第12-3話 赤供養③
「先輩」
「やめとけ」
間髪入れずに返され、僕は思わず眉を寄せた。
「まだ何も言ってません」
「言わんでもわかる。お前、本格的に首突っ込もうとしてるだろ」
図星を突かれ、僕はグッと詰まった。
頬杖をついて車外を眺めていた先輩が、わざとらしくため息をつく。彼の視線の先では、先ほどの女性が道路にしゃがんで手を合わせていた。その後ろ姿を見ていた先輩が、不快そうに鼻に皺を寄せる。
「これは俺らの案件になってない。余計なことはしないが吉だ」
「でも」
「聞き分けろ」
切り捨てるように言われ、さすがに僕も少しムッとした。
「そもそも、この公園を見てみるかって言い出したのは先輩でしたよね?」
「帰り道にあったからな」
「可愛い後輩が心配だったからじゃなく?」
「そりゃ鬼城のことか? まぁ確かにあいつは素直で可愛かったけどな」
「悪かったですね、素直じゃなくて」
「誰もんなこと言ってないだろ」
視線を窓の外から戻した先輩が、呆れたような顔で僕に向き直った。
「……僕、前に言ったことありますよね。業務について聞いてほしいことがあるって」
あの時も確か、交通事故が元の事件だった。自分の浮気相手を複数回に渡って轢き殺した男がいたのだが、その時にも僕は先輩に「あまり関係ないことに首を突っ込むな」と釘を刺されていたのだ。それでも。
「やっぱり、僕は見てるだけというのは嫌なんです」
先輩の赤い瞳を正面から見据える。
――僕は、この人が怖かった。
今も、まったく怖くないと言えば嘘になる。
でもそれ以上に、信じたいのだ。
先に目を逸らしたのは先輩だった。
「やめとけ」
叱責でも説得でもなく、諦念の言葉が漏れる。
「ロクなことにならん」
「じゃあ、何で先輩はこうやって関係ないところにまで足を運ぶんですか」
窓の向こうで女性が立ち上がるのが見えた。
外は風が強いのだろう。赤い紅葉が舞い上がり、先輩の背中越しにくるくると回る。赤い色彩が、彼の黒い服と白い貌をくっきりと浮かび上がらせた。
彼は何も喋っていない。それでも感じる圧に、僕は拳を握って耐えた。
「それに、梅雨の時のあの子だってそうじゃないですか」
――本当は何とかしたいと思ってるくせに。
そう言おうとしたが、言えなかった。
別に心理的な負担があったわけではない。理由は別にあった。
不意にわきあがった気持ちの悪さに、口を閉じざるを得なかったのである。
(あ、やばい。吐きそう)
無意識のうちに、ごくりと喉が鳴る。ひどく喉が乾いていた。それに頭が痛い。キーン、という音に混ざって笑い声が聞こえる気がする。意志とは無関係に目元が引き攣るのがわかった。
口元に手をやって下を向く。その途中で、フロントガラスに貼りついた紅葉が目の端に引っ掛かった。燈や黄、赤の色彩。丸みを帯びた肉厚なシルエット。
違和感が胸を引っ掻く。
紅葉というものは、あんなにもふっくらとしていただろうか。肉付きの良い、柔らかそうな。
あれでは、まるで――
「おい、大丈夫か?」
先輩の声が頭上から聞こえる。いつの間にか体を折り曲げていたらしい。
「…………気持ち悪いです」
「他には?」
「あと、頭が痛くて。……なんか、聞こえませんか?」
何とか頭を上げて先輩を見る。
もし、これが霊的なものだとすると僕にだけ症状が出るのはおかしなことだ。
そういうことならば僕よりも先輩の方がずっと敏感なはずだから。
けれど、僕に訊かれた先輩の顔に浮かんだのは、気をつかったような微妙な表情だった。
「落ち着け。ここには何もいない」
「そんな……」
言った声は自分でもわかるほどに掠れていた。片眉を上げた先輩が、僕の手首に指をあてて脈を取る。
「軽い脱水症状かもな。なんか買ってきてやるから、ちょっと休んどけ」
「でも……」
紅葉が。
やけに赤い。
それに、笑い声はまだ続いている。
ここで一人になるのは嫌だった。でも、この人には聞こえていないし見えていないのだ。
「…………大丈夫です、何でもありません」
「大丈夫じゃなさそうだが……まあ、確かに三人、いや、四人が死んでる場所だからな」
言って、先輩は自分の左手――正確には、薬指に手をかけた。
銀色の輪が、午後の光を反射して鈍く光る。
「先輩……?」
「お守り代わりにはなるだろ。持っとけ」
僕の知る限り、彼がその指輪を外したことは一度もない。
それが何を意味するかなんて、恋愛経験の浅い僕でも理解できる。いや、これは恋愛というより人生経験の問題だろうか。
いつの間にか、周囲は静かになっていた。
時の止まったような音のない空間で、僕は半ば無意識に指輪を受け取っていた。自分の意思、というよりも指先が吸い付けられるように勝手に動いたのだ。
「でも、これ……」
「良いんだ」
「受け取れません」
食い下がる僕に、先輩は苦笑した。
「もう、良いんだよ」
その時、僕は再び奇妙な感覚に襲われていた。だが、それは僕自身というよりも先輩に向いていたものだった。
彼を構成する周囲の形が崩れていくような。先輩を覆い、歪な形に押しとどめていた不可視の何かが指輪と一緒にどろどろと剥がれ落ちていくような。あえて言葉にしようとするなら、そんな感覚だ。
今なら、この人の名前を呼べる気がする。
ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。
そこにいるのは、僕のよく知っている。でも、本当は何も知らない人だ。
不思議と、今まで心の底で抱いていた畏怖はなくなっていた。
「――」
呼びかけようとした声は、無情にも閉まったドアによって遮られた。
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