第6-6話 メリーさん⑥
「食中毒、ですか?」
「そう、食中毒」
繰り返した主任は、さらに続けた。
「検査の結果、カンピロバクターとサルモネラだってさ。何か心当たりは?」
「……そういえば、昨日一緒に親子丼食いましたね」
「それだよ」
重く深いため息をつき、主任は僕を見上げた。
「君は何ともないの?」
「ええ、まぁ。今のところは」
「ふぅん。同じところで同じもの食べたのに、不思議だね」
あっさりと「不思議」の一言で片付けると、主任はそれきり興味を失ったようだった。この部署で働いていると、たいての不思議は不思議ではなくなる。
「どれくらい入院するんですか?」
「三、四日だとさ。――その間、誰かいる?」
僕は、少し考えて首を振った。急ぎで解決しないといけない事案がほとんどないのがこの部署の長所でもあり、不安なところでもある。
「いえ。報告書も溜まってきてたんで、しばらくはデスクワークに集中します」
「ま、そうだよね。何なら、君も休んで良いよ。どうせ有給溜まってるでしょ」
「考えておきます」
そんな会話を交わし、自分のデスクに戻る途中のことだ。ポケットに入れっぱなしにしていたスマホが震え、着信を知らせた。
画面を確認した自分の眉が寄るのがわかる。
非通知だ。
無視しようかとも考えたが、かなり長い。仕方なく、通話ボタンをタップして廊下に出る。
「もしもし?」
名前を告げずに応答するが、電話口の向こうは無言。もとい、無音。
サー、という微かなノイズみたいな音がしばらく続き、電話は唐突に切れた。
いたずら電話だろうか。あるいは間違い電話。いずれにしても、不快であることに変わりはない。
「何だよ。一言くらい言えば良いのに」
思わず口をついた不平と共にスマホをポケットに捻じ込み、僕は室内に戻った。
昼になる頃には書類作成がはかどったこともあり、電話のことなんてすっかり忘れていた。
ちょうど、先日調査した首吊りの木についての報告書を書き終わった時だ。
再び着信音が響いた。
朝のことを思い出し、眉間に皺が寄る。相手を確認すると、先輩からだった。
慌てて画面を操作し、スマホを耳元に持っていく。
「先輩、どうしたんですか」
若干の沈黙。何かを飲み下すような微かな嚥下音の後、聞き慣れた声が答えた。
「お前、何もなかったか?」
唐突なのはいつものことだが、今回はひどい。主語どころか、具体的な内容すらまったくわからない。
「何かって……なんですか?」
電話の向こうで、再び沈黙が広がる。ややあって
「体調が悪くなったり、知らない相手から電話がきたり――そういう感じのことだ」
と、歯切れ悪く言った。
知らない相手、というと今朝の電話も入るのだろうか。だが、特段おかしいと騒ぐほどでもなかったと思う。
話に聞いていた水音もしなかったし、おかしな音や声も入っていなかった。
「別に何もありませんでしたよ。先輩こそ、大丈夫ですか?」
電話口の向こうで笑った気配がし「俺は問題ないよ」と告げられ、僕は溜息をついた。
「あのね、入院でしょ。そっちの方が問題ありですよ。ちょっとは自覚して下さい」
「医者が大げさなんだよ。あと――」
言いかけた言葉が、途中で止まる。
「あと、何です?」
「……いや、何でもない」
素っ気なく返されるが、声にいつものふてぶてしさがない。言葉の間にも、たまに変なタメが入っている。相当参っていそうだ。
「それより、お前――本当に何もないのか?」
明らかに話題を逸らすためのものだったが、僕はのることにした。
「だから、何もありませんって」
病は人を弱気にさせるというのは本当なのかもしれない。
しつこく食い下がってくる先輩に、仕方ないなぁ、と僕は苦笑した。
「仕事終わったら見舞いに行きますよ。何か欲しいものあります?」
「特にない。それより、何か妙なことあったらすぐ連絡しろ。良いな? わかったな?」
「わかりましたよ。わかったから、ちゃんと休んで下さい。それじゃ」
何か言いかけた先輩を制し、僕は通話を切った。
スマホを仕舞おうとし、ふと電話のアイコンにバッジ通知が灯っていることに気が付いた。見てみると、履歴欄と留守番電話にそれぞれ一件ずつ表示がある。
どうやら、先輩と話している間に誰かが電話をかけてきて、留守番電話にメッセージを吹き込んだらしい。
履歴欄の番号は「非通知」。
少し、嫌な予感はした。
再生ボタンを押すと、朝と同じサーという音が耳元で流れる。
やはり悪戯だろうか?
そう思った直後「ごぼり」という音が出し抜けに響いた。
「わ、わっ……!?」
驚き、咄嗟に耳元からスマホを離す。
恐る恐るもう一度耳にあてるが、メッセージはそれで終了したのか、もう何の音も聞こえなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます