第9-4話 幽霊パトカー・再④

売れっ子の小説家なのだから、さぞやすごい屋敷なのだろう。

そんな僕の予想に反し、着いたのは住宅街に埋没するように立つ一軒家だった。

橙色のセラミック瓦に、クリーム色の外壁。屋根色にあわせたドアの傍には、小さな鉢植えが置いてある。詳しくはないが、恐らくは季節の花だろう。白いトランペット型の花が風に揺れている。

「ここ、ですか?」

事前に教えられていたように、駐車場の空いていたスペースに車を入れさせてもらい、僕らは車を降りた。

夏の日は長く、もう16時を過ぎているというのにくっきりとした影が白い日差しの中に落ちる。蝉の声が減った以外は、時間の経過を感じるものはあまりない。

「そうらしいな。意外か?」

「少しだけ。もっとすごい家に住んでるものだと思ってましたから。――押しますね」

インターホンを指さして確認すると、先輩が頷いた。そのまま指を近づけてボタンを押し込むと、聞き慣れたチャイム音が家の中から響く。

「――はい」

微かなノイズの後にスピーカーを通して答えたのは、老いて嗄れた女性の声だった。淡々と彼女は続ける。

「どちら様でしょう?」

「ご連絡させていただいた、特殊資料調査室の者です。鳳先生はご在宅でしょうか?」

若干の沈黙。アポは取っていたはずだが、やはり警察の訪問というのは歓迎されるものではないらしい。

ブツリ、とインターホンの受話器を切る音がしてほどなく。玄関ドアの方で、唸るような微かなモーター音と金属音が聞こえた。

「一般家庭で電子錠かよ」

防犯意識高すぎだろ、とぼやいた先輩が門扉に手をかける。

「何も言われてないですけど、いきなり入って良いんですかね……?」

「経験から言って」

門に手をかけたまま、先輩が振り返った。

「わざわざ出迎えを寄越すようなところなら、『お待ち下さい』くらいは言う。無言で切られたってことは『勝手に入れ』ってことだろうよ」

「はぁ」

先輩の言葉を証明するように、家からの物音一つ聞かないまま僕らは玄関ポーチにまでたどり着いていた。

靄のように蠢く蚊柱に辟易しながら、念の為にと玄関横のインターホンをもう一度押してみる。

赤みを増した日差しの中、ピンポーンという間抜けな音が響き渡った。

だが、それだけだ。

さっき応答されたのが嘘のように、家の中はシンと静まり返っている。


まるで廃墟のようだ、と。


そこまで考えたところで、自分の想像に背筋がぞくりと粟立った。

そんなはずはない。さっきまで、確かに人はいたのだ。

なのに、何故僕は『廃墟』なんていう言葉を連想してしまったのか。

「仕方ない。は、入りましょうか」

震えた声を誤魔化すように、玄関ドアの取っ手に僕は手をかける。

金属のひやりとした感触を掌に感じた時だ。

一瞬だけ、蝉の鳴き声が途切れた。僕が戸惑いを表すより早く


---カナカナカナカナ


代わりに鳴き出したのはひぐらしである。

黄昏時。先程よりずっと赤くなった周囲の景色の中で、蚊柱の羽音が妙に耳に障った。


タイミングの問題だ。けれど取っ手にかけた手を、僕はどうしても動かせなかった。

目の前の扉が開いてしまうことが、僕にはひどく恐ろしく感じるのだ。

「おい」

先輩に腕を引かれ、弾かれたように手を離した。

まるでそれを待ち構えていたかのように、内側から扉がゆっくりと開く。

ぽっかりと空いた隙間から顔を覗かせたのは、腰が曲がり、顔の左側が醜く潰れた老婆だった。

思わず後退った僕の前で、老婆は音もなく扉を開き切る。閉じないよう固定を済ませた彼女は、やはり音もなく背を向けた。


「どうぞ、お入り下さい」


抑揚のない枯れた声に促された先には、薄暗い廊下が続いていた。

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