第11話
「一緒に住もうよ。俺一人じゃ寂しいよ」
今度は同情を誘うようなことを言う。これが母性本能なのか。心臓がきゅうっと締まる。
「家賃は俺の親が払ってくれるから、いらない。沙紀ちゃんは料理してくれたらいいよ。あとの家事も分担しよう。ベッドは……まあ、一つだけど。沙紀ちゃんが俺を信用してくれるまで、俺はソファーでもいい。──それでもダメ?」
また、あの瞳で見つめるから──それに弱い私はぐっと口を噤んでしまうんだ。
「沙紀ちゃんは住むところないんでしょ?浮気男のところへ帰るか、俺と一緒に住むか。どっちがいい?」
昨日はあれだけ優しかったのに、今はとんでもなく鬼畜な言葉を投げかけてくる。
「そんな言い方、しないでよ……」
眉間に皺を寄せてみれば、再び眉を下げたあの顔で対抗してきた。
「──お願い」
懇願する彼を突き放す理由が思いつかない。
言葉巧みな彼を交わす術を私は知らない。
「……引っ越し先が、決まるまでだから」
私は折れた。
その言葉を吐いた瞬間、下げられた眉は嘘だったかのように元に戻り、その代わりに目尻が緩く下がる。
「いってらっしゃい」
さっきの不機嫌な顔は、私の了承する言葉でコロッと表情を変えた。
にっこりと笑って私を快く送り出す。
──連絡先も無理やり交換させられちゃったからトンズラすることもできないな。
昨日と同じ格好で出社するわけにもいかないから、一度家へ帰って着替えてから会社に向かう。
太郎ちゃんから大通りまでの道順を聞き、自分のマンションまで無事に帰ることができた。
自分の部屋の前まで行くと、ドアノブに掛けられている紙袋が目に入る。
ドクンと胸が嫌な音を立てた。
「……慎二さん」
その中に入っていたのは、私が好きなカフェのプリン。
そんな話をしたのはずっと前だったはずなのに、こんな二番目の女にだって気遣いを忘れない紳士的な彼。
そう、そこを好きになった。
──じゃあ、本命である婚約者には?どれだけ甘くて優しいのだろうか。
きっと非の打ちどころなんてない、完璧な旦那さんになるんだろう。
……そう、私との密会がバレなければ。
きっと、誰もが羨む家庭を築いていくんだ。
彼と婚約者の幸せを邪魔する勇気はない。奪い取る覚悟もない。
それを弱虫だと言うのは違う気がするけれど──ただ、それだけの女なのだ、私は。
「──これで、よかったんだ」
鍵を開け、玄関に入るとぽろぽろと涙が零れる。
それを自覚した時、ああ、私はこんなにも彼を好きだったんだ……なんて、今更なことを思った。
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