第9-2話 幽霊パトカー・再②
「プロビデンスの目だな」
唐突に言ったのは、僕の隣で一緒に画面を覗いていた先輩だ。
昼前の室内。大多数の所員が出払っている中で、その声はやけにはっきりと響いた。
もっとも、ただの所感のようで、特にそれ以上説明する気はないらしい。ずるずると手にした野菜ジュースを啜る彼に、僕は追加説明を求めた。
「何ですか、それ?」
「このアイコンだよ。『神の目』とか『神の全能の目』って意味を持つ、キリスト教の意匠の一つなんだがな。それで神隠しを語るとは、ブラックユーモアというには笑えんなと思っただけだ」
「へぇ。これ、そんな意味があったんですか」
どこぞの秘密結社も同じシンボルだった気がするが、そんな大層な意味があったとは驚きだ。
しげしげとアイコンを見ていると、神坂がスマホを引っ込めた。
「あとは有料でーす」
冗談めかして「きゃっ」と笑う彼女に、僕は溜息をついた。一体何を要求するつもりだ。そもそも、話を振ってきたのはそっちではなかったろうか。
「どうですか、参考になりましたぁ?」
周囲にピンクのお花を幻視しそうな甘い声で、神坂が先輩を見上げた。
なるほど、狙いはそっちか。
「そうだな。こういうクローズドな場所は情報が拾いにくいから、ありがたい」
「わーい、お役に立てて良かったです。一応スクショも送りましょうか?」
「そうだな、頼む」
わかりやすく顔を輝かせた神坂が、いそいそと画面を操作する。そういうところは可愛らしいし、微笑ましくすらあった。
「送りましたぁ!」
元気よく神坂が報告したのと同時に、ピロンという軽快な音が鳴った。
「ありがと」
受信した画面を確認した先輩はしかし、意外そうに目を瞬かせた。神坂はというと、期待と不安が入り混じった上目遣いで先輩を伺っている。
何だ、一体何を一緒に送ったんだ。
ものすごく気にはなるが、尋ねるのも憚られる。かといって、勝手に覗くなんていうのは言語道断だ。いやでも気になる。
内心でヤキモキしている間に、液晶の表示を切った先輩がスマホをポケットに仕舞った。
「お安い御用だ、調べとく」
さっきに倍する花が神坂の周囲に飛んだ――ような気がした。
「やったぁ! ありがとうございます。楽しみにしてますね!」
これはさすがに僕でもわかるぞ。恋する乙女の顔ってやつだ。
満足したらしい彼女は、スキップでもしそうな足取りで自分の席へと去っていく。その背中を見送りながら、僕は先輩に尋ねた。
「調べものなら、お手伝いしますよ。どうせ情報の見返りでも要求されたんでしょ。何だったんですか?」
「ん? あー、さっきのか。別に大したことじゃない、気にすんな」
「……そう、ですか」
疎外感を覚えなかったといえば嘘になる。だが、それを表に出すほど僕だって子供ではない、と思う。渋々頷いたところで、ずっと視界におさめていた神坂が振り向いた。
「あ、そうだ!」
踵を軸にくるりと半回転した彼女の動きに沿って、長い髪がふわりと弧を描く。
「週末くらいまで、車を運転するのは逆にした方が良いと思いますよぉ」
「それは女の勘か?」
「いいえ、強いて言うなら神坂真由美の勘です」
軽く胸を張って言い切ると、今度こそ彼女は自分の椅子に座った。
詳しく聞こうとしても無駄だろう。彼女のアレは、本当に『何となく』という漠然としたものなのだ。
それにどのみち、ちょうど部屋に戻ってきた主任に呼ばれたので、これ以上の会話を続けることは出来なかったであろう。
僕と先輩を揃って呼びつけた主任が命じたのは、折しも話題に出ていた幽霊パトカーの再調査だった。
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