第6-12話 メリーさん ー結ー
「…………暑い」
容赦なく照り付ける陽気が、道路から陽炎となって立ち昇る。
昨夜の雨は午前中で蒸発し、今は雨上がりの湿気と夏の太陽がひたすら不快指数を上げ続けていた。
病院前のロータリーを行き来する人も、どこか気だるげで、ふやけたラーメンのように覇気が無い表情だ。
かくいう僕も、同じようなものだろう。
「……………暑い」
言ったところでマシになるはずもないのだが、再び繰り返す。
心頭滅却なんて嘘だ。入り口近くの日陰に退避しているとはいえ、やはり暑いものは暑い。
もっとも、これは僕が選んだことでもある。本来なら建物の中で待っていても良いのだが、どうにも居心地が悪くて先に出てきてしまったのだから。
今朝も面会時間になるや否や、僕は報告がてら病院に駆け込んでいた。しかし、今日が先輩の退院日だったというのを失念していたのだ。
もっとも、僕が顔を見せた時点で結果は明らかだったので、報告することはほとんど無かったわけだが。
先輩は「とりあえず良かったな。お疲れ様」とねぎらってくれた。
それからの退院手続きやら何やらを手伝おうとしたのだが、むしろ妙に手馴れている彼の足を引っ張るだけだったので、仕方なく荷物を持ってここで待機している。
ぼんやりと病院を出入りする人の流れを見ていると
「お兄さん、無事だったんだね」
真下から響いたあどけない声に、僕の意識は引き戻された。
聞き覚えのある少女の声、見覚えのある編みこまれた黒髪。くるくると動く利発そうな瞳が僕を見上げていた。
「おはようございます」
にっこりと片方だけの目を細める光葉叶子に、僕は自分の身体が固くなるのがわかった。
「……おはよう。こんな所にどうしたのかな?」
今日の彼女は私服だった。真っ白なワンピースが目に眩しい。
「お見舞いに来たのよ。でも、少し遅かったみたいね」
言って、彼女は手にしていた濃い青とオレンジの花束を僕に押し付けた。甘い香りが鼻をつく。「みんなで選んだのよ」と彼女は妙に楽しそうだ。
「よく知っているね」
「奥村さんに聞いたの。でも、お兄さんが無事だったのには驚いちゃった。頑張ったのね」
にこにこと無邪気に笑う少女に、僕は少しムッとした。そもそも、先輩の言葉通りなら元凶は彼女という事になるのだ。
「あれは、君のせいだね」
大人としての自制心を精一杯働かせ、僕は出来るだけ穏やかに彼女に語りかけた。
いたずらが見つかった子供そのものの表情で、光葉は小さく笑う。
「バレちゃった。警察の人ってすごいねぇ」
「あまり、大人をからかっちゃいけないよ」
「どうして?」
花束の向こうで、少女が笑う。
「あたしはからかってないよ。
彼女が言葉を発した瞬間、すべての音が遠くなる。
陽炎のように周囲の景色がぼやける中で、明瞭に少女の声だけが響いた。
「小学校に池なんて無かったし、そこで溺れた生徒がいるっていうのも嘘。ごめんなさい。でもね、作ったのはあたしじゃないよ」
「じゃあ、誰だ………?」
掠れた声が僕の喉から漏れる。
「千尋ちゃん」
告げられた名前は、最初に死亡した女児の名前だ。
「でもね、おかしいの。千尋ちゃんが作ったお話から、一つだけ変わっちゃったところがあるんだ」
「どこだ?」
僕は阿呆のように問い返すことしかできなかった。
光葉が小さく首を傾げる。前髪の隙間から覗いた青い瞳が、細められた。
「最後」
面白がるように声を弾ませ、少女は語る。
「おかしいよねぇ。千尋ちゃんが作ってあたしが広めたお話には、「聞いた人のところにメリーさんが来る」なんてものは無かったのに。だからね、死んじゃった警官の人のところにも、他のたくさんの子達のところにも、メリーさんは来れなかったはずなのよ。だってあの子は、花壇での電話でしか喚び出せない怪異として生まれ落ちたんだもの」
どういうことだ。彼女は何を言っている。
「もっとおかしいのはね、その話が流行りだしたのは千尋ちゃんが警察に行った後なんだよ。まるで、誰かが特別な意図を持って最後を付け足して広めたみたいじゃない? 最後まで話を聞いた人のところへ行くようにって」
ゆっくりと嫌な予感が広がる。すぅっと身体の芯が冷えていく。
「千尋ちゃんの話を聞いてくれた警官の人はね、二人いたんだよ。でもね、先輩の方は途中で『大人をからかうな』って出ていっちゃったの。さっきのお兄さんみたいね」
――どうか、彼の分までこの事件を解決して頂けたら――
小さくなった背中が、その言葉が脳裏に踊る。
そういえば、どうして彼は電話してきた時「気を付けて」なんて言ったのだろう。
まるで、何かが起こることを予見していたかのように。
「メリーさんねぇ、自分のことを信じてくれない大人が大嫌いなの。だから、きっと行っちゃったんだろうねぇ」
『怪異は人が作るんだ』。
いつだったか先輩が言っていた言葉が甦る。
より沢山の人が信じ、選ばれたからメリーさんの怪異は成立してしまった。
自分が逃れるために怪異を改変し、広めた一人の男の手によって。
達した結論に、頭がくらくらする。強い花の香りが、いっそう脳を痺れさせた。
光葉が申し訳なさそうに、ちょっと顔をしかめる。
「お兄さんは巻き込んじゃってごめんね。でも、魔人さんはあの子達に嫌われてるから無理だし、奥村さんはお父さんでしょう? だから、焦点を合わせるのはお兄さんしかいなかったの。でも、多分もう大丈夫。だって、あの人も最後まで聞いたから」
言い終えると、光葉はパッと笑顔を見せて身を翻した。
「じゃあね、バイバイお兄さん。また会えたら良いね」
制止する暇もなかった。
彼女の姿はあっという間に遠ざかり、代わりのように現実の音が戻ってくる。
人のざわめき、蝉の鳴声。うだるような太陽の熱。
まるで白昼夢から覚めたように、僕は目を見開いて固まっていた。
どれくらい、そうして立ち尽くしていただろう。
目の前に黒い影が落ちた。
「どうした、ぼーっとして」
見慣れた黒服姿の先輩が、僕の肩からひょいと荷物を取った。
「あ……! ちょっと、僕持ちますよ」
「いらん。預かってもらったのは助かるが、自分の荷物くらい自分で持てる」
「でも、色々お世話になったし」
「それはそれ、これはこれだ。むしろ今度、鬼城に飯でも奢ってやれ」
一蹴した先輩は、そこでふと気づいたように僕の手にある花束を見た。
「何だ、それ? いつの間に出したんだ」
「え、ああ……これ。先輩へのお見舞いですよ。多分」
「ふぅん」
しげしげと花束を見下ろしていた先輩が、唇をつり上げた。
つられてよく見れば、その花束が妙に歪なことに今さらながら気が付く。
一部には造花らしきものもあるし、ドライフラワーにした柘榴の実まで混ざっている。色も大きさもまちまちで季節感の狂ったそれは、調和性に欠けているだけではない、何か強烈な意思を漂わせていた。
「リンドウにオレンジ百合、オダマキに柘榴の実ねぇ……この白い造花は夕顔か? 良い趣味してるじゃないか」
「よくわかりますね。僕、百合くらいしかわかりませんよ」
「調べてた時期があるんだよ。しかし、どれもお前には似合わんな」
「む、悪かったですね。どうせ僕は花より団子ですよ」
「そりゃ俺もだ」
花束に手を伸ばす先輩から、僕はさっと身を引いた。
「駄目です。軽い荷物持ちくらいさせてくださいよ、一応病み上がりでしょうが」
抗議して花束を抱えなおすと、僕と先輩の間にぽとりと黒いものが落ちた。
僕が反応するより早く、先輩が身を屈めて拾い上げる。
それは、花束から零れたであろう見事な赤黒い薔薇だった。
「……本当、良い趣味してる」
くるくると花を弄んだ彼が背を向ける。
夏の日差しで焼け付く中を、僕もその背中を追った。
――奥村さんの訃報を聞いたのは、その日の夜遅くだ。
溺死だった。
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