第9-7話 幽霊パトカー・再⑦


 次の日。鳳の言っていた峠に僕らは調査に向かっていた。車で二時間、当然だが他県である。

「昨日すぐに手続きしたとはいえ、早くないですか?」

 警察組織には、管轄区域というものが設定されている。いくら心霊案件を取り扱っている部署が特殊資料調査室うちしか無いとはいえ、他県に赴く際には許可が必要だ。

 緊急性がないのでもっと待たされるのかと覚悟していたのだが、驚くことに朝イチには許可が出ていた。もっとも、狙うのは逢魔ヶ時なので出発したのは昼過ぎだったのだが。

「あそこのお偉いさんにな、元々うちにいた奴がいるんだよ」

 ハンドルを握った先輩の声はげんなりとしている。

「それって、もしかして『風岡』さんですか?」

 ますます嫌そうな顔をした先輩の顔を見れば、答えは聞かなくてもわかった。よほど苦手な相手なのだろうか。

『風岡』さんを知るきっかけになった今朝のやり取りを、僕は自然と思い出していた。


「風岡から連絡がいくかもしれんぞ」

 管轄区域外への調査認可が下りたことを先輩に告げた後、主任が付け加えた中にその名前はあった。

 自然さを装っているが、その声は苦り切っている。

「……それって、もしかして今回の認可と関係があります?」

「残念ながら大いにあるな。あいつ、今はあの県の本部長してるそうだ」

「ずいぶんと偉くなったもんですね」

「そりゃ、あいつはキャリア組だったからな。それくらいにはなるだろう」

 迂闊だった、と溜息を吐いて主任は手近にあった事務椅子を引き寄せた。行儀悪く背もたれに頬杖をついて腰を下ろした彼は続ける。

「俺の方に直に連絡がきた」

「偉くなると大変ですね。ご愁傷様です」

「他人事だなオイ。次はお前のとこだって言ってるんだよ」

 主任、と言われてはいるが実質彼の地位はもっと高い。正式な名称は室長だ。つまりここ、特殊資料調査室の最高責任者。

 ではなぜ『主任』と呼ばれているかと言うと、それはとても簡単には説明できない。この室の特殊で歪な成り立ちとか、この形に落ち着くまでの諸々とか、主任の経歴とかが複雑に絡んでくるからだ。

 その件については僕もあまりよくは知らないが、もっと小さい部署だった時代の名残だという。


 とにかく――風岡という人はこの室のトップを真っ先に捕まえたらしい。


「で? 何て言ってたんです」

「別に。大したことは言ってなかったな。『久しぶりに資料室の名前を見たから、懐かしくなって電話しました』だとよ」

 微かに先輩の顔が曇った。

「何考えてんだ、あいつは」

「知らん。だが、お前とも久しぶりに喋りたいと言ってたからな。覚悟しといた方が良いぞ」

 一方的に話を切り上げ、主任は自分のデスクへと戻っていった。


 という一部始終を、隣にいた僕は聞いていたのである。


「風岡さんとどういう関係だったんですか?」

「それは」

 先輩が答えかけた時、車内にやたら重厚で不安な感じの音楽が鳴り響いた。

 帝国のインペリアルマーチ。

 恐らくは映画に疎い人間であっても一度は耳にしたことのある、某暗黒卿のテーマソングである。

 音源はコンソールボックスに置かれている先輩のスマホからだった。

 液晶に表示されている名前は『風岡 秀一』。噂をすれば影とは、よく言ったものだ。

「誰から?」

 顔を前方に向けたまま先輩が問う。

「えー……と」

 ものすごく言いにくい。だが、いつまでも暗黒卿を登場させ続けるわけにもいかないだろう。

「風岡さんからですね」

「………………」

 ものすっごく嫌そうな顔をされてしまった。

 聖人君子ではないが、先輩は誰とでもそこそこ良好な関係を築けるくらいの心と器の広さは持っているはずである。


 この人がここまで嫌がるなんて、一体どんな人なのだろうか。


 よこしまな好奇心がちらりと頭をよぎる。

 行進曲はまだ続いていた。そろそろ二巡目になるだろう。

「出ましょうか?」

「ああ、いや」

 彷徨さまよわせた先輩の目に、微かに――本当に微かに、苦しそうな色が浮かぶ。

 そして、僕はこの感情が何からくるものかを知っていた。かつて鏡の中で嫌になるほど見たものだ。


 罪悪感。


 正体に気が付くと、好奇心は飛んでいた。あんなもの、心の準備もなしに向き合うものじゃない。

「じゃあ取ります」

 歯切れの悪い返事を良いように解釈し、僕はスマホを取りあげた。

「あ」とか何とか聞こえたが気もしたが、聞こえないフリをして受話ボタンをタップする。

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