第9話


「……バレないわけ?」


「意外とバレないよ。外に出かけたりしなきゃ、バレることないもん」


 ふふっと笑った彼。

 ……笑い事じゃないと思うんだけどな。



「──でも、もうやめたよ」

 太郎ちゃんの声が少し弱くなった。


「もう、決めたんだ」


 自分に言い聞かせるみたいに言うから、私も小さく同調する。


「……一緒だね。私も、もうやめようと思ってあそこにいたの」


 彼にばかり話させるのはよくないと思った。

 同じ痛みを抱えているとわかれば、なんだか親近感が湧く。


「もっと寂しいかと思ったけど、沙紀ちゃんがいるから平気。沙紀ちゃんがいてくれてよかったよ」


 彼が寝返りを打って私のほうを向いたのが分かった。


「……うん」


 起き上がっていた私も、また寝ころんで彼の方を向く。


「……私もね、好きな人が、いて。だけどその人には婚約者がいるの」


 太郎ちゃんは、驚きもせず──ただ、相槌を打つ。


「うん」


「それでも、良いって思ってた。彼のそばにいられるなら、都合のいい女でも、体だけの女でも……構わないって思えたの」


 ……なんでだろう。目頭が熱い。

 私には泣く資格なんてないのに。


「でも、最近ね。婚約者の気持ちを考えてみたら、ものすごい罪悪感に襲われて。彼に会うのが苦しくなった」


 一度話し出した気持ちは溢れ出て、涙と一緒に止まらなくなる。小さくしゃくり上げた私は、面倒で我儘な女だ。


「好きだけど……大好きだけど、もうやめなきゃって思ったの」


 次々と涙が頬を伝う。

 すると、私の顔なんて見えていないはずなのに──そっと彼の指が頬に触れて、涙を拭いてくれた。


「……沙紀ちゃんが、泣く必要なんてないよ。そんな男より、ずっといい男が沙紀ちゃんには現れるから。こんなにいい女、二番目にするなんて……見る目がない男なんだから、捨てちゃって正解」


 優しく宥めてくれる太郎ちゃん。

 その声は柔らかくてすごく安心する。


 ──本当は、一番になりたい。

 好きな人の一番になりたかった。


「おいで、沙紀ちゃん」

 ぐっと体を引き寄せられて、一瞬で太郎ちゃんの温もりに包まれる。


 そして背中をそっと撫でてくれるから──私は彼の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。



 しばらく泣いた後は彼の腕から抜け出す気にもなれず、規則正しく耳に届いた心音はとても落ち着いて、まるで子守唄のように私を眠りへと導いていった。


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