第13-2話 境界②
「着きましたよ」
音無医師の声で僕は我に返った。いつの間にか目的地に到着していたらしい。
『堂界境』
と達筆な毛筆で書かれた木の看板が目の前に掛かっている。一拍おいて、僕はそれが「境界堂」を右から書いたものだと気がついた。「眼鏡、コンタクトレンズあり
「ここ、ですか……?」
「江戸時代から続く老舗ですよ、一応。今の店主は十五代目ですが変人なので覚悟しておいてください」
尻込みする僕に構わず、淡々と説明を終えた音無さんは半透明のドアに手をかざす。自動ドアになっているらしい。
微かな電子音を響かせてスルスルと開くドアと、木製の古めかしい看板がひどいギャップを生み出している。
中に入ると、無数の目が僕らを出迎えた。
目。
そう、目だ。
壁一面に隙間なくびっちり敷き詰められた眼鏡が、その硝子の目でもって僕らを出迎えたのである。さらに、視線を感じて顔を上向けると天井にも眼鏡がびっちりと詰められていた。狂気すらおぼえる異様な光景であるはずだが、音無さんは顔色一つ変えずに「
そこで、ようやく僕はこの場に店員がどこにもいないこと、奥に小さなカウンターがあることに気がついた。
「はーいはい、ちょっと待ってぇ」
声は上から聞こえた。男のような女のような、中性的な声。だが、どれだけ店内を見渡しても階段らしきものはない。キョロキョロとする僕に、音無さんが「まともな感性で喋ると疲れますよ」と呟いた。
どういう意味かと思っていると、カウンターの奥から微かな開閉音が響いた。
何度も言うが、目に見える範囲で階段は見当たらない。
まさかと思ってカウンターに近づき、中を覗き込んだ僕はいきなり目があった。
「やあやあ、君が樹の今度の患者やね。よろしゅう頼んます」
どういうわけか、床に階段がある。地下室への隠し通路よろしく開いた両開きの扉から、上半身だけを出していたのは一匹の虫だ。
ただし、複眼が全て人間の眼球の。
くら、と意識が遠のく。
現実逃避を起こした脳が鬼城さんの次に掘り起こしたのは、音無さんとの記憶だった。
◆◇◆◇
「それで私のところに来た、とそういうことですか」
「まぁ、そうなります……」
目の前で座る小柄な若者に、僕は「よろしくお願いします」と頭を下げた。とはいえ、彼は鳥の顔をしていたので若いというのは以前の記憶からだ。
鬼城さんと話した翌日。つっかえながらも相談した僕に、先輩が言ったのが「医者行け」の一言だった。
「精神科……とかですか? それか脳の方?」
思ったよりもマトモなアドバイスに狼狽える僕に、「だったらまだ良いかな」と不吉なことを言って、先輩は名刺を差し出した。
『音無 樹』
名前と、携帯番号らしい数字の羅列が書かれただけの素っ気ないものだ。名前には見覚えがあった。
「音無さんって、前に電話かけてきた人ですよね」
「そうか、一度話したことあるんだったな。優秀な奴だから安心して良いぞ」
「どういった人なんですか?」
僕の問いに、「一言で言うのは難しいな」と先輩は苦笑した。不安しかない。
その場で電話をして事情を話せば「都合をつけますから、半日くらい自由になる希望日を三つほど挙げてください」と言われ、ますます不安は募る。そんな暇な医者いるのだろうか。
もっとも、希望した中で最短の日取りにしてもらえたのは素直にありがたかったのだが。
「とりあえず問診から始めますね。ああ、一応医師免許は持っているので大丈夫ですよ」
一応ってなんだろう、やっぱり不安しかない。
とはいえ、彼の質問は思ったより普通だった。精神疾患に関するらしい幾つかの問いと、ストレスやうつ病関連と見られるチェックシート。血液検査と「念の為に」ととられたのはMRIだ。
そして最後に案内された部屋で差し出されたのは、「村田・アビントン式深層内部境界検査」――通称、霊感テストの問題用紙である。
「僕、四月に受けましたけど」
「知ってますよ。毎年誰が結果まとめてると思ってんですか」
「その言い方だと、もしかして……」
音無さんは軽く肩をすくめた。
「そっちが専門なんですよ。まあ、あなたのとこの先輩みたいな問題児がいるんでここで医者もやってますが」
そんな副業みたいなノリで病院勤めしないでもらいたい。
そう思いはしたが、後に聞いたところによると彼は医者としても優秀で重宝されているという。
「あの、先輩とはどういう関係なんですか?」
「主治医と患者。むしろそれ以外に何があると?」
テストの音声を用意しながら、音無さんは顔も上げずに答えた。改めて理由を問われると困るのだが
「なんとなく、それだけに見えなくて」
歯に衣着せぬもの言いをするが、基本的に音無さんは律儀で礼儀正しい。年下であろう僕にも敬語を崩さないあたりからも、それは伺えた。だが、先輩に対する時は遠慮がない。
「けっこう距離が近いように感じたので」
僕の言葉に、一瞬だけ音無さんが手を止める。
「ふん、勘がいい」
「え?」
ぼそりと言われたのは、僕に対してというより独り言のように聞こえた。
「テストの結果が今から楽しみですね。随分と変わると思いますよ」
「はぁ、そうですか。ええと、それで」
「兄弟ですよ。血は一滴も繋がってませんけどね」
血のまったく繋がっていない兄弟。一拍おいて、僕はその意味に気づいた。
「じゃあ」
「姉とは半分だけ繋がりがあります。もっとも、私の父もその愛人だったあの人の母親もすでに鬼籍に入ってますからね。姉の戸籍を探そうとしても誰も見つけれませんでした。名前と一緒です」
姉、というのは先輩の奥さんだろう。
そんな馬鹿なことがあるものか、と言いかけた僕の方を振り向いた音無さんの顔は、鳥のものではなかった。
切長の目が怒っているように見えるのは、気のせいではないだろう。
「君ごとき若造が思いつくことを、優秀な捜査員である君の先輩が試さなかったと思いますか?」
「……いえ」
「わかれば結構。さ、準備ができたので始めますよ」
促され、僕は鉛筆を構えた。
そして案の定、テストが終わった後にはそれ以上彼らについて突っ込む気力は残っていなかったのだ。
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