第22話 花咲く春の切ない香り


『キンコーンカンコーン♪』



2時間目の授業が始まる。



リコ「あぁ……お腹すいた……。チップさん今カレー作ってるな……。」


机に突っ伏してリコが独り言を呟く。


マリ「え?なんでわかるの?」


リコ「ん?だってほら、スパイスと玉ねぎ炒めるような香りしない?」


マリ「そう?窓閉まってるのに……くんくん……うーんわからないなぁ。」



人が集まるところは、いろんな人の匂いと、いろんな感情の匂いが混ざり合ってカレーのような香りになる。


もちろん、カレーとは全然違う匂いだけど野菜や果物に似ている香りの人もいたりするから、近かったりするのかもしれない。


ちなみにマリちゃんは気分がいいとマスカットみたいな爽やかな甘い香りがする。


その人の顔の特徴や声の特徴と同じく、その人の匂いの特徴がある。


そして人は感情が匂いに出やすい。

本人が気づかないレベルの感情の変化が匂いに出る。



あの有名な大予言で、世間が未確認飛行物体だとか、超能力のブームになってすぐ


大量の流れ星が降り注いで、世界のいろんな場所から隕石のかけらが発見されたりした。


その頃に私は突然、鼻が異常に効くようになってしまった。


最初は頭痛や吐き気と戦って、かなり色んなことに神経質になっていたけれど、


今では鼻から匂いを嗅いでも制御したり匂いを分析したりすることが大分できるようになった。



自分の体の変化を受け入れるまでにはかなり時間がかかって


あのままの私だったら、今こんな穏やかに生活できていなかったと思っている……。その時そばにいてくれた幼馴染に感謝してもしきれない。


親には、言ってもわかってもらえなくて、病院に行っても思春期に良くあることだとか、精神科を勧められたりして、原因もハッキリしなかったため、私は鼻のことを隠すようになった。


リコは、ちっぷ亭から風に乗って流れてくる香りで、カレーの調理工程を想像しながら、


連絡が取れなくなっている幼馴染のことを思い出していた。






水道のハンドルにティッシュをかけ、水を出す。


手を洗う。念入りに。


誰かが触った石鹸なんてもっと触りたくない。


脇に抱えていたタオルでゴシゴシと手を拭く。


背中越しから幼馴染が話しかける。


幼馴染「そんなに汚いもん触ったの?」


リコ「別に……。」


自分の手の匂いが気になって水で洗い流す以外の方法が思いつかなかったとはとても言えない。


幼馴染「そのマスクも中学入ってからずっとしてるけど……体調悪いの?」


リコ「大丈夫……。」


幼馴染「リコ……何かあった?」



顔半分を不織布の大きなマスクで隠したリコは鏡を見ながらマスクを外す。


いいかげん慣れないと。




リコ「ほら、こんなにニキビができちゃって……。恥ずかしいから隠してるんだ。」



精一杯の作り笑顔で幼馴染に笑ってみせる。


しかし、幼馴染の表情は不安そうだ。


なんとか誤魔化さないと……。



幼馴染「最近ちょっとおかしい感じするよ?なんか、ちょっと神経質になってる?」


リコ「あ……ほら、私……新年早々、年賀状でフラれたでしょ?あれからあんまり寝れてなかったからかな〜……?」


幼馴染「だから言ったのに……。」


リコ「え?そうだったっけ?」


幼馴染「何回も言ってるのに、毎回おんなじような男ばっかりで……。」


リコ「……何もいえません……。」


幼馴染「そういえば、前に言ってた本、持ってきたから。これ読んで少しは男心を勉強しなさい。」


リコ「ジョージエーリオット!」



そう、それがきっかけで幼馴染に教えてもらったジョージエーリオットにハマって小説を読むようになったんだっけ……。


いつも寝落ちするまで毎晩……読んで……いた……。




リコはサクラ先生の英語を聞きながら、ウトウトとしはじめた。


リコの前の席に座るユリが、後ろを振り返りサッとメモを渡す。




″ あーる と名乗った男性は、雪の中に倒れ込み、幸せそうに星空を見上げて笑っていた。4人の女性はあーるを家のなかに連れて行き、暖炉の前に座らせた。  ″


リコ「?」


サクラ「じゃあ、今のところ、リコさん訳して。」


リコ「!!…… あ……あーる と名乗った男性は、雪の中に倒れ込み、幸せそうに星空を見上げて笑っていた……」





授業が終わり音楽室へ移動する3人。



リコ「そういえばユリちゃん、さっきめちゃくちゃ助かったよ〜!ありがとう!」


ユリ「あの話、教科書に乗ってていい内容じゃない気がするんだけどね……。」


リコ「そうなの?」


マリ「リコちゃん、そろそろ真剣に勉強しないとついていけなくなっちゃうよ?」


リコ「はい……。」


ユリ「次から1翻訳につきアイス1本いただくことにするね。」


リコ「えーーー、じゃあ、箱アイス買っておく!」


マリ「部室の冷凍庫に入れとけばいいね!私も古文1翻訳につき1アイスもらうわ!」


ユリ「すぐ冷凍庫パンパンになりそう!」


リコ「さっきまでチップさんのカレーの口だったけどアイス食べたくなってきた……。」


ユリ「そうそう、うちに来たアンちゃん、そろそろ、ちっぷ亭に返したほうがいいんじゃないかなって思ってて。」


マリ「結局、飼い主さん見つかってないよね。」


ユリ「今日授業半日だし、アンちゃん、ウズラじいに連れてきてもらうから、アンちゃんとみんなでランチ行かない?」


リコ「行こ行こ!それでデザートはアイス食べよ!」




リコたちが音楽室に到着するとマリは二人の様子を伺いながら、そして、周りの生徒に聞こえないように、こっそり喋りかけた。


マリ「あのさ……うちの軽音部って、いつも朝練ないじゃない?」


ユリ「うん。みんな家帰っても、深夜までオンラインで練習したりしてるもんね。」


マリ「毎朝、ハナ部長……音楽室でピアノ弾いてるみたいなんだよね……。」


リコ「そうなの?ハナ部長のピアノなんて聴いたことないけど、弾けるんだ!」


ユリ「いつもギター持ってるイメージしかないよね。MCもギターでするし。」


マリ「この前、ハナ部長が音楽室に入った後に、軽音部の人じゃない女の先輩が入っていったの。


私、知らない軽音部の先輩なのかなと思って、ちょっと気になって音楽室入ろうと思ったら鍵しまってて入れなくて……。」


リコ「えっ?!鍵?なんで……?」


マリ「ピアノの音と、二人が何か言い争ったり、急に静かになったり……。内容は分からなかったんだけど……すごい気になってて……。」


ユリ「早速、明日確認だね。」


リコ「ちっぷ亭で詳しく作戦立てよ!」


マリ「うん、2人がついてきてくれたら、ハナ部長に何してるのか聞けるかも……。」


リコはマリの香りが、かなりの緊張と、動揺していることを感じ取っていた。


マリちゃん……ハナ部長のこと好きなのかな……?




半日授業が終わった3人はちっぷ亭へ移動する。



『カランカラン♪』


チップ「いらっしゃい。」


ユリ「3人です。」


チップ「カウンターでもいいか?」


ユリ「はい」


チップ「ユリ、髪伸びたなー。結んでみたら?スイープチコみたいで似合いそう。」


ユリ「そうですか?」


マリ「スイープチコって馬の名前じゃ……」


ユリ「えっ、馬ですか?私?」


チップ「可愛いんだぞー?この前のレースでも1番人気!」


ユリ「えー……なんか複雑。」




『カランカラン♪』



リコ「アンちゃん来たー♡」

 


リコは、ウズラじいが持ってきたペットキャリーから、アンをそっと出し、抱っこする。



ウズラじい「久しぶりじゃの。日替わり、大盛りで。」


チップ「ユリちゃんたちカウンターなんですけど、どうします?」


ウズラじい「モジモジ……サクラ先生は……今日はいらっしゃるのかな?」


被っていたハットを取り、お洒落スーツの首元から覗くアスコットタイの膨らみを触りながらウズラじいは頬を染めている。


チップ「今下でちょうど飯食ってると思います。」


ウズラじい「じゃあワシは下のソファー席行ってもいいかの?」


チップ「できたら運んでいくんで、どうぞ。」



小さくスキップしながら階段を降りていくウズラじい。



ユリ「チップさん、アンちゃんの飼い主さんまだ連絡ないですか?」


チップ「張り紙も結構したんだけどなー。ブロリー、日替わり大盛り!できたら下で!生中も一緒に持ってって。」


ブロリー「はい!大盛りと……生中って……あのさっきのおじいさんですよね?」


チップ「おう、いいから持ってけ!サクラさんもう飲んでるからな……。」


ブロリー「はっ…はい!」


マリ「リコちゃん、私もアンちゃん抱っこさせてー♡」


リコ「はい、どうぞ〜。」


マリ「可愛いね〜♡アンちゃんのママはどこにいるのかな〜?」


アン「にゃーん」


ユリ(アンちゃん……飼い主探すつもり無さそうだな……。)



『カランカラン♪』



マリ「!!」


あらためて開いた入り口には、明るい日の光を背に、ボタンを胸元まで開けたデールが立っていた。


デール「あ、可愛い。」


デールが小さな声でボソッと呟く。


マリは初めてデールを至近距離で見つめ、

人生で初めてこの景色を目に焼き付けたいと思った。

逆光の中でこちらを見ているギリシャの彫刻のような彼とマリはしばらく見つめあっていた。


デール「黒猫と君、うん。可愛いね。」


デールはまたマリにしか聞こえない音量で呟く。


リコ(あれ?マリちゃん……。恋に落ちた?)


マリはデール見つめながらアンを撫でている。


チップ「デール、今日は早いな。お前んとこも今日は半日か?」


デール「今朝兄さんに言い忘れてたね。ゴメンゴメン。昼ごはん、カレー食べたいんだけどまだある?」


チップ「お前より、お客様が先!ユリ達、何にするが決まった?」


ユリ「私たちもカレー食べにきました!」


チップ「ブロリー、カレー4人前まだいけるかー?!」


ブロリー「あ……僕も食べたかったんですけど……。4人前はあります!」


チップ「まかない焼きそば作ってやるから!カウンターに4つな!」


ブロリー「はい!……悲しいけど……焼きそばなら!」


デール「時間ずらしたのにこの時間でも満席なんだね。毎日お疲れ様です。」


チップ「ありがたいことだよ、息子も幼稚園慣れてきたからって、明日からクラリスも店出てくれるっていうし。頑張って働きますよ。」


アン「にゃー」


チップ「ニャンコは俺のとこでまた預かっとくな。デール、上に連れてってくれ。」


アン「ふにゃ〜」


デール「いいかな?」


マリ「あっ……はい……。」


デール「名前は……」


マリ「マリ、マリです!」


デール「マリちゃんね。よしよし、じゃあカレーができるまでお兄さんと上で遊んでようね〜。」


マリ「アンです!」


デール「え?」


マリ「ア…アンです、その子の……名前。」


デール「……あ、そうか。で、君がマリちゃんね。覚えたよ。」



リコとユリはカウンターに座りながら、ニヤニヤして様子を伺っていた。


マリ「……何?」


リコ「ふふふ……別に……。」


ユリ「そう、別に……フフフ。」


リコがふと雑誌や新聞が並ぶ棚に目をやると、見覚えのある本が並んでいた。


リコ「あの本!」


幼馴染から借りたジョージエーリオットの作品がずらりと並んでいた。


チップ「ほい、カレーおまち!」


ユリ「リコちゃんきたよ!」


チップ「エーリオットか?」


リコ「はい!わたしすごく好きなんです!ジョージエーリオットの大ファンで、彼が生きてたら結婚したかったです!!」


チップ「彼がって言うけど、100年以上前の女流作家だからなぁ、まぁ、今の時代ならそういう結婚もありかもだけど。」


リコ「えっ?」


ユリ「女流作家ってことは女の人なんですか?」


チップ「そうだぞ?昔は男尊女卑が今の比ではなかったからね。女性の名前だと売れにくかったし偏見もあったから男性名で作品書いてたらしいよ?」


リコ「ええええええ?!」


ユリ「リコちゃん知らなかったの?」


リコ「……わたしの長年の恋が……でも、女でもこの際……。」


マリ「……デザート、パフェにしようか?」




リコの恋が終わり、2階から降りてきたデールとマスカットの香りただようマリ、そして平常運転のユリは、カレーとパフェを平らげ、それぞれ帰宅した。



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