第9-14話 幽霊パトカー・再⑭

「な、なに言ってるんですか。こんな時に!」

「こんな時だからこその明るい話題だろう?」

もっともらしく言っているが、この口調と表情は絶対面白がってる。

さらに、後ろからは相変わらずの殴打音。

ホラー映画真っ只中のシチュエーションで好みのタイプを語る。

現実は、映画よりもずっとシュールだ。

しかし、好きな異性のタイプ――。真面目に考えれるほど女性経験があるわけではないので、自然と『一番苦手なタイプ』から逆算することになる。

「……ご……」

「ご?」


「一緒にご飯を美味しそうに食べてくれる子が良いです!!」


ヤケクソ気味で僕が叫んだ時、視界が突如として開けた。

見覚えのある場所だ。まだ距離はあるが、前方には黒々とした水をたたえたダム湖が広がっている。

「良いね、非常に良い」

僕の回答に対してか、あるいは元の場所に戻ってきたことに対してかは不明だが、先輩が満足そうに言った。ご満足いただけたようで何よりです。

「あ、でも出来れば小洒落たとこじゃなくてラーメン屋みたいなとこが良いです」

僕の補足に、先輩が微かに笑った。いかん、このままでは僕だけ語り損じゃないか。

「そういう先輩は?」

ささやかな反撃に、先輩が目を瞬かせた。

虚を突かれたような表情に、罪悪感がなかったわけではない。

けれど、もしかしたら。

好きな人の――記憶も名前も思い出せないという、その空白を見つけるキッカケになればと、そう思ったのだ。

「俺か? 俺は――」

答えかけた先輩の言葉が止まる。その顔には見覚えがあった。

先輩の名前を呼ぼうとして、思い出せないことに愕然とする人達と同じ顔だ。


――コン


ささやかなノックの音がした。の方から。

「先輩……」


――心残りというか、トラウマみたいなのは、あいつらにとっちゃ恰好の隙だ。


コン、コン


ノックの音が力強さを増した。

「……先輩」

「いなくならないなら、それで良いよ」


コン、コン

――コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン


先輩の向こう側。ガラス一枚を隔てたところで、何かが蠢いているのが僕の目でもはっきりと見えた。

さらにノックの合間から、再びぼそぼそという声。今度は、若い女のようだった。

先輩が小さく溜息をつく。

「あんたは、違うんだよ」

小さな子供に言い聞かせるような声。


――――ダァン!


反抗するように、一際大きく窓が叩かれた。一瞬、車体が揺れる。

その時、僕ははっきりと見てしまった。

窓の向こうで蠢いているものは、赤黒い。五つに裂けた細くて長い棒。紅葉もみじというには大きく、表面が泡立ったようにでこぼこになったそれは――。


手。


白い、女の左手だった。

細い薬指には、泥に汚れた銀色の指輪が嵌められている。波のような模様が入っただけのシンプルなものは、見覚えのあるデザインだった。

そこで、ようやく車が旧道を抜ける。

片側一車線ずつの二車線道路。緩やかに右折した先には、ダム湖を渡るための橋がかかっている。五十メートルもない短い橋だ。


その橋の真ん中に、誰かが立っている。

女性だった。夏だというのに、白いコートを着ている。後ろ向きだから顔は見えない。

先輩がアクセルから足を離したのだろう、明らかに車のスピードが落ちたのがわかった。

女が振り返る。

綺麗な人だった。栗色の長い髪に、ほっそりとした顎。闇夜でもはっきりとわかる憂いを帯びた青い両目。


――いや、待て。なんでこんな暗いのに色がわかるんだ?


不自然さに気が付いた時、背筋が粟立った。

それに、あの青い色はどこかで似た色を見たことがある。

「先輩、あの人の目……」

呼びかけて、でも、それ以上は言えなかった。端が引き攣るほどに見開かれた赤い目。多分、彼に僕の言葉は聞こえていない。

「違うだろ」

先輩が呻いた。声が掠れている。

「勘弁してくれ。誰になろうが、あんたはもうこっちに来れないんだよ」

止まりそうだった車の速度が上がった。女の姿が近づく。

「もう死んでるんだから」

轢く――そう思った直前に、女性の顔がずるりと変貌した。

裂けるのではないかと思うほど、三日月形に歪んだ唇と目。

僕は、人間の顔面が表情だけでこんなにも変わるということを、初めて知った。

女の唇が動く。

何と言っているかはわからない。


その顔面がフロントガラスいっぱいに近づき――

音は、しなかった。


何の衝撃も音もなく、車は彼女を通り過ぎて橋の向こう側に辿り着いていた。

慌てて振り返ろうとしたが

「見るな」

と先輩が言ったので、止めた。

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