第14話 聖夜
僕がその人を見たのは、聖夜が終わりかける時刻だった。
例年稀に見る寒波の影響で雪がちらついている。その、白い景色の中で微動だにしない彼は別人のように見えた。
◆◇◆◇
「クリスマスだからって、みんな浮かれすぎじゃないですかぁ〜。そもそも日本人は大半が仏教徒なわけですし」
「まぁそうだけど。日本人の節操のなさは今に始まったことじゃないだろ」
クリスマス・イブ。その日、僕はなぜか飲み屋にいた。
今も対面でクダを巻いている神坂に、終業後半ば引きずられる形で連れてこられたのである。
こいつ、僕に彼女でもいたらどうするつもりだったんだろう。
そう思いはしたが「久しぶりに会った元彼に「ぼっち」と馬鹿にされた」とか不機嫌面で告白されると、放っておくのも気が引けるというものだ。
どうせ部屋に帰って寝るくらいしかやることがなかったので、ちょうど良かったのかもしれない。それに、最近は人と関わることを避けていたので少し嬉しい。
「別にぃ、私だって気にしてませんよ。去年も一昨年も勤務が被ってそれどころじゃなかったですし? 皆さんが笑顔で暮らせるように働くこの仕事に誇りを持ってますし? 可愛げがないからお一人様、とか馬鹿にされても気にしてませんから?」
ちなみに、このセリフはもう五回目となる。そろそろ話題を変えた方がいいかもしれない。手酌でお猪口を満たした僕は「そっかー」とこれまた五回目となる相槌を打った。
神坂が焼酎を煽った隙に「ところでさ」と話題の転換をはかる。
「先輩は既婚者だから駄目だけど、他に好きな人はいないの?」
グラスをテーブルに置いた神坂が、ジロリと僕の方を睨んだ。薄桃色の唇から漏れたのは、深いため息である。
「はぁ」
「……なんだよ」
「いえ別に。いますよ、私だって気になる人の一人や二人。そのために周囲にも協力を呼びかけ、常日頃から情報収集につとめていますとも」
「意外。なんかもっと、直接言いにいくのかと思ってた」
今日だけは各所で引っ張りだこであろう鳥もも肉の照り焼きを頬張る僕に、神坂は相変わらずの仏頂面で答える。
「そりゃあ私だって、相手がどう思ってるか気にはなりますからね。まずは距離を詰めつつ、ジャブで様子見中です」
「ふーん。それで、手応えはどうなの?」
「……そうですね」
さっきまでの勢いはどこへやら、自信なさげに神坂は目を伏せた。
「嫌われてはいませんが、女として見られているかというと微妙なところじゃないですかね。まぁ、クリスマスに飲み屋に来て一杯目から焼酎飲むような女なので仕方ありませんけど」
早口で言い終えると、ヤケクソのようにホッケをむしり出した。乱暴ではあるが、箸使い自体は綺麗なものである。
「あと、別に私はあの人のこと好きではないですよ」
「ああ、先輩?」
ホッケを口に含んだまま、彼女は頷く。
「……最初はかっこいいな、と思いましたけど。それだけです」
口の中のものを咀嚼した神坂は「それに」と続けた。
「あの人、今もずっと待ってるでしょう? 入れるなんて思ってませんよ」
じゃあ、お前が今距離を詰めてる相手は誰なんだよ。
考えはしたが、口には出せなかった。そういうことをスマートに聞き出せているなら、僕の彼女いない歴はもう少しマシなものになっているだろう。
その後もぐだぐだと二人で呑んで、結局店を出たのは二十二時近くになっていた。
空を見上げると、白いものが舞っている。雪だ。
「東口のイルミネーションも見たいんでぇ、帰りはそっちから行きましょうよお〜」
「はいはい。わかったから、足元気をつけてね」
「わかってます〜。子供扱いしないでください」
返事は良いが、足取りがおぼついてないぞ。
彼女の腕を取って東口へと足を向ければ、華やかにライトアップされた光に迎えられた。
飲み屋街のイメージが強い地区だったが、最近は若者からの人気も高いらしい。仲睦まじそうなカップルや家族連れ、友人同士らしい姿があちこちに見える。
ふと、僕らは周囲からどう見えるのか気になった。会社の同僚か、あるいはカップルか。
浮かんだ考えに、自分でも苦笑する。ダークスーツ姿のガタイのいい男と、華奢な美人。むしろお嬢様と護衛とかの方がしっくりするかもしれない。
神坂も、わざわざ僕なんかを誘わなければいいのに。そんな考えが頭の片隅をよぎったのは、モテない故の卑屈さである。
とはいえ、気になる人の次くらいにクリスマスを一緒に過ごしても良いと彼女が思っているのなら、僕としてはやっぱり嬉しい。我ながら現金なものである。
隣を歩く神坂を横目で伺えば、不意に「あれ」と漏らして足を止めた。腕を掴んでいた僕も、強制的に足を止められる。
「どうかした?」
白い指が戸惑いがちに指し示したのは、駅前にある広場だ。水路が設けられたよくわからないオブジェと、簡素な作りの腰かけ。そこに、男性が一人もたれかかっていた。
「先輩?」
白いセーターに焦茶のコート。肩がうっすらと白く染まっているから、たぶん相当長い時間そこにいるのだろう。
普段見慣れている黒服ではないからかもしれないが、ぼんやりと地面を眺めている姿はひどく影が薄い。神坂に言われなければ、僕はきっと気がつかなかったと思う。
「よく気がついたね」
こくり、と神坂が頷いた。
「何となく気になって」
そういえば、彼女は妙にそういった勘が鋭いところがあった。
「あの」
神坂が躊躇いがちに僕の袖を引いた。
「私、あの人見たことあります」
「へ? そりゃ、毎日のように見てるでしょ」
「違います」
神坂が首を振った。声が上ずっている。酔いはすっかり覚めてしまったようだ。
「あの人の隣」
「隣?」
言われ、僕も彼の隣に視線を向ける。
そこに、もう一人いた。
どうして気がつかなかったのか。
答えはすぐにわかった。その人は、明かにこの世界には存在していない佇まいをしていたのだ。
理由を問われてもはっきりとは答えられない。
ただ、目の前にするとはっきりとわかってしまう。彼女はそういうものだ、と。
栗色の長い髪に、シミ一つない純白のマフラーとコート。細い顎と憂いを帯びた青い目には、僕も見覚えがあった。
あの山で見た女性だ。
唇を真っ直ぐに引き結び、挑むように前方を見据えている。強さすら感じる視線のはずなのに、僕にはなぜかそれが、泣きそうな顔の一歩手前に見えた。
道ゆく人たちは、誰も二人に目を止めない。まるで最初からいないもののように、その前をせわしなく通り過ぎていく。それが、微動だにしない彼らに妙な存在感の薄さを与えているのだった。
雪が舞う。
白い景色の中で、彼らは誰かを待っている。恐らく、見えない境界で隔てられた互いを。
と、不意に先輩が俯かせていた顔を上げた。まともに目が合う。
「お前……」
驚いたようにわずかに見開かれた目に、少しだけ後ろめたい気持ちになった。
先輩の視線がスライドし、僕の隣に注がれる。
「デート?」
前言撤回。がっくりと肩を落とす僕に、先輩が訝しげな顔をする。
「嫌なのか?」
「嫌じゃないですけど、神坂の気持ちも考えてやってくださいよ」
「つまりお前は嫌ではない、と。良かったな神坂」
「後輩に答えにくい話題振らない! っていうか、先輩こそ何してたんですか」
居心地の悪さを誤魔化すために、僕は強引に話題を変えた。
「俺? 待ち合わせだよ」
もたれかかっていた質素な腰かけから身体を離し、先輩が近づいてくる。
僕らの前で足を止め、反転。彼の視線を追って、僕らも彼が元いた場所を見やる。
そこには、もう誰もいなかった。
「こんな都市伝説知ってるか?」
絶句する僕らに背を向け、先輩が淡々と語る。
「クリスマスの夜、この駅前広場には女の幽霊が出るっていう噂だ。何十年も変わらない姿で、同じ場所にじっと立っているんだと――お前らは見れたか?」
先輩が半分だけ身体をずらして僕らを見る。
恐る恐る頷く僕らに、彼は「そうか」と短く返した。
俯いた彼はもう一度「そうか」と繰り返し
「会えないのは俺だけか」と呟いたのだった。
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