第3話 お迎え

僕らの部署は、怪異の解決を目的としていない。


あくまでもその蒐集と実体の調査が主たる業務となる。だから、僕を含めて霊感がある人間なんていないに等しい。

いない、と明確に断じれないのは先輩のせいである。

彼は、僕らに見えないものを視て、感じている。


こんなことがあった。


配属されて早々の梅雨の時期だ。足跡の調査に行った。

誰しも、雨上がりの路面に四角く乾いた跡を見たことはあると思う。車が停まっていたせいで、そこだけ路面が濡れずに浮かび上がっているアレだ。

僕らが聞いたのは、その足跡バージョン。


雨の中で、足跡の形に路面が濡れずに残るのだ。


「先輩、何ですかそれ」

「傘」

それは見ればわかる。僕が言いたいのは、どうして右手で傘を差しながら、左手にも傘を持っているのかということだ。

それもコンビニではなく、わざわざ駅前のスーパーで買った子供用のファンシーな柄だ。彼は僕より年下に見える外見だが、何しろ着ているのが喪服みたいな黒スーツである(後に本当に喪服だと判明した)。目立つことこの上ない。

現場は駅から徒歩圏内の、ビルの前だ。

何てことないオフィス街にある、何てことないオフィスビル。高い建物が冷たく見下ろす中に、その足跡はあった。

不思議だなぁ、と思っていると、子供用の傘を出し抜けに広げた先輩が言った。


「迎えに来た。一緒に帰ろう」


答えるように突然吹いた風が、雨と共に傘を巻き上げ、僕の視界を奪う。

目を開けると足跡は消え、傘も無くなっていた。


それから数日間。たまに先輩は、何かを撫でるように手を虚空で動かすことがあった。

その位置が、ちょうど子供の頭くらいの位置なのだ。

「認知症の人間が、『家に帰りたい』って徘徊することあるだろう?」

梅雨が明け、手を動かさなくなった頃に彼は言った。

「自宅なのに、帰りたがるんだ。不思議だよな。そういう時は否定したり怒ったりせず、『お家に帰りましょうね』ってその辺を一緒に歩いて、元の場所に戻ると安心するんだとさ」

「ええと、つまり?」

片目だけ色が異なる目をすがめ、先輩が笑った。

「死ぬ直前も、死んでからも人間は変わらないってことだ。生者が訴えると駄々になるが、死者の未練は怪異になる」

報告書を纏めるための追加調査で知ったことだが、あのビルの前では子供が死んでいた。親を待っている間に自転車に跳ねられたらしい。


だから先輩は「帰る」と言ったのだろう。

しかし――

「あの、何かこう……悪霊的なのだとどうするつもりだったんですか。取り殺されたりしません?」

考えもしなかったのだろうか。先輩はぽかんとした顔で、僕を見上げてきた。

「大丈夫じゃないか? 生存本能にはあいつら忠実だし」


それ以上は怖いから聞いていない。

代わりに『幽霊にも存本能という言葉は使えるんだろうか』、と僕は現実逃避にいそしむことにしたのだった。

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