消えない蝋燭

理柚

消えない蝋燭

その日の演目は「死神」でした。

といっても寄席に行った訳ではなく、飛行機の中のイヤフォンで聞くプログラムのひとつに落語があり、その演目が「死神」だったのです。

 

落語に詳しくはないけれど「死神」のあらすじはなんとなく知っていましたし、なにより「男」と「死神」の掛け合いの面白さと噺家さんの話術の巧みさにすっかり聞き入ってしまいました。

 

空の上というのも忘れて、と言いたいところですが、台風の後ということもあり結構揺れたり、斜め向かいの赤ちゃんが盛大にぐずったり、となんだかんだありつつ、そのうち飛行機も着陸態勢、落語もいよいよ佳境に入ってきます。


消えそうな蝋燭の火を新しい蝋燭に継ぐことができれば自分の命が助かる、その瀬戸際にある必死な男のさまと、低い声で追い詰めていく死神の不気味さ。そして降下してく機体。私の顔もきっと恐ろしく神妙だったことでしょう。


そして飛行機は無事に着陸。さあ、降りないと、と思うのですがイヤフォンを外せない。まだ「死神」は終わっていないのです。「ほら、消えると死ぬぞ」と言う死神。言葉にならない声で震える男。降りないと乗り継ぎに間に合わない私。

あああ!と、イヤフォンをぶっちぎり(いえ、丁寧にお返ししました)荷物を取って、後ろ髪ひかれる思いで飛行機を降りました。


この落語をご存知の方ならおわかりになると思うのですが、最後は「ほら、消えた」で終わるんですね。私はこの最後の言葉を聞かなかったわけです。そうなると、不思議なことに蝋燭の火が「消えた」気がしない。あの緊張感の終止符が未だ打たれておらず、まだ死神と男の声が頭にこびりついていて、火がゆらゆら、ゆらゆらと揺れているような気がするのです。

 

罪作りな空の上の死神。この夏の思い出のひとつです。


(2019.10)

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消えない蝋燭 理柚 @yukinoshita

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