第9-8話 幽霊パトカー・再⑧
こちらが何か言うより前に、電話の向こうから声が響く。僕とは正反対の、ハキハキとした壮年男性の声だった。
「やっと繋がりましたね先輩。話したいってアピールしたのに全然連絡くれないから、我慢できずにこっちからかけちゃいましたよ。お久しぶりですお元気ですか? って、元気なんでしょうね。こっち来るって聞いたから、嬉しすぎて速攻で処理すませちゃいましたよ! しかもあれでしょ? 行くのって資料ナンバー百三十三。懐かしいなぁ~。覚えてます? あそこの道祖神で俺が」
「ちょちょ、ちょっと待って下さい」
僕の制止に、ようやく相手が違うと気が付いたのだろう。機関銃のような言葉がぴたりと止んだ。
「――誰だ?」
一拍おいて、その声が年相応の落ち着いたものに変化する。少年のようなテンションの高さに忘れそうになっていたが、話によると相手は県警本部長。しかも指定県だったはずなので、階級としては警視監にあたるはずだ。顔が見えなくてもわかる権力差に背筋が伸びる。
今さらながら、電話を代わりに取ったことをちょっとだけ後悔した。
「ああ、わかったぞ。君か、あの人の今の相棒は」
低い声。そこに宿っていたのは、紛れもない悪意だった。あるいは憎悪か。
ひゅっと喉が鳴る。どういうわけか、ロクに言葉を交わす前に僕は彼の地雷を踏んでしまったようだ。理由はわからない。
「あの」
「とんだ貧乏籤を引いたな」
風岡さんが嗤った。意味がわからず、目を白黒させる僕に向けて彼は忠告を発する。
「疫病神みたいなものだ。実体を持った怪異ほど
粘りつくような毒々しい声。だが、これは僕に対してじゃない。
「何しろ、私は彼と組んで死にかけたんだからな」
言葉とは裏腹に、なぜか少し嬉しそうだった。優越感、とでも言えば良いのだろうか。
真逆に歪んだ愛憎の感情についていけず、息が苦しくなる。
何だこれは。
「まぁ、せいぜい頑張りたまえ」
「待って下さい」
そのまま切られそうな雰囲気に、思わず僕は引き留めていた。
何を言いたいのか、うまく言葉は
「――僕にとっては、大吉です」
電話口の向こうで、微かに息を飲む音がした。ついで響いたのは、くつくつという笑い声。
「なるほどな」
さっきより、声の粘度が増した。画面から糸を引きそうなほどだ。
「君はあの人に似てる。俺とは正反対みたいだ」
また、ガラリと声色が変わる。どれがこの人の本性なのか判らない。
「似ている……?」
「悪意に鈍感なところ。人の善性を信じて痛い目を見るところ。――刑事には向かないな」
「そうかもしれません。でも、うちは警備部なので」
「真面目に答えなくても知ってるよ。君は面白い奴だな」
褒められているのか皮肉なのか。恐らくは後者なのだろう。
「君から先輩に伝えておいてくれ。近いうちに嫌でも会うことになりますから、とね」
一方的に告げ、今度こそ電話は切られた。
しばらく呆然と画面を見ていたが、思い返すと今さらながらに腹が立ってきた。
いくら偉いか知らないが、勝手に人の境遇を哀れむなんて一体何様だ。
苛立ちを誤魔化すためにハンカチで画面を拭っていると、横目でこちらを伺っていた先輩が苦笑した。
「すまんな」
「いえ、別に先輩が謝ることじゃ……」
途中まで答えて、なぜ先輩は謝ったのだろうかと気が付く。僕の言葉だけでは、何を話していたかなんてわからないはずなのに。
「……………あの、もしかして聞こえてました?」
「おみくじの話をしてたっぽいのだけは」
ああ、なるほど大吉か。納得しかけるが、それで謝罪はしないだろう。
「なんで謝ったんですか?」
僕の追求に、躊躇った末に先輩は答えた。
「いや――何かお前が珍しく怒ってるっぽいから」
「へ?」という間抜けな声が僕の口から漏れる。
「多分、あいつが何か怒らせること言ったんだろうなぁって思ったんだよ。けっこう好き勝手にずけずけ言う奴だったから」
「それだけですか?」
「それだけだよ。で、あいつに何言われたんだ?」
「僕は刑事には向かないそうです。それから、近いうちに会うだろうから、って。あとは──僕と先輩が似てるとも仰ってました」
「相変わらず意味がわからん奴だな。特に最後。声しか聞いてないのに、何で似てるかどうかわかるんだ」
「外見じゃないみたいです」
言って、僕は画面を拭い終わったスマホを元の位置に戻した。
「ところで、別に先輩の趣味を疑うわけじゃないんですけど。精神的に不安定な方にやたら好かれたりしませんでした?」
先程の風岡さんのちょっと危ない好意――だろう、恐らく――から連想した問いかけだったが、先輩は小さく唸った。
「お前は俺に喧嘩を売ってんのか。妻以外でモテたことはねえよ」
「え、そんなことないでしょう。だって神坂とか――」
「? なんでそこで神坂の名前が出てくるんだよ」
心底わからないといった風に眉根を寄せる彼に、僕はわざとらしく大きな溜息を吐いた。
可哀想な神坂。この調子では、先輩に気づかれることは無いのかもしれない。
「先輩、度を超した鈍さは罪ですよ?」
「その言葉、そっくりそのままお前に返してやるよ。というか、俺は一応既婚者だからな?」
冗談めかして言うが、彼の妻は数年前に姿を消しているのだ。それこそ、失踪届を出して死人にだって出来てしまうほど昔に。
「そういえば、お前は彼女とかいるのか?」
「いませんよ。たまに鬼城さんに合コンに連れて行ってもらいますけど『良い人だね~』で終わっちゃいます」
僕が合コンで得られる評価といえば、五割が『良い人』二割が『真面目』、残りの二割は『ちょっと怖い』。あとの一割は『
初めて貰った『面白い』という好感触評価が風岡さんというのが、ちょっと悲しい。
「まぁ、良い人って言われてるなら嫌がられてるわけじゃないんだ。気を落とすな」
先輩のフォローに「頑張ります」と僕は項垂れた。
そんなことを話している間にも、車外の景色は段々と緑が増えていく。まばらにあった人家と畑は姿を消し、代わりに増えたのは剥きだしの土壁と木々や蔦だ。
交通量はそこそこあるようで、真っ赤な西日の中をぽつぽつと車が走っていく。
その光景はどこからどう見てものどかな田舎の峠道でしかなく、怪異の片鱗すら見いだせない。
大きなダムの横を通り過ぎ、これまた怪異が起こると噂の長いトンネルを潜り抜けるが、特に何もおかしなところはなかった。
「鳳は夕方と言ってたが、思ったよりも交通量が多いな」
峠を降りた先のコンビニで車を停めた先輩が眉を寄せた。
「そういえば……鳳の家で幻覚みたいなのを見たんですけど。あの、先輩が紅茶一気飲みした時に」
「ああ」
「見えた景色は夜でした。多分ですけど」
しばらく考え込んでいた先輩は「よし」と頷いた。
「もうちょっと待つか。日が沈んだら戻るぞ」
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