第11話 参拝
初詣以外で神社に行くなんて、実に久しぶりである。
僕は隣を嬉しそうに歩く男を、横目でチラリと見た。晩夏特有のぬるい風が、僕らの間を吹き抜ける。
「あのさぁ、
「わかってるって! 気休めだよ、気休め」
相変わらずのデカい声で、男はワハハと笑った。
久我
僕より低いが、百八十を超えている時点で十分にデカい部類に入るだろう身長。それに見合う筋肉を持っている奴は、高校時代から柔道をやっていたということもあり、体格も立派なものだった。
「なーなー、来週はお前のとこの先輩来ないのか?!」
「来ないよ。あの人、そこまで社交的じゃないし」
ついでに言うと、こいつはどういうわけか、僕とペアを組んでいる先輩を気に入っている。
いや、元はといえば僕が悪いのだ。
彼が、僕や久我と同じ柔道選択者(警察学校に入校した際に、警察官は柔道か剣道を選択する必要がある)だと知って、ずいぶん前に道場に誘ったのである。
特別な理由はなく、単にこの時はよく知らなかった先輩に興味があったからだ。
最初は彼も渋っていたが「体格の問題もありますから、
思えば、僕が先輩の負けず嫌いを確信したのはこの時だったかもしれない。
苦笑いして彼には答えなかったが、その気になってくれたのはありがたいことだった。
しかし、結論を言えば先輩の言葉に嘘偽りはなかった。
一回目は油断していたところを投げ飛ばされ、気を引き締めて挑んだ二回目は足を刈られてやっぱり投げられた。
畳の上にひっくり返り天井を見上げていた僕は、きっと狐に摘まれたような顔をしていたことだろう。
漫画やアニメで小柄な少女が大の男を投げ飛ばすシーンはよくあるが、あれはあくまでもフィクションだ。実際のところ、やはり重量差がある相手を投げるのは難しい。
だからこそ、柔道にだって階級差が設けられている。軽量級の選手が無差別級の試合に出場し、一勝も挙げられなかったという話すらあるのだ。
軽く見積もっても、僕と先輩の間には三階級は差がある。
油断していた一回目は抜きにするにしても、そんな相手を何度も投げるとなると、隔絶した技量差が必要となってくるだろう。
道場の高い天井を見上げながら、そんなことを考えているとニヤリと笑った先輩が覗き込んできた。
「言っただろ?」
「――参りました」
後で彼の段位を聞くと紅白帯だという。なるほど、勝てないわけだ。
この一連の流れを目撃していたのが、久我だった。
もっとも、彼でなくとも身長百九十近い巨漢が投げ飛ばされていたら、注目するだろうが。
同期ということもあり彼を先輩に紹介し、そのまま流れで稽古を申し込んだ彼も投げ飛ばされ……後は推して知るべしである。
「来週の試合、審判やってもらおうよ。頼んでくれよお!」
「だーかーら、嫌だって。俺だって、あの人のことまだよく知らないんだし!」
答えたが、別にそれが理由ではない。彼のせいではないと思うのだが、最近まわりで妙なことが多く起こっており、僕としては少しだけ距離を置いていたのだ。
幸いと言うべきか、誘いもしない集まりに顔を出すほど、先輩は人付き合いに積極的ではない。
そんなことを知らない久我は、来週に予定されている練習試合に先輩を呼びたいと駄々を捏ねていた。
「よく知らないなら、親交を深める絶好のチャンスじゃないか!」
「 何度も誘うの気が引けるの! 良いだろ、代わりにこうして別のとこで親交深めてるんだし」
僕らが今向かっているのは、その先輩が教えてくれた「勝利祈願」に強いという神社であった。
神社なんてどこも同じだろうと思っていたのだが、彼曰く得意分野は違うのだという。さらに人によっては神様の相性もあるらしく、彼の場合は稲荷や蛇といった動物の姿をして祀られているものには嫌われると言っていた。
嫌われると具体的にどういったことが起こるのかと聞いた僕に、先輩は「お祈りしたはずなのに悪いことが立て続けに起こったりするな。ま、当人の気の持ちようもあるんだろうが」
と語った。
「それにしても、武道とか勝利の神様って
おそらく、知る人ぞ知る的なパワースポットなのだろう。僕らが通っている道場から徒歩で二十分くらいのところにあるそこには、まばらながら参拝客の姿が見受けられた。
大半は部活帰りの中高生や小学生のようだが、そのほとんどが剣道の防具袋であったり弓道で使う弓袋を持っていたりしている。
だが、中には妙に身なりの良いスーツの老人や、着物姿の女の子も見受けられる。一体彼らはどういう願いをしにきたのだろうか。
「おお、すごい。何かそれっぽい雰囲気があるな」
落ち着きなくソワソワと見回す久我を伴い、鳥居を潜る。木を組み合わせただけのような、シンプルで真っ直ぐな形はそれだけ歴史を感じさせた。
入ってすぐ右手の手水舎に足を向けたところで
「だから、誰なんだよその男!!」
甲高い男性の声が境内に響き渡った。
おおよそ、神社という神聖な場所にはふさわしくない内容である。
足を止めた僕と久我の前――ちょうど今から向かおうとしていた手水舎の前で、三人の男女が言い争っていた。
より正確に言うと、一人の男性が一組の男女に怒鳴っている、であるが。
それだけならありがちな修羅場なのだが、叫ぶ男の手には刃渡り数センチの果物ナイフが握られている。
青い顔をした女の手は浅く切られており「お、落ち着いて……!」と言っているのが聞こえてきた。
男性の叫びに、他の参拝客も気がついたのだろう。
「誰か、警察! 警察はいないのか!?」
と、女性の近くにいた中年の男性が狼狽えながらも周囲に呼びかけた。
そんな、フライト中に「医者はいませんか?!」みたいなノリで聞かないでほしい。いや、いるんだけど。
僕と久我は、素早く目配せした。
男の死角にいるのは僕だ。何せ彼のほぼ真後ろに立っている。
「どうかしましたか?」
出来るだけ穏やかに、相手を刺激しないように僕は男性に話しかける。
「ああ?! 部外者は黙っ……」
振り返った男が、僕を見上げて言葉を飲み込んだ。その隙に、ソッと男の右手を握る。もちろん、その中にあるナイフごと。
「神社ですから、あまり騒いだら駄目ですよ?」
「あ、ああ……って、いや、うるせえよ!」
再び暴れようとする男の手を握る力を強める。ギャッと叫んだ男の手からナイフが落ちた。
男の手を離さないまま、ナイフを踏みつけて時間を取る。十六時三十分。
「はい、はい。――あ、いま凶器を手放しました。はい、よろしくお願いします」
目だけで背後を見やれば、手慣れた様子で一一〇番通報を終えた久我が近づいてきた。
「お疲れ。時間とった?」
「とったよ。所轄、どれくらいで来るって?」
「うーん、どうだろう。五分くらいじゃない?」
僕らの会話に、男の顔が見る見る青くなっていく。
「警察……?」
頷くと、彼はヘナヘナと崩れ落ちた。
「そんな……。復縁に効果のある神社だって聞いたのに、ひどい。何でよりによって
「へ?」
さめざめと泣き始める男性の言葉に、僕は間抜けな声をあげた。
「復縁祈願って……ここは」
「バッカじゃない?! ここは縁切り神社よ!」
久我から事情を聞かれていた女性が、甲高い声で叫んだ。
「あんたとの縁を切ってもらおうと思ったの! なのに、こんなことになるなんて――本当、最悪よ!」
復縁祈願に縁切り?
そんな相反する願いを叶える神様なんているのだろうか。というか、ここは勝利祈願だと思っていたのだが。
すると、遠巻きに見ていた人の中からも不思議そうな声が漏れる。
「健康長寿じゃないのか?」
「いやいや、私は商売繁盛と聞きましたが」
「金運アップじゃないの?」
一体、どういうことだ。
男が戸惑ったように僕を見上げてきた。そんな目で見られても、僕も困るのだが。
「ちなみに、僕は勝利祈願です」
そう言ってやると、男は今度こそガックリと頭を垂れた。そんな男の様子を笑うように、くすくすと軽やかな声が響いてくる。
見れば、境内に入ってきた時に見かけた女の子だ。おかっぱ頭に華やかな赤い着物は、市松人形のような印象を受ける。
僕が見ていることに気がついたのだろう。彼女はこちらを見て、にこりと笑った。そして、踵を返して本堂の方へと軽やかに走り去っていく。
男の手を離さないまま、何となくその背中を目だけで追いかけていたが
「六分。思ったより早いな」
久我の軽い声で、僕は再び視線を戻した。聴き慣れたサイレンの音がみるみる近づいてくる。鳥居の向こうで赤い光を伴った音が止まり、制服姿の警察官二人が駆けてきた。
久我が事情を説明しているのを聞きながら、僕は足を止めて物珍しそうにこちらを見ている参拝客を見回す。もう、どこにもあの少女の姿は見えなかった。
「どうした? 俺らも行こうぜ」
「ああ。そう、だな……」
久我に促され、僕は男の手を引く。結局、その日は聴取のため署に同行することになり、神社に戻ることはなかった。
しかし、どうしても気になったので、聴取を担当してくれた警察官に「あの神社の御利益は何ですか?」と別れ際に聞いてみた。年配の担当官は「お願いごとを叶えてくれるところだよ」と微笑んだのだ。そのことが妙に心に残った。
「――と、いうことがあって昨日は参拝できませんでした。僕はあそこの神様に嫌われているんでしょうか?」
目の前で笑いを堪えている先輩に、僕はじっとりとした目を向けた。
「いやいや、嫌われてるとしたらその男女だろ。お前は巻き込まれただけだし、むしろ良いことをしたから気に入られてるかもしれんぞ」
「だと良いんですけどね。……というか、結局あの神社は何の神様を祀ってるんですか?」
「知らね」
「は? でも……」
「俺は勝利祈願だけとは言ってないぞ。あの神社はな、特定の御利益があるわけじゃない。御神体ということなら、あそこに祀られてるのはただの石だよ」
なるほど、それで参拝者は皆違う願いを持っていたのか。
「ただ、随分と気性の難しいものが宿っているらしくてな。気に入った人間なら、どんな難しい願いでも――それが経営難であろうと、医者が匙を投げた難病であろうと叶えてくれるそうだ。ただし、ごく一握りだけ。だから色々なご利益が噂で流れる割に、その証言は多くない」
「へぇ。先輩は行ったことあるんですか?」
問うと、先輩は渋い顔をした。聞くと、二回行ったが二回とも帰りに車に撥ねられたという。
「三度目に行こうとしたら、目の前で人身事故が起こった。だから、もう行かない」
「そうですか。じゃあ、何かその――変わったものを視たりは?」
曖昧にぼかして聞いた僕の問いに、先輩は「ないな」と答えた。
では、あの少女は僕の思うようなものではなかったのだろうか。
ただ近所の子供が遊びに来ていただけなのか、それとも。
浮かんだ考えに、僕は慌てて頭を振った。
僕に視えて、先輩に視えないなんてことがあるはずない。そのはずだ。
ちなみに。
後日参拝しなおした時には何ごとも起こらず、肝心の練習試合ではそこそこの成績をおさめることができた。
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