第12-2話 赤供養②

 窓の外を、一軒家やマンションが流れていった。少し前まで青々と茂っていたのに、庭先の木々や街路樹もすっかり秋色になっている。

特殊資料調査室うちに話が回ってこなかったってことは、特殊性は認められなかったってことなんですかね?」

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」

「というと?」

 問いには答えず、先輩はハンドルを切って車を減速させた。住宅街は人や自転車が多い。気をつけるに越したことはないのである。

「うちに持ち込んでくる部署、一番多いのはどこだ?」

「地域部ですね」

 地域部はいわゆる交番だ。やはり地元住民と最も身近に接することからか、回してくる案件はダントツと言えるだろう。

「次は?」

「……生安、ですかね」

 生安。俗に言う生活安全部。

 地域の防犯教室実施をはじめとして、幼児や女性への暴力事件や性犯罪、風俗営業に少年犯罪。時には経済犯罪の取り締まりなど、その業務は多岐に渡る。

 こちらも、やはり身近に起こりえる犯罪に関わることが多いからかよく案件を回されるのだ。

 僕の答えに軽く頷いた先輩がウインカーを出す。右折だ。

 左側から車が来ないか確認している僕の耳に、先輩の声が届く。

「その通り。刑事部は、良くてその次くらいか? でも」

 左側に緩やかに遠心力がかかった。曲がる車体に合わせて流れる車窓には、今を盛りと色づく紅葉が揺れている。中心から葉を広げる様は、まるで人の掌のようだ。

 行く先に見えるのは、赤や黄色の葉に彩られた小さな児童公園である。


「実際はもっと多いんだよ」


 先輩がぽつりと言った。

「刑事事件の一割……曖昧なのも入れると二割くらいには混ざってる」

 年間の刑事事件は全国で約六十万超。検挙件数だけだとしても、三十万弱はある。

 その一割というと、少なくとも三万。それが何を意味するのか、考えると頭が痛くなってきた。

「僕ら、そんなに刑事部から案件回されてませんよね?」

「認めたくはないんだろうさ」

 よくあることだ、と先輩は淡々と言った。

「……鬼城さんって、そのこと知ってるんですか?」

 刑事部にしたら、鬼城さんは認めたくない部署から来たことになる。

 どの世界でもそうだが、いじめや嫌がらせというものは必ず存在するものだ。それは、公的組織とて例外ではない。

 微妙な含みのある質問に、先輩はわずかに苦笑した。

「知ってるよ。だからあいつ、異動希望出し続けてたんだし」

 摩擦があることを承知の上で、刑事部に行くことを望んでいた。

 そのことが何を示すのかを考える僕の脳裏に、初夏に彼と交わした会話が蘇る。


 ――土壌作り、かな

 ――でも、こういう部署を経験した奴らが増えていったらどうだ? 


「……ああ、なるほど」

 言動と外見でチャラく見えるが、根は真面目で責任感が強い彼らしい。


「この辺だっけな」

 言って、先輩がゆっくりとブレーキを踏む。もとより徐行運転だったこともあり、車は停止ギリギリの速度で公園の外周を緩やかに走り始めた。

 この公園は、鬼城さんが話していた例の事件の一件目と五件目の現場だ。

 平日の昼下がりだが、人の姿はない。

 窓の外では、時おり赤と黄色の葉が静かに舞い落ちているのみである。

 と、その暖色の中に別の色彩を見つけて僕は思わず「あ」と声を上げていた。

 のっぺりとした白い長方形が後方に流れていき、途中で止まる。先輩がブレーキを踏み込んだのだ。

「どうした?」

「……あれ」

 僕の指先にあるのは、路肩に立てかけられた看板だった。

「ここ、事故があったんですね。だいぶ前みたいですけど」

 上部には横書きの赤いゴシック体で「お願い」という文字が踊っており、その下には縦書きの黒字で発生日時と概要、そして目撃証言を募る文言。最後は最寄りの警察署の電話番号で締められている。

 乗用車と歩行者の事故。日付はちょうど半年ほど前で、そう考えると掲載期間が随分と長い。

「――ああ」

 看板を見て目を細めた先輩が、ハンドルに顎をのせる。

「遺族とかの希望でな、長く出しておくことがあるんだよ」

「遺族……」

 僕は、もう一度首を回して看板の方を見やった。よく見ると、少し萎れた花束が近くの電柱に括り付けられている。

 と、その花束がぐらりとかしいだ。あっと思った時には、緩んだ紐から華やかな色彩が落下する。

 反射的にシートベルトを外した僕に、先輩がサイドブレーキを引いてドアロックを解除した。

「ありがとうございます」

 ドアを開けると、強めの風が横から体を撫で上げた。舞い上がった紅葉に、思わず目を細める。

 花束のある電柱までは、二、三メートルほどの距離だ。傍まで歩き、手を伸ばす。

 濃いピンクのコスモスに、カスミソウが散りばめられた花束。それに指先が触れようとしたところで、地面に僕以外の影が落ちた。

 反射的に顔を上げる。

「あら、ごめんなさい」

 目があったのは初老の女性だった。秋らしい辛子色のカーディガンに、ロングスカートを上品に着こなしている。

 驚いたように口元に当てた右手とは逆の腕には、真新しい花束が抱えられていた。ダリアや竜胆、秋色の薔薇の中には真っ赤な風車が一本刺さっている。

「えっ、と」

 中途半端な格好で止まる僕の前で、女性は微笑むと古い花束を拾い上げた。

「紐が切れちゃったのね……もう随分経ってしまったし、仕方がないわ」

「はぁ」

「拾おうとしてくれたのよね、ありがとう」

「いえ……」

 そこで、女性はジッと僕を見上げた。

「もしかして、ユウちゃんのお友達かしら?」

「え?」

 虚をつかれた僕の声に、女性は恥ずかしそうに俯いた。

「ごめんなさい、そんなわけないわよね。嫌だわ、年を取ると感傷的になっちゃって……」

「あ、いえ……」

 口ごもる僕の後ろで、車のドアが開閉する音がした。先輩だ。

「どうかしたのか?」

 僕が何か答えるより前に、女性が軽く頭を下げた。

「お連れさんがいらしたのね。引き止めてしまってごめんなさい」

 彼女の腕にある花束に、先輩も気がついたのだろう。微かに目が見開かれる。

 何となく居心地が悪くなり、僕は彼女に尋ねた。

「……ご遺族の方ですか?」

「ええ、母親です。この子達のことが忘れられなくて」

「達、ですか?」

 女性が微かに笑う。どこか寂しさをたたえた笑みだった。

「お腹にね、もう一人いたのよ」

 彼女の言葉に反応したように、ざわざわと赤い紅葉が揺れた。乾いた音を立てて、女性の腕の中で風車が哭く。

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