第9-13話 幽霊パトカー・再⑬

「ふーん。で、どうなったの?」

「偽善者と罵られ、殴られました」

「そうか」

 呆れているのかしれない。だが、素っ気ない返しが今はむしろ心地よかった。

「だから言ったでしょ。度を超した鈍さは罪だって」

「自分で自分の傷抉ってるぞ、お前」

 呆れたような先輩の指摘に、僕は目を伏せた。

「そいつとはその後連絡とったのか?」

「いえ。結局、それっきり卒業まで話せなくて」

「連絡先を知ってはいるのか?」

「一応……まだ相手が変えてなければ、ですけど」

「ダメ元で話してみろよ。――そういう心残りというか、トラウマみたいなのは、にとっちゃ恰好の隙だ。今みたいにな」


 言われ、僕は逡巡する。話してみたい、というのが正直なところだ。

 けれど、彼は許してくれるだろうか。

 先輩が鼻を鳴らした。


「相手がまだいるなら、話せるうちにすっきりさせておいた方が良いんじゃないか? その分だとお前、ちゃんと謝れてないだろ」

「……よくわりますね」

「良くも悪くも決着がついてたら、お前はそこまで悩まんだろ」

 よく分からない信頼のされ方に、今度こそ僕は小さく吹きだした。

「はは、そうかも。ありがとうございます」


 ――バン


 再びあの忌まわしいガラスを叩く音が後方から響き、僕は肩を跳ね上げた。

 だが、その音は不思議とさっきより小さくなったように感じる。

 先輩が口角を上げた。「いけるな」という呟きは、安堵というよりなぜか嬉しそうだ。

「お前、この週末は何する?」

「え、なななな、何ですか急に?」

「さっき言ったろ。雑談だよ。週末にやることを考えろ。何も用事がないなら用事を作れ」

 無茶な話の振られ方だが、確かにこの週末は暇である。幸い、時間があれば行ってみたい場所は幾つもあった。

「……マグリットの企画展を見に行きたいです。ファンなので」

「あー、そういえば何かニュースでやってたな。どこだっけ?」

国立くにたちですね。早くしないと次の巡回場所に行っちゃうんですよ」

 意外な趣味だと馬鹿にされるかと思ったが、先輩は「良いな」と微笑しただけだった。

「先輩は好きな画家とかはいますか?」

「あんまり詳しくないが……」

 先輩がハンドルを切った。急カーブでタイヤが擦れる音に混じって、何かが潰れる『グジャリ』という音が響いた気がする。

「――今、なんか轢きました?」

「気にするな。猫は七代だが、人は刹那的だ。どのみち、家系うちは俺で最後だしな」

「え、えっと……」

 とても気になる。というかこんな空間なのだから、それ絶対に生きてる人間じゃないでしょう。

 だが、振り返るわけにもいかないので僕は引き攣った笑みを浮かべて追及しないことにした。

「で、そうそう。画家の話か――ダリとかは割と好きだったな。あと、あれだ。なんか鳥とか魚の騙し絵のやつ」

「エッシャーですかね」

「多分それ」

 と、そこで先輩は顔をしかめた。

「ガキの頃の美術の授業でさ、白い人間と黒いのが円になってる絵を見せられたんだ。あれが妙に怖くてな、しばらく夢に出てきた」

 エッシャーの『出会い』だ。

 ずいぶんとマニアックなものを選定する教師もいたものである。もっとも、僕の知る限りでも美術や音楽の教師は変わった人間が多かったので不思議ではないが。それより、お化けを無表情で轢く人の口から「怖い」なんて単語を聞くことになるとは思わなかった。

 しかもその相手が、半世紀も前に死んだ画家の描いた絵なのだ。

「先輩でも怖いものあったんですね」

「前も言ったが、お前は一体俺をなんだと思ってるんだ」

「はぁ、すみません。でも、今でも覚えてるってことはけっこう真面目に授業受けてたんですね」

「それに成績は比例しなかったけどな」

「幾つだったんですか?」

 先輩が人差し指と中指を立てた。2。アヒルか。

「ちなみに十段階評価な」

「コメントに困ります。――話題変えましょ」

 そこで、道が下り坂になった。

 ジェットコースターに乗って、降りる直前に感じる浮遊感。あれを小さくしたような感覚だ。

 カーブを曲がる。左側からせり出してくるような岩肌と、暗い木々の合間で一瞬だけ山の下が見えた。

「あ」

 灯りだ。

 ガソリンスタンドやコンビニ、あるいは街灯。真夜中でも消えることのない灯りの群れが、眼下でキラキラと輝いている。

「スマホ」

 先輩に言われ、僕は慌ててポケットからスマホを出した。

 電源を入れるまでもなく、液晶の明るい光が車内をぼんやりと照らしだす。時刻は深夜の一時半を回ったところだ。

「圏外ですけど、電源はつきました」

「上等だ」


 ――ベヂャ


 喜びを嘲笑うかのように、また後ろから音がした。

 相変わらず窓を叩いているようだが、その音はさっきまでと違ってやたらと湿っぽい。


 ――バヂャンバンバンバシャバンバシャバン


 狂ったように連打する音の時々に、何かが潰れるような嫌なものが混じる。パニックホラーを観慣れてる視聴者ならベタな展開すぎて笑うかもしれないが、あいにくと僕らはスクリーンの向こうにいない身だ。

「わ、わわわわ話題……。そういえば、さっき話題変えるって言いましたよね。ち、ちょっと待って下さい。何か考えます」

 聴覚をゾンビ映画のような音に支配されたまま、僕は必死に他の話題を探す。自分でも、カラカラと脳みそが空回りしているのがわかった。

 落ち着くために、コンビニで買っておいたお茶を手に取り喉に流し込む。気にかける余裕もなかったが、喉の方もカラカラだった。

「じゃあ――」

 そんな僕を横目で見た先輩が、話題提供という名の助け舟をそっと押し出してくれる。


「好きな異性のタイプは?」


 出されたわだいの突拍子も無さに、僕は思い切りせ返った。

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