第8-2話 後輩 ー結ー
「ところで、白い恋人以外は無いんですかぁ? ちなみに私、好き嫌いとかアレルギーはありませぇん!」
僕の後に隠れながら、神坂が上目遣いに生口さんを見やる。あざとい。あざといが、可愛いことは認めざるを得ないだろう。
視界の端ではカールした茶色の髪が揺れるし、何か良い匂いがするので僕としては落ち着かないのだが。
「じゃあ追加だ。四十八時間以内に食べて」
きらきらとした目で出された両手に、青い保冷バッグが載った。ちなみに、載せたのは生口さんではない。
「あ、先輩。お帰りなさい」
「おー、そっちもお疲れ」
生口さんの後から、遅れて来たらしい先輩がひらひらと手を振る。僕らの代わりに生口さんに同行していたのだ。
それも僕が神坂の初期研修に付き合っていた理由の一つである。
理由その四。
ここ数週間でやたらと増加した厄介事案に、相方である先輩が引っ張られていた為、僕が余っていた。
「ルタオのチーズケーキじゃないですか。どうしたんです、これ?」
「
そこで、呆気に取られたような神坂の視線に気づいたのだろう。軽く首を傾げた。
「新人か?」
「は、はいぃ! 四日前に配属されました、神坂真由美と申します!」
「四日前……?」
けっこう前だな、と宙を睨んで唸る彼に、僕は言った。
「先輩、月曜から順にどこにいたか思い出して下さい」
「あー、そういや長崎いたな。それから大阪行って……」
「一昨日に私と合流して青森行って、北海道でしたね」
後を引き継いだ生口さんの言葉に、何とも言えない沈黙が落ちる。先輩が真顔で僕に向き直った。
「もしかしなくても、四日ぶりか」
「僕からすれば二日ぶりですね。水曜に午前中だけ出てきて報告書作ってたの見たんで」
「そうだっけ?」
「そうです。しっかりして下さいよ。現在地まで無くされたら、探しにいけないでしょ」
僕の言葉に先輩が笑った。そこに
「あのぉ、これ……」
おずおずと割り込んだ神坂が、困ったように保冷バッグを掲げる。なぜかやたらとしおらしい。
「ああ、余分に買ったからあげる。着任おめでとう。資料室にようこそ」
元から話し込む気はなかったのだろう。それだけ言うと、先輩は「じゃ」と僕らの前を横切っていった。
生口さんも軽く会釈し、同じように去って行ってしまう。二人の後ろ姿が見えなくなった途端。
「………いるじゃないですか」
神坂がぽそりと言った。振り返ると、拗ねたような顔をしている。
「もっと私と年の近い人、いるじゃないですか。むしろ同じくらい? 彼女とかいるんですかね」
手にのせた保冷バッグに顔を埋めるように近づけ「うふふ」と謎の笑いを浮かべる
「夢を壊すようで悪いけど、あの人は僕より年上だよ。あと左手の薬指見た?」
「え」
呆気にとられた顔から察するに、予想外過ぎてチェックしていなかったらしい。確かに最近は晩婚化が進んでいるし、無理もないだろう。
「なんだぁ。せっかく面白そうな部署に来れて、彼氏もゲットできるかと思ったのにぃ。アテが外れました」
がっくりと肩を落とす彼女の言葉に、今度は僕が目を瞬かせる番だった。
「面白いって…。怖いの平気なの?」
「むしろ好きですねぇ。大好きです。自分でオカルトスポット回ったことはまだありませんけど、都市伝説とか怖い話を集めてるサイトとかよく覗きますもん。それに」
「それに?」
顔を上げた神坂は何かを試すように、にんまりと笑った。
「霊感ってほどじゃないんですけど。私、ちょっとそういうの得意なんですよぉ」
「へぇ」
「あ、信じてませんね? まぁ、霊がくっきりはっきり視えるとかじゃないんですよ。どっちかというと第六感? 的な? なーんかこの人悪いこと起こりそうだなとか、そういうのがわかっちゃうんですよねぇ」
「それはすごいな」
本心からの言葉だったが、彼女のお気には召さなかったらしい。あからさまに面白くなさそうな顔をされた。
「むっ、やっぱり信じてないですね」
「いや、信じてるよ。驚く程じゃないってだけで」
「本当ですかぁ?」
「本当だって。さっきの先輩とか、ばっちり視える人だし」
「ほぇ」
ぽかんとする神坂の顔が、次第に紅潮していく。それが興奮のためだとわかるのに、しばらくかかった。
「何ですか、なんですかそれえええ! ますます興味わくじゃないですか。あ、というか名前! 名前とか聞きそびれたんで教えて下さいよぅ!」
握り拳をぶんぶんと上下させて捲し立てる彼女には悪いが、即座に出てくるようなら僕だって苦労しない。
「覚えてないんだよね」
「えぇ? 冷たっ! って、そんなわけないでしょうが! 意地悪言わないで教えて下さいよ」
神坂は大げさにのけ反るが、本当である。
名刺入れを開きながら、僕は溜息をついた。目に入るのは様々な名前。
それらが入っているのとは別に設けられたポケットに、一枚だけ突っ込まれた名刺を引き抜く。
他の人の名刺と一緒にすると、彼の名前はすぐににわからなくなって埋没してしまう。そのことに気づくまでしばらくかかったので、先輩の名刺は三枚ほど余分にどこかに入っていたりする。
「本当だよ。あの人は、そういうものなんだ」
「むー」とか「えー」とか、胡乱な声の彼女はまだ信じていないらしい。その鼻先に、僕は先輩の名刺を突き付けた。
「良い? よく見て。覚えたかい?」
「あったり前じゃないですか」
呆れたように神坂が鼻を鳴らす。僕は名刺を仕舞った。
「それじゃあ、先輩の名前を呼んでみて」
「はぁ? 何言ってんですか。そんなの――」
口を開いた神坂は凍りつく。
彼女の顔には「そんな馬鹿な」という表情が、畏怖と共に張り付いていた。
――ああ、本当に。かつての自分を見ているようだ。
喉を上下させた神坂が「なんで…?」と掠れた声で問うた。
限界まで見開かれた目には、僕が映っている。
彼女の『心』には、僕はどう映っているのだろう。
「彼は僕たちの行き着く先だよ」
かつて言われた言葉を、僕もまた繰り返す。
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