第2話

妖魔ようまとはな、この世に未練を強く残した魂が悪しき姿になり、それが人を喰らう。人の魂を喰らう。喰い続けると、さらに大きく強い妖魔になってしまう。そうなる前に、そうなってしまった妖魔を退治するのが妖魔討伐隊の役割よ」


 顔の半分以上が真っ黒のごわごわとした髭に覆われている男が胡座をかいた膝の上に小さな女の子を乗せ、盃を片手に酒を呑んでいる。男の体はきたえあげられ、服を着ていてもその岩の様な筋肉は隠しきれていなかった。


 豊前坊。


 男の名前である。九州は修験の山で有名なH山に住む天狗である。しかも、ただの天狗ではない。九州一円の天狗を束ねる大天狗。その大天狗である豊前坊の膝に座る、五歳程の黒髪の美しいつり目勝ちな幼い少女が豊前坊を見上げるように見ている。


じぃじ、うちにも妖魔退治できるん?」


「そうだなぁ……天音あまね。ぬしが強くなれば討伐隊に入隊できるようになるだろうな」


「うち……強くなる。討伐隊になれるように強くなる」


 五歳児とは思えない程、その二つの瞳に強い光りを宿す少女の頭をぐりぐりと撫でる豊前坊。この少女が己の運命から逃れられる事のできない業を生まれながらに背負っている事を、先祖の残した因果の爪痕が幼い少女の背中にしっかりと刻み込まれている事を豊前坊は知っていた。


「そうだな……がんばらんとな」


 豊前坊はそう言うと、ぐいっと盃の酒を一気に呑み干した。まるで、少女の小さな小さな背中に背負うその運命に怒りをぶつける様に。






 それから約十年余りの時が過ぎた。


 小さかった少女は既に十六となり、麓にある女学園に通っている。幼い頃より綺麗だった黒髪はさらに濡鴉の様に艶やかになり腰ほどまで伸ばし、前髪は少し太めの眉の上で真っ直ぐに切りそろえている。つり目勝ちな瞳、すっと通った高い鼻、椿の様な真紅のぷるんとした唇。すらりとした体躯。幼い少女は時を経て、誰もが立ち止まり見蕩れてしまう程の美少女となっており、その容姿のせいか、少女の通う女学園だけではなく近隣の住民や学生達からも『黒薔薇姫くろばらひめ』と呼ばれるほどであった。


 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。


 まさにその言葉はその少女のためにあると言っても過言ではなかった。


「畜生っ!!あのくそ豊前坊ジジイっ!!」 


 とある昼休みの事である。女学園校舎屋上の一角に設けられたテーブルのベンチに三人の女子が座っていた。その三人組のうちの一人が妙齢の女子とは思えない口汚い言葉を発している。


 その口汚い言葉は『黒薔薇姫』と呼ばれるあの少女の口から出ているのだ。


 そう……彼女は見た目だけなのである。黙っていればなのである。


「いつも言っているのだけど……やめてくださらない、その下品な言葉使い」


「しょうがねぇだろ?朝からあのくそ豊前坊ジジイががみがみ、がみがみ口煩く言うのが悪りいんだ」


「どうせ、またあなたが何かやらかしたんでしょ?」


「なんだとっ!!」


 テーブルを挟み真向かいに座るもう一人の女子が、そんな彼女の言葉使いに対し注意した。一度や二度ではなく、毎日の日課になっているのだろう。そんな小言などどこ吹く風というような素振りで悪態をつき続ける少女を、背中の中ほどまで伸ばされた黒髪を二つに結び、左右に分けた前髪から見える短く太い眉をしかめ、その下にある大きな目が睨むように少女を見ている。この少女もにこやかに微笑んでさえいれば、蝶よ花よと万人に持て囃される程の可愛らしい少女であった。

 

「ちょっと……やめてよ、二人とも。せっかくのお弁当が不味くなっちゃうよ?」


 二人の様子を黙って見ていた女子のショートボブの短い髪が俯いた彼女の頬をはらりとなでる。全くその言葉が聞き入れて貰えそうにない事が分かると、垂れたその瞳は涙目となり、小さな可愛らしい口に、黙々と弁当のおかずを運び始めた。


 悪態をついているのが鬼束おにつか天音あまね、それを睨みつけている茨城いばらき弥生やよい、気の弱そうな川辺かわべ優姫ゆうき


 二人は一通り言い合うと、互いにそっぽを向いて弁当を食べ始めた。それを見た優姫は溜息をついていた。


 三人は幼い頃からの腐れ縁。この様な事は日常茶飯事である。


「そう言えば……また妖魔がでたんだって」


 先に弁当を食べ終わった優姫が、丁寧に弁当箱を包ながら二人へと言った。それを聞いた天音の眉間に皺がよる。


「けっ、またかよ……最近、やたらと多くねぇか?」

 

「本当よね……夜更かしはお肌に悪いのに」


「千何百年も生きている鬼が、何を言っていやがる」


 弥生が頬を押さえながら溜息を一つつくと、天音がすかさず憎まれ口を叩いた。


「……いくつになっても乙女はお肌の事が気になるのよ。まぁ……あなたみたいなお山育ちのお猿さんには一生分からない事でしょうけど、ふふふ」


「誰が猿だと?」


 天音と弥生の間に不穏な空気が流れる。水筒からお茶をコップに注ぎながら、やれやれといった表情をしている優姫がまた小さく溜息をこぼした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る