bへ。

 しかし、僅かに鋭さを失った剣筋は、異形Bの腕で容易に掴まれてしまった。

 それに構わず、空いた拳に魔力渦を集め、異形Bの頭部に叩きこんだ。

 頭部が弾け飛ぶと、剣を掴む力が緩み、それを引き戻しつつ反転、異形Bの胴を真横から叩き切る。

 異形Eの腕が槍のように彼女の脚を貫くも、それを気にもせず次の標的、異形Fに剣を突き立てた。

 異形Fが怯むと、そのが出口とばかりに頭上を飛び越え、集団の外へと出る。


 そこへ襲い掛かる、新たな異形集団。

 エリカは、一瞬で治った脚を確認するまでもなく、構えた剣先に赤い魔力渦を集め、一息に大きく振り抜いた。

 新たな異形集団は、体液を撒き散らしながら吹き飛ばされたが、皆、ぞろぞろと起き上がる。

 彼女が大きく息を吸って、吐いた。

 ほんの数撃、しかしながら、その全てが全力以上。

 消耗は如何ほどか。


 エリカが再び飛び出そうとしたその瞬間、彼女の足元から無数の触手が生まれ、身体に絡みついた。

 それを力任せに引きちぎるが、生まれた隙を異形も見逃さない。

 彼女の身体を掴み上げ、地面に大きく叩きつけた。

 ぐしゃ。

 離れているにもかかわらず、嫌な音が聞こえた気がした。

 飛び散る赤い液体は、彼女の血液か。


「ああああああぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」


 エリカはすぐさま立ち上がった。

 スカートが破れ露になった脚がおかしな方向に歪んでいるのが痛々しい。

 無論、それも元に戻るのだが、それに掛かる時間が伸びているのは気のせいでないはずだ。

 彼女は異形の群れに飛び込み、剣を振るう。

 異形が切り刻まれ体液を噴き上げるのと同じように、彼女の服は切り裂かれ、傷が増えていく。

 既にエリカが纏う村娘の服は、その役割の大半を失っていた。

 晒した身体は、治る端から傷つき、抉れ、赤く染まる。

 それでも彼女は剣を振るい、戦場を駆けた。

 勇者の戦いとは、かくも美しく、そして壮絶なのか。


 勇者譚という憧れの物語に美化された真実の姿。

 傷つこうとも、決して折れることが許されないのは祝福か、呪いか。


 しかし、多勢に無勢、数の暴力により戦況は徐々に傾きつつあった。

 十全な魔力を有していれば、物の数ではなかったかもしれないが、それが叶わない以上、予期出来た事態。


「エリカ……」


 呟くも、声が届くことは決して、ない。

 エリカの元へ、思うさま駆け寄り、助け出したい衝動を我慢するしかないのか。

 無力すぎる自分が、憎い。

 オレは拳をきつく握りしめた。

 勝利を信じてくれと、言い残した彼女の思いを受け止めたはずの心が揺らぐ。

  

 エリカの左脚が千切れ跳び、バランスを崩した。

 左脚はすぐさま再生を始めるが間に合わず、膝と手を地面につく。

 異形の鎌のような腕が振り下ろされるのを、剣で受け止めた。

 しかし、押し返すことが出来ず、引き倒されてしまう。

 群がる異形。

 オレは、咄嗟に彼女に向かって飛び出した。


「エリカっ!!!」

「来ちゃ、だめ——」


 エリカの、小さな唇がその言葉を紡いだように見えた

 だが、構うものかっ!!

 その時、頭の中に声が響いた。


『——座標確認』

『——勇者支援機構発動』

『——認証します』

『——隊魔王軍阻害結界展開』

『——認証します』


「あぁん……っ??」


 オレが自らが気でも狂ったかと思った瞬間、周囲は眩い光に包まれ、止まった。

 なんのこっちゃ分からねえけど、そう言うしか出来ねえ。

 オレの意識だけが、全ての止まった空間にあった。

 とうとう死んじまったか。

『勇者、並びに要救助者1名確保。残り時間30秒』


 そう聞こえた瞬間、意識が引き戻された。

 オレは尻の痛みを感じ、周囲を見回す。

 そこには、失った片脚が再生しつつある勇者エリカが苦し気な表情で。

 そして、見知らぬ4名の女性が立っていた。


「……やあ……間に合ったみたい、ね」

「ご無沙汰しております。勇者エリカ様。早速ですが、これを」


 息も絶え絶えに、それでいて苦々し気に言うエリカ。

 それに対し金髪美女は飄々と答え、彼女に琥珀色の液体の入った小瓶を差し出す。


「……これ、不味いから……嫌いなのよね」

「好き嫌いは良くありませんわ」

「言うね。飲んだこと……ないくせに」

「勇者様専用ですので」

「……分かってるわよぉ、いじわるよね王女様」

「さあ、時間がありませんわ。お早く」


 勇者隊には王女もいるとか、確か西方のレイフール王国……だっけ?

 流石王族、どえらい美人だな。

 それを取り囲む3人も趣は異なるが相当な美女。

 少女と言ってもよさそうなのもいるが、あれが枢機卿の娘だろうか。


「レダ……そういうのがいいの?」

「うるせえ、ホンモンの美人には見とれるのが礼儀だろ。

いいんだよ、お前は可愛いんだからよ、気にすんな」

「ふん」


 そっぽを向きながら小瓶の液体を一息で飲み下す。

 小さな喉が、こくりと動いた。


「まっず……」

「時間です。我々は待機しますが?」

「ん。余裕」


 エリカは立ち上がった。

 脚はいつの間にかすっかり再生を果たし、大小の傷は全て塞がって瑞々しい肌を取り戻している。

 発育不良気味なのは相変わらずだが、生気に満ち溢れて、光を放っているようだ。


「50%かな?」

「もう1本いっておきますか?」


王女様——レイフール王国第4王女グレイティア・エル・レイフールは微笑んだ。


「要らない、吐くわよ。行ってくる」

 そう言うと、エリカの姿が、光になった。


『時間停止機能のみ解除。その他機能は正常に継続』


 頭にまた、声が響いた。

 

 光の尾を引く何かが、異形に向かって伸び、泳ぎ、遊ぶ。

 光の通り過ぎたあとには、異形が次々に塵となり、光と共に消えていった。

 圧倒的な、殺戮とも言えないごくごく一方的な、蹂躙。

 異形の——魔王軍は、回復率50%(自己申告)の勇者エリカの前に、成す術なく消え去った。

 魔王軍が消滅すると、ゲートと呼ばれた穴も、跡形もなく消滅。

 雲一つない秋晴れに戻っていた。


「なんじゃこりゃ……?」


 先ほどまでの苦境は何だったのかと、間抜けな声が出た。


「これこそが勇者エリカ様。あなた、良いものが見れましたわね。

勇者様に助けられたこと、子々孫々誇れますわ。

そうそう、先ほど飲まれたのはエリクサー。聖秘薬とも謂れているものですわ」

 

 勇者譚にたびたび登場するお助けアイテムの定番か。

 そうかー不味いのかーやだなー。

 勇者の活躍をぼうっと見つめながら、そんなことぐらいしか思いつかなかった。



++++++++++

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る