第31話 不安の先へ
「ああ、ジブルの使者たちがきたな」
そこでちらとサグメンタートは後方を振り返った。話題を変えたかったのだろうが、事実、正門の方から数人の男たちがこちらへ向かってくる姿が見えた。ジブルを象徴する白いマントが、陽光を浴びて煌びやかに揺れている。
先頭に立つのはガウーダだ。その後ろには従者と思しき青年たちが付き添っている。そして――。
「ディルさん、準備万端だね」
ひょこりとガウーダの背後から顔を出したのは、あのクロミオだった。父が怪訝そうな顔をしたのを横目に、ディルアローハは愛想笑いをする。
少年がこんなところにいる理由など、きっと父は想像もできないだろう。ニーミナの悪魔の話は耳にしているはずだが、それと目の前の人物を突として繋げることができる者は少ない。
クロミオは、このところ頻繁にジブルとシリンタレアを行き来しているようだった。
「クロミオくんも、まさかジブルへ?」
「うん。そろそろニーミナに帰ってもいいんだけど、まだ色々報告しなきゃいけないこともあるからね。真面目にやらないと、ガウーダさんに叱られちゃうから」
軽い足取りで近づいてきたクロミオは、サグメンタートの横で足を止めた。そして満面の笑みを浮かべる。
人好きのするその面差しの向こう側には、明らかに何か黒い意図が透けて見えた。それは近づいてくるガウーダが苦い顔をしたところをみても明白だ。
「ほら、ボッディさんも助けないといけないし」
困惑する父をちらちらと横目に入れながら、彼女は何をどう口にすべきか思案した。サグメンタートがげんなりした視線を送ってきたが、だからといって彼女にはどうしようもない。
その一方で、後ろにくっついていたリビントハウラは興味津々にクロミオを観察していた。やはり体の大きい者が苦手なのであって、そうでなければ平気なのか。
「クロミオ殿、あの男ならとっくに解放していますよ。あんな危険な男を内に置いておく意味などないでしょう。ナイダートを動かしたかったからといって、あんな男にあんな口実を与えないでいただきたい」
得意げなクロミオに釘を刺したのは、白いマントを翻したガウーダだった。心底嫌そうな顔をしているのを隠そうともしていないのは意外だ。使者はこういう時にも繕うものだと思っていたが。いや、これも全て演技なのだろうか?
「えーもう? 早すぎるよ」
「遺産使いの扱いは、心得ております故」
「えっと、あの、ボッディさんは……」
二人の間で勝手に話が進んでいくが、ディルアローハはついていけない。つい口を挟んでしまった。ボッディが遺産使いと呼ばれているのは、なんとはなしにわかるが。だがこれではまるで、ボッディが危険人物かのようだ。
「クロミオ殿、まさか説明もなしに……」
「え、何も言ってないよ? そう、ボッディさんはナイダートにも住んでたことがある人だから。しかも随一の技術者だったから、大体の物は壊せるし、動かせちゃうんだ。大門だって開けちゃうかもね。本当、一番怖い人だよ」
「……わかってます? あなたたちは、まんまと踊らされてたんですよ? できればこの少年の手綱を握ってくれる人が現れるといいんですが」
クロミオはにこやかだったが、ガウーダはうろんな眼差しでそう続けた。彼女はただただ相槌を打つ。
なかなか思考が追いつかないが、彼らがナイダートを引きずり出すためにあれこれやっていたのだということは想像できる。もしやボッディという人物が、クロミオにとっての切り札だったのではないか?
おそらくクロミオはガウーダたちを利用し、ボッディを使用し、ことを進めようとした。ガウーダはガウーダで、クロミオの案に乗って動いた。そういうことだろうか。
「ひどいな、まるで全部僕が仕組んだみたいに」
「違いますか?」
「ボッディさんの動きまでは制御できないよ。あの人、気分屋だもの。だからこれは賭けみたいなものさ」
くつくつと笑うクロミオを、父は物珍しそうに見ている。サグメンタートは唖然としたまま閉口していた。
ではボッディが助けてくれたのはたまたまだったのか? 今となっては確かめる術もないが、知らないところで彼女たちは賭けに勝利していたらしい。
ちらとガウーダはこちらを見た。その双眸には、何か得も言われぬ色が宿っているように見えた。彼の発言を振り返り、彼女ははっとする。
まさか今の会話をあえて聞かせたのは、「クロミオの手綱を握れ」と言いたいからなのか?
ジブルの使者たちがクロミオを持て余しているのは、これまでのやりとりだけでも察せられた。クロミオにせめて重石をつけたいと思っているのは間違いない。それを彼女に求めるのは、それこそ荷が重いという話だが。
「ディルアローハ殿」
そこで大仰に一礼したガウーダは、真顔に戻った。
「あなたはしばらく我々外交部所属の扱いとさせていただきます」
軽口はここで終わりと言わんばかりの宣言に、ディルアローハは背を正した。空気が一変する。リビントハウラがびくりと身を縮ませるのに気づいたディルアローハは、その小さな頭をまたそっと撫でた。
「……はい」
「外交部は常に人手不足故、よろしく頼みます」
明らかに作ったとわかる笑みを浮かべて、ガウーダは手を差し出してきた。仕方なく撫でるのを止めたディルアローハも、恐る恐る手を伸ばす。肌触りのよい手袋をはめた手のひらに包まれると、奇妙な心地がした。
これから何をさせられるのかと思うと、やはり気は滅入った。本来の彼女は淡々と植物を扱っている方が性に合っている。
だがこれからは全く違う道が待っていることだろう。薬術師長が渡してくれたこの本は、慰みとなるかもしれない。
「医の通りの心臓の先に、馬を用意させています。そこまでは徒歩でお願いします」
「え、馬ですか!?」
手を離したところで思わぬ名を耳にし、彼女は驚嘆した。まさかそこまでしているとは思わなかった。さすがは大国ジブルといったところか。シリンタレアでは、移動に馬を使う人間などまずいない。
「ええ、幼い子どもがいると聞きましたので」
ガウーダはちらとリビントハウラへ一瞥をくれた。その視線をどう思ったのか、怯えたリビントハウラはディルアローハの後ろへと引っ込む。
これはなかなか前途多難だ。ジブルでの教育課程がどのようになっているのかは知らないが、まずは大人に慣れさせるところから始めなければならない。
「子どもを、馬に乗せられるのですか?」
「大丈夫、ただの馬ではなく馬車です。手入れしたばかりです。すぐに用意できる輸送用古代機器は、あの遺産使いに分解されてしまいましたからね。これ以上外交部で持ち出すことは不可能でした」
微笑んで肩をすくめたガウーダから、漂うのは哀愁だった。あの時別れ際に見たボッディの顔を思い出し、ディルアローハは苦笑いする。一人ならなんとかなるというのは、そういう意味だったのか。確かに恐ろしい人だ。
「では行きましょう」
と、これ以上の話は無用とばかりに、ガウーダが歩き出した。無言の使者たちもその後に続く。彼女は息を止め、もう一度父たちの方を振り返った。
二度と会えないわけではないが、それでもしばしの別れだ。次に戻った時には、母が元気に目覚めていることを願うばかりだった。その時、この二人に何かよい報告ができるよう、ディルアローハも努力しなければならない。
忽然と気持ちが高ぶった。あれこれと思いは浮かび上がるのに、ここで何と口にしてよいのか見つからなかった。
不透明な国の将来を託すような無責任なことはできない。自分が何とかすると尊大なことも口にはできない。彼女たちは、大国の意志一つで吹き飛ぶような存在だ。
「それでは行ってまいります」
とはいえ諦めたくはなかった。様々な思いをこめて、彼女は微笑を浮かべる。何かできるとすれば、繋がりを絶やさないよう尽力することくらいだ。人脈作りは苦手だが、そうも言ってはいられない。
彼女は腕を伸ばして、リビントハウラの手を掴んだ。緊張に震えた小さな手は、いつになく汗ばんでいた。まだ見ぬ世界への希望と絶望を、その身に一心に受けているに違いない。
幼い日、同じように手を引かれて訪れたジブルの地を、ディルアローハは思い出す。世界とは一変するものだ。けれども、それらは積み上げてきた過去と地続きでもある。
「大丈夫。新しいことは、決して怖くはないですよ」
優しくリビントハウラに語りかける言葉は、あの日自分が欲しかったものだった。でも本当は、大人だって不安だったことを、今なら理解できる。
つぶらな瞳に見上げられ、ディルアローハはうそぶくようなつもりで口角を上げた。頷いた拍子に肩からこぼれ落ちた髪を、夏の風が優しく揺らしていった。
薬術師ディルアローハの渉外~遺産の星と悪魔の少年~ 藍間真珠 @aimapearl
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