第9-9話 幽霊パトカー・再⑨

 夜になると、やはり交通量は一気に減る。

 九時くらいまではかろうじて何台かの車とすれ違ったが、以降は全くと言ってもいいくらい車影は見えない。

 その峠道で、僕らは本日五度目となるUターンをしていた。

 ギアをバックに入れながら、先輩がハンドルを切る。

「代わりましょうか?」

「いや、別に良い」

 このやり取りも、もう何度目になるだろうか。時刻を見ると、すでに日付が変わる直前である。どうりで眠くなってくるわけだ。申し訳なさも相まって俯くと、先輩が苦笑した。

「これで出なかったら、今日はこのまま諦めて帰るか」

「はい」

 東京方面に進路を取った車が前進を開始する。満月ということもあるのだろうが、夜の山といっても存外明るい。最初こそ暗がりで狸などの目が光って驚いていたが、今はもう慣れてしまった。

 ヘッドライトの白い光の中に、鬱蒼とした木々が浮かび上がっては後ろに流れていく。

「以前……」

「うん?」

「怪異は人が作る、と言われてましたよね」

「そうだな。それがどうした?」

 眠気覚ましも兼ねて、僕は今回の調査で感じていた疑問を先輩にぶつけてみることにした。

「なら、幽霊パトカーは『誰』によって『どうして』作られたんでしょうか」

 梅雨の時に出会った子供は『自身』の『帰りたいという想い』によって現世に留まり続け、怪異と呼ばれる存在に成った。

 首吊りの樹は『自殺者達』が『他人の目につかず折れにくいから』と選び続けた結果、『訪れた者を自殺に追い込む樹』という怪異にった。


 怪異とは、良くも悪くも人の業が形を変えたものなのだ。


「一緒に調べましたよね。この付近でパトカーの事故や警察官の死亡事案はありませんでした。でも、鳳の話や神崎が見せてくれたチャットにあった話が本当だとしたら――現世には存在しないはずのパトカーが、僕らが住んでいるのとは別の世界へと導くんだとしたら。一体、それは誰のどういった想いで現れてしまったものなんでしょうか」

 この付近で警察官の未練に繋がる事件があったのならわかる。あるいは、警察に恨みを持っても仕方のない事が起こっていたのなら。

 けれど、ここではのだ。

 現れた目的がわからなかった。いや、そもそも怪異に目的を求めること自体が間違っているのかもしれない。

 けれど、因果という言葉があるようにこの世の結果は必ず何らかの関係を持つものなのだ。

「僕にはこの案件が見えてきません。だからこれは仮定の話なんですけど。もし、ですよ。もしもメリーさんの時のように、誰かが意図的に他人を異界に迷いこませるためにこの怪異を作ったとしたら……」


 ――あの場所でいなくなった者は、必ず帰ってくる。数え切れないほどの人が信じたら、それはもう噂じゃない。信仰ですよ。信仰には力がある。目に見えない力が。


 脳裏で鳳の言葉が、あのかつえた光がリフレインする。

「僕は、そんなことをしている『誰か』の方が幽霊よりも恐ろしいです」

 先輩は何も答えなかった。しばらく、車内に沈黙が落ちる。


 ぱたり


 と、微かな音が静寂を破った。

 音は前方からだ。フロントガラスに、原因となったであろう水滴がついている。その雫が筋となって流れ落ちる前に、新たな音がぱたり、ぱたり、と次々に響く。

 先輩が無言のままワイパーのスイッチを入れた。緩慢に動きだした二本の棒が水滴を拭きとっていく。

「さっきまで晴れてたのに……。嫌なタイミングで降ってきましたね」

 無意識のうちに目は、さっきまで煌々と光を放っていた満月を探していた。

「狐の嫁入りかな」

 先輩の返答が脳に染みわたるより前に、僕の目にもそれは飛び込んできた。

 薄雲を引き連れて輝く白い月。

「え」

 僕が呆けたような声を出している間にも、雨足は強さを増したようだった。

 叩きつけるような音が車内に響き渡り、たちまちのうちにガラスを白く染め上げる。

 小さく舌打ちした先輩が、ワイパーの段階を一つ上げた。

 ゆっくりだったワイパーが急速に動きを早め、視界をクリアにしていく。


 ――そして、雨粒のカーテンが開けた先ではオレンジ色のテールランプが待ち構えていた。


 雨滴を反射して毒々しい光を放つ赤色灯が、夜の山を赤く染め上げる。音は無かった。


「仕事だ。アクセル吹かしていこうぜ」


 どこかで聞いたセリフを繰り返した先輩が、アクセルを踏み込んだ。

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