第3話 成功と失敗

「君、いい歌を歌うね」

「ホントですか! ありがとうございます!」

「わたし、このようなもので」

 そう言って名刺を渡してくるスーツ姿の男性。目にはサングラスをかけており、無個性な顔立ち。どこにでもいそうな雰囲気をまとっている。

 そんな彼が渡した名刺に目を向けると、

「え! あの京都きょうとダリアクリエーションの社長!?」

「そうだ。わたしは瀬野せの秋斗あきと。今度、うちの広告活動を担当する者を探していたのだが……」

 広告の活動を行う者。音楽を通じて広告活動をしよう! つまりはそういうことだ。

「もちろんやります!」

「良かった。なら明日からこっちにこれるかい?」

「はい! 分かりました!」

 劣悪な家庭環境に、いじめ、そして唯一わかり合えた角田くんとの離別。世界を憎むには十分だ。そんな私に、またも一筋の光が巡ってきたのだ。ここで離れるわけにはいかない。

「よろしくお願いします!」

 私は深々と頭を下げると、瀬野さんは余裕の笑みを浮かべる。


 次の日、急遽バイトを休み渋谷区にあるミュージックスタジオに訪れる。私はソロでギターとボーカルを担当していた。

 でも今は違う。

 バンドメンバーの紹介と、軽い雑談で一日を終了し、お互いの思っていることを素直に述べる場としたのだ。

 これはバンド間の仲を深めると同時に信頼関係を構築するための場なのだ。そう頭の中では理解したが、やはりうわべだけの言葉がでてくる。

 それを察したのか、ドラムの諏訪部すわべさんが笑みを浮かべ、こちらを見る。

「もう少し肩の力を抜こうよ」

「え。でも私、ドロドロしていますよ?」

「いいじゃない。そんなネガティブな意見も歌にできるさ」

「でも、親も、クラスメイトも、運命さえ憎んできた人です。唯一の理解者をおいてけぼりにして……」

「色々遭ったみたいだね。でも、そういった過去も歌に変えるんだ。僕らの力で世界に叫び続けるんだ。それができないなら、君はもう帰った方がいい」

「ちょっと。諏訪部」

「だろ? マリサ」

 ベースのマリサは頷くしかなかった。

「これからは遊びじゃないんだ。心の内を話さなければ相手を信頼することもできない。そんな相手と一緒の仕事をしたいとは思わない。となれば、君は不誠実だとは思わないかね?」

「彼女はまだ19よ。そんなことを考える余裕なんてないわ」

「……分かりました。全部を話します」

 正直、私は世界が憎い。

 生まれてきた意味も、生きている意味も分からない。

 そして世界が自分をあざ笑っているように感じた。

 角田くんを檻の中から見つめている感じ。角田くんは檻を開け、遠くにいってしまう。

 そう、私は取り残されたのだ。

 君はどこにいるの?

 父に殴られた痛みよりも、母の侮蔑の視線よりも、角田くんとの別れがつらかった。そんな自分の辛さを感じ取り、彼の心をないがしろにした。連絡先の一つも渡さずに引っ越していった彼。そんなに慌てていたのなら、きっと重い病気だっただろうに。

 そんな気の回しもできないほど、頭が悪いのだ。そして、最後に「また会う」と約束してしまった。それは今では呪いの言葉になって私の胸に突き刺さっている。

 彼にも同じような苦しみを与えているのではないか? その応えは分からない。そもそも生きているのかさえ……。

 そう思うと私の胸はキュッと締まる思いでいっぱいになる。

 話し終えると涙が頬を伝う。

「そうか、話してくれてありがとう」

 言い終えると、余計なことまでしゃべったんじゃないか? と不安になる。そもそもこの気持ち悪い気持ちと考えを受け入れてくれるはずがない。世界は偽善に満ちている。

 駅前の呼びかけも、コンビニの募金も、すべてはいい人ぶるためのパフォーマンス。実際に素敵なことと思っているわけではない。

 人類全部が善人ではいられない。なら悪人もそうなのだろう。

 たまにいるのだ。角田くんのような人が。ちゃんと小市民の、陰キャで、ねっとりとした感情を持つ者を。マイノリティを。

 そうした者に理解ある人だった。そんな理解をしているのは少数派だ。まとまってデモの一つでもしたいものだが、それすら叶わない。それくらい小規模な人数なのだ。そしてデモを行う暇があれば、お金を集めて日々の糧にするしかない。

 だからデモができるのはある程度、お金に余裕のある人の行いなのだ。だから世界は変わらない。お金があれば、マイノリティなどなっていない。

 矛盾しているのだ。この世界の仕組みは。

「そこまで話してくれてありがとう。君はすごいな」

「なにがです?」

 諏訪部さんがにんまりと頬を緩める。

 受け入れてくれたみたいで一安心したが、これも建前かもしれない。

「ありがとう。なるほど。そうした世界観か……」

「歌詞書けそう? 諏訪部」

「え! どういうことです?」

「君の思い描いた世界を歌にするのさ。君はそれだけの素養がある」

「さすが瀬野社長。いい仕事をするわ」

「……あの、私の気持ちを歌にするのですか?」

「ああ。そうだ」

 そう言っている間にも諏訪部さんの持つメモ帳は走り書きが止まらない。

「すごいな。君は純粋なのかな? でなければマイノリティという言葉はでてこないよ」

「純粋……?」

 言い慣れていない言葉に困惑していると、諏訪部さんは歌詞を書き終える。

「よし。だいたいの流れは組んだ。あとはメロディだな。どれになるか」

 いくつかあるメロディに歌詞をつけていく作業のようだ。

「バンドメンバーみんな決めたいから、意見を出し合おう。いいね、保坂さん」

「はい」

 そのあと、メロディを聴きながら実際に演奏してみたり、口ずさんでみたりしたが、どうもしっくりこない。

「うーん。少しインパクトに欠けるかな?」

「でも露骨すぎるのもな……」

「ではこうしてみてはいかがでしょう?」

「お。それいいな。採用」

 赤ペンで直しをすると、諏訪部は少し困ったような顔をする。

「オレたち、仲間なんだし、もっと軽く話さないか?」

「敬語をやめよ、ってこと」

「あー。はい」

 でも私はそういった陽キャな反応は苦手だ。でも、これからはこのメンバーでいく。なら敬語はなし、だ。

「分かったわ。私も仲間だもの。失礼して敬語は使わない」

「お。その潔さいいね。歌詞に加えたくなる」

「なんでもかんでも歌詞にしたくなるのは諏訪部の悪い癖だよ」

「わりぃ。こんな生き方しかできねーんだ。それよりも保坂はどう思う? この曲」

 イヤホンをつけて曲を聴く。

 いい曲だ。言葉にはできないが、音色と歌詞がマッチしていて出来映えは上々。

「これでいきません?」

「だろ」

 ここまで足かけ一ヶ月。

 一つの曲を作るのにこんなに時間をかけたのは初めてだ。

 路上ライブをやっていたときも、私は三日でオリジナル曲を作ったものだ。今回は三ヶ月。これもプロの仕事か。

 曲作りを終えると、それをCMの画像に合わせる作業が残っている……らしい。私は細かいことは分からないが、CMの曲を作るのは初体験なのだ。分からないことだらけだ。

 しかし、初の仕事だ。

 ちゃんと歌えるのだろうか?

 録音の機材をそろえ、録音が始まる。


 無事できあがった曲が世界に発信されるのであった。

 反応はよく、オリコンチャート二位を確立。

 その後も順調に仕事は舞い込んできた。


 歌で生きていく。私はそれを叶えたよ、角田くん。

 角田くんは今、どこでなにをしているのかな。

 今度の同窓会には私も参加しようか? と考えているのはまだ未練があるから。

 20歳になって初めての同窓会だ。

 でもいじめてきた人と出会うのは怖い。

 そうでない人から同窓会の話は持ち上がっている。いじめていた人も謝りたいと思っているらしい。

 全く自分勝手な話だ。あれでどれだけ私の心が傷ついたのか、おもんぱかることもできないのだ。

 できれば二度と会いたくない。

 会いたくないのだが……。

 心残りがある。

 そう思い、今年の同窓会に参加してみたが、いじめていた人の顔なんて覚えていない。ただいじめてきたという事実と、身体の痛みが残っているだけだ。

 謝れたが、私は「許さない」と告げた。

 そしたら回りの人は「ひどい」「かわいそう」「根に持っている」と口々に声を上げる。

「こんなところくるんじゃなかった」

 角田くんもこない以上、ここにとどまる意味もない。

 ビールを一気飲みし、その場を去った。

 そして自宅に帰り、一人やけ酒をした。

「やっぱり人は嫌いだ……」

 そう呟き、寝落ちする。

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