第12話


 仕事へ向かうための準備をして、太郎ちゃんの家から帰ってきて1時間もしないうちに再び家を出た。


 いつもよりギリギリの出社になったけれど、彼が目を冷やしてくれたおかげで少しはマシな顔になっていた。


 周りの人に挨拶をして自分の席で一息つく。

 ホッと安堵したのもつかの間──誰かに肩を叩かれた。


「……石川さん、今大丈夫?」

 そう声を掛けられて、何気なく振り向いてから後悔した。


 ……まあ、そうなるよね。


「及川さん……」


 彼の目を真っ直ぐ見れないけれど、軽く頷いてさっき座ったはずの席を立つ。



「──昨日の彼は、本当に恋人なの?」


 非常階段に連れて来られ、彼が口を開いて始めに出た言葉がこれ。


「……はい」


 太郎ちゃんがせっかく彼を遠ざけるためにとってくれた行動を無下にするわけにもいかない。


 彼の顔を見ずに答えれば、両手で頬を包まれて彼の方を向かされる。


「──どうして?」


「え……」


 慎二さんの顔を見れば、眉を寄せて少し不機嫌そうな顔をしていた。


 それは今まで私が見たことのない彼の一面だった。


「……それならどうして、僕の目を見ないの?」


 どれだけ彼が好きだとしても。どれだけ、そばにいたくても。私じゃダメなんでしょう?


 私は好きになる人を、間違えたんだ。

 そう言い聞かせて息を吐く。


「決めたんです。もうこんな、こそこそしなきゃいけない関係はやめようって」


 慎二さんの目をじっと見て言い放った。


 そんな私のいつもとは違う様子に一旦目を伏せて、戸惑うような顔をする彼。

 再び彼と目が合って、胸が高まる自分に吐き気がした。


「……じゃあ、その彼氏のこと、好きで付き合ったわけじゃないんだ?」


 そう予想外のことを言われて、思わず言葉に詰まる。


「それは……」

 唇を噛みしめていると、そっと彼の冷たい手が私の瞼に触れた。


「目が、腫れてる……。泣いたの?」


 優しく撫でてくれるその手つきが、昨日のものと違っていて──無意識のうちにその手を払いのけていた。


「……やめて」

 きっと睨んで見上げたその顔は驚きに染まっていて、私はくるりと慎二さんに背を向ける。


「……もう仕事に戻りますね、及川さん」


 できる限りの冷めた声でそれだけを告げ、非常階段を後にした。




 自分のデスクに戻って携帯を手に取れば、メッセージの通知がきている。

 そのメッセージの相手は“太郎ちゃん”で。


 軽く息を吐いて画面を開けば、『今日、夕飯の買い物に行こう』の文字。


 何故、『行ってくるね』や『行ってきて』ではなく、『行こう』なのか、分からなかったが──『了解』とだけ返してスマホのロックをかけた。


 今は何かを考える気力も湧かない。

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