第33話 食欲の秋とステージの上で


ステージ脇から伺う会場の様子


ザワザワとした空気と心


前列の客と目が合いサッと身を奥に潜める


この日のためにやるべきことは全てやった


脳内で再生される演奏後の歓声と


彼女が笑顔で自分に駆け寄る姿


完璧なるイメージでステージに臨む







暗転の中、ムーシャルのキャビネットの前に移動して深呼吸したハナは、どんぶりに入れたピックを丸ごと音楽室に忘れたことに気づいた。


今手に握り締めている一枚しかピックがない。


ハナは気持ちを作り上げていたつもりが、どんどん気弱になっていく。




ハナはライブ前だけはいつもあの曲をキメることができなかった。なぜなら、ライブのセットリストをやり込むせいで、脳内のプレイリストから一時的に除外されてしまうからだ。


ライブのたびに、その曲を演奏するわけにもいかない。


自分の切り札が一枚しかない時だってある。


いるかいないかわからない、彼女に向けて出来る限りの精一杯の演奏をする。


ドーピングしなくたって、キメれる男にならなくては……。




タナカサチコ!


俺の勇姿を見ていてくれ!





少し出遅れたリコは、焦って盛大にステージですっ転ぶ。


パクが駆け寄り落としたスティックを拾う。



ハナは、そんなことは気にもせず


目をつぶり天を仰ぎ、魂のギターをかき鳴らす……!!




ハナのギター、特徴的な音色とフレーズは一度聴いたら耳から離れない。


パクのベースがユニゾンし、繰り返されるリフに会場の熱量も上がっていく。


この日のために筋トレしてバッキバキに腹筋を割ったリコのパワフルなビートが全体をまとめ上げ一気に力強く会場を揺らす。




ギターの速弾きや背面弾きも見事ノーミスで成功し、このまま、大成功で演奏が終わるかと思った矢先、


リコはハナのズボンがずり下がり、ハート柄のパンツが見えてしまっていることに気づいてしまった。


おそらく正面からは見えていないであろう下り具合で、ハナは見事に前からギターで抑えてズボンが落ちるのを阻止しながら演奏をしていた。


リコは笑うのを必死で堪えながら演奏している。


もちろん、リズムはよれ始める。



いつもならアイコンタクトを取る位置なのに、下にうつむき肩を震わせながら目を合わさないリコに


パクはハナの緊急事態に気づく。



そして、ステージ脇では、校内に貼られていたフライヤーをパンパンに詰め込んだゴミ袋を手にした


マリが異変に気づき、ハナのパンツを確認する。




マリ「……あの人!すぐ脱ぎたがるんだから!!」


演奏の中、マリの声に気づいたユリはステージでハナのパンツを確認する。


演奏も終盤だったため、なんとか事なきを得て、ハナはギターでうまく隠れていた脱げかけのズボンを押さえながらカニ歩きではけてゆく。




ステージが終わり、転換の機材セッティングを一年生のハイネとクルルが手伝う。


フライヤーの件で、マリは、キッ!っと、ハイネとクルルをにらむ。



すれ違いざまに、マリのゴミ袋に気づいたパクは


″預かろうか?″という表情をして手を出す。


マリは″お願いします♡″という表情で袋を渡し、機嫌を取り戻し、次の自分のステージに備え気持ちを作り始める。


次のステージはユリとマリがボーカルのバンドだった。


SEが流れ始める。




マリ「ブツブツ……(デールさんと、親だってみにきてるのに……。フライヤーの件だけじゃなくて部長のズボンが脱げてたら……もう……。


あれ?でもあのパンツ、たしかジェラートシンクか、シークジョンの新作ペアアンダーウェアじゃ……えっ……あの2人、そんな下着を付け合う仲なの?あぁ……ダメ……集中、集中!)」


ユリは、只事ならぬマリの小さな独り言に、興味を持っていかれ、全くパフォーマンスに集中できる気がしていなかった。


ステージ脇で1人こっそりズボンを直したつもりのハナは、すれ違いざまに目があったマリに力強く頷き


″がんばれ″とエールを送った。


マリは、汗で髪が濡れ、頬を赤くし火照った顔でやり切った表情のハナを、


ズボンの件さえなければ、ことのほかセクシーでそれだけだったらドキドキしたかもしれないのに、とポツリと


マリ「困った人。」


と呟いた。


マリはハート柄のパンツとサチコを脳内から消そうと必死に気持ちを作り上げていった。


ユリはマリの独り言と、ハナがマリにだけ頷いていったことに、


マリはデールさんだけじゃなかったのかと、盛大に恋愛事情の誤解をし、さらに今後の只事ならぬ修羅場の予感を感じ取っていた。



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