第7話 遺産と秘密
痛々しい沈黙を覚悟していたが、歩き始めてもボッディはお喋りだった。
「この遺跡群はどれも放置されてから長い年月が経っているけど、実は遺産が残されている場合もあるのさ」
彼は何故か毒の地にすぐ入る道ではなく、遺跡群の横を歩くことを選択した。サグメンタートに背負われた彼女には、それに異を唱える権利もない。
本が入った布袋ごと革袋にしまって背負ったため、体全体は重く感じられる。それでも山でのように汗が噴き出すことはなかった。やはり足の負担がないからだろう。サグメンタートには申し訳ないが。
「遺跡の奥に、遺産が眠っていることもある」
「その銃もですか?」
「お、ディルさんは銃も知ってるんですね。その通り。ニーミナの人間はあまり遺産に詳しくないので、このボッディ博士が活用させてもらってるのさ。彼らは第一期絡みの物しか興味がないのでね。いやぁ、実にもったいない」
陽気なボッディの声は、こういう時にはありがたかった。サグメンタートが無言なのでなおさらだ。
しかし今の言い草から推測するに、ボッディはニーミナの人間ではないのか。この辺りはまだニーミナの領地扱いとなっている場所が多いはずだが、違法に滞在しているのか? そうだとすれば、クロミオはそれを黙認しているということになる。
「そうなんですか。取り尽くしたと思っているのでは?」
「いや、彼らは第一期の物なら血眼になって探してる。単に興味がないだけさ」
彼女が問えば、ボッディはすぐに答えてくれる。少しでも情報を得ておきたいという下心もあったが、純粋に興味も湧いていた。そうした他国の事情や歴史を学ぶ機会は、シリンタレアでは滅多に得られない。
「この辺りには、第一期の遺産があるんですか?」
「いや、今じゃほとんどないね。でもこの辺りは第一期の時の中心地に当たる。彼らはその遺産を探しているのさ。聞いたことがあるだろう? ニーミナは禁忌の力に手を出そうとしているって」
まるでお伽噺でも語るように、よどみのない口調で紡がれる話。彼女の鼓動は跳ねた。
その噂であればもちろん耳にしている。どの国とも交友のない、得体の知れない国が、怪しい力を欲している。そう言われてきたのがニーミナだ。
だから長年どの国も手を出さなかった。ニーミナの者たちが外に出てくることはなかったので、それでも実害はなかった。
第一期の時代に存在したという魔法のような力。それは動力源となる何かを必要としない、半永久的なものなのだという。
まったくもって信じがたい。しかしそれが禁忌扱いになっているというのは、そうなるに至る事件が過去にあったことを意味している。
おそらく、力については誇張されて伝わっているのだろう。だがそれを求める際には何らかの危険が伴う。だから連合はその力に手を出すことを禁じているに違いない。
しかしニーミナは連合にも加盟していなかった。強硬手段に出る理由もなく、多くの国は彼らを放置することを選んでいた。
それなのに数年前から、忽然と大国がニーミナを重宝するようになった。だから誰もが怪しんだ。
それまで絶妙な均衡でもって保たれていた各国間の力関係が崩れたのも、それがきっかけだ。特に小国の人間に焦りが生まれた。どの国も大国の機嫌をうかがい続けてきただけに、何が起こったのかと誰もが訝しんだ。
「それは、噂でしょう?」
彼女よりも先に、サグメンタートが反応する。彼の声が、体越しに伝わってくる。禁忌の力については、絵空事だというのが大半のシリンタレアの人間の感想だ。
「サグさん、そうだったら大国が動き出したりはしないよ」
振り返らずに、ボッディは左腕を大きく振った。その拍子に小石を蹴飛ばしたのか、硬い何かが泥を跳ねる音がした。彼女は息を呑む。サグメンタートの体が強ばるのも感じられた。大国が動いたというのは、いつの話なのか。
「大国が、動いたんですか?」
怖々と彼女は問うた。にわかに心臓の鼓動が速まった。
「え? それも知らないの?」
「……シリンタレアは、情報が制限されているんです」
驚いたように振り返ったボッディを見て、彼女は眉尻を下げる。国の上層部は掴んでいるかもしれないが、少なくとも末端にいる彼女たちには伝わっていなかった。
場合によっては、上層部すら知らないこともある。過去には、治療のためにシリンタレアに来ていた各国要人がうっかり口を滑らせたことで、判明した事実も多々ある。
「そりゃあ嘆かわしいことで。じゃあついでだからボッディ博士が教えてあげよう。大国ジブルとナイダートは、五年ほど前にニーミナを探りに来た。そこで、何かを掴んだ」
大袈裟に悲しげな表情を作ったボッディは、両手をひらりと空へ向けた。彼女もつられて視線を上げる。
藍色の夜空では、薄雲の向こうで月が輝いている。先ほどよりも雲が厚くなっているのか月光が弱々しく感じられた。しかし幸いにも近くの遺跡が光を反射してくれるおかげで、足下が全く見えなくなるようなことはない。
「何か?」
ボッディの言葉をサグメンタートが継いだ。疑念のこもった低い声が、布越しに伝わってくる。彼女はもう一度ボッディの横顔へと目を向けた。黒い帽子を片手で押さえながら、ボッディは得意げににたりと笑う。
「中身までは、このボッディ博士も知らない。大国とニーミナの大事な秘密さ。禁忌の力を発動させることに成功したというのがもっぱらの噂だ。でもボッディ博士の見解は違う。成功したならニーミナも大国も、もっと派手に動いてるはずだからねぇ」
実に楽しげな口ぶりで、ボッディはそう続けた。好奇心を刺激されているのは、爛々とした双眸からも読み取れる。
ただ生きるために遺産を求めて彷徨っている盗掘者ではないのだろう。彼は遺跡や遺産に浪漫でも見いだしているのか?
「第一期の遺産が新たに発見されたとか?」
「お、サグさんも興味津々? ボッディ博士もその可能性は考えたね。でもそこに二大国が飛びつくのは奇妙だ」
「確かに」
「だが悪くない推測だ。二大国が危機感を持つような遺産が見つかったが、必ず作動するわけじゃあない。この辺りがあり得る線かな。もしかすると、第一期ではなく第二期あたりの遺産かもしれない。それなら二大国が動く可能性がある。たとえばほら、そこにあるような、とびきり大きな奴とかね」
ボッディは左手を指さした。サグメンタートも彼女も、そちらへと視線を転じる。
薄闇の中、月光に照らし出されてぼんやりと浮き上がるように見えるのは、巨大な半球だ。距離感が掴めない上に比べる対照が傍にないため、実際の大きさは判然としない。それでも異様な存在感を醸し出していた。
「あれも遺跡ですか?」
「ああ、第二期の初期のものと予想されている。でも何のために作られたのかさっぱりわかっていない。特に機能もなさそうなんだが、何せかなりでかくてなぁ。遺跡というよりは遺産に近いんだが、大国も調べるのを諦めてる」
歩調を緩めることなく、ボッディは滑らかに説明した。遺跡と遺産の区別はざっくりとしている。動く物は遺産。動かない物は遺跡。だから元々の機能が不明な場合は、分類することができない。
この手の話にも、サグメンタートは怪訝そうにしている様子がない。彼もそれなりに遺産についての知識があるらしい。大国への留学経験があるのだろうか? 医術師を目指すだけの力があるなら、そうであっても不思議はないだろう。
「ニーミナは古い国だからね。古くて大きな遺産が眠っている可能性はまだある。動かせないほどの巨大なものが、土の下にあったとか。ニーミナの連中は興味ないかもしれないが、大国は黙ってないだろうねぇ。そういう事態が生じてるなら、突然大国の人間が足繁く通ってくるのもわかるでしょう?」
まるで久しぶりのお喋りが楽しいとばかりに、ボッディは饒舌だ。だがその推測が正しいかどうかは不明だった。
それでも大国が危機感を覚えるほどの何かがこのニーミナにあることは確かで。突然の遺産探索警告も、その一環なのだろうか?
「でもディルさんたちを狙っているのが何者なのかは、ボッディ博士もわからない」
不意にボッディの声音が変わった。まるで内心を見透かされたかのようで、彼女は胸を穿たれた心地になる。
同時に、ボッディに対してどこか縋るような気持ちでいたことを自覚させられた。彼なら何か掴んでいるのではないかと、知らず知らずのうちに思っていたらしい。
けれどもそんな好都合な話があるわけもなかった。ボッディが何者であったとしても、あらゆるものに通じている人間などこの世界には存在しない。
「大国が動いているんだろう? でもその背後で何が起きているか知るには、情報が足りない。どんな時にもまずは情報収集が先決さ。今は何故だか大国にも余裕がない。他の小国にも焦りがあるから、どこでどう早合点するか、わかったもんじゃない。つまり、あらゆる可能性があり得るってことさ。厄介だねぇ」
話の内容とは裏腹に、ボッディの歩みは軽快だ。彼女はじっと彼の後ろ姿を観察する。
黒い外套はよく見れば所々汚れている。緩く波打つ黒髪を後ろでぞんざいに結わえているが、伸ばしっぱなしということでもなさそうだ。
考えてみると、髭も目立たなかった。ただの浮浪者ではなさそうだが、ニーミナの人間でもない。彼は何者だろう。
「君たち自身には、心当たりはないわけ?」
そこで気楽に尋ねられ、彼女はかすかに息を呑んだ。ボッディは振り返らなかったが、サグメンタートには気づかれただろうか? 彼女は思わず視線を逸らす。
思い当たるとすれば、あのならされた土の件だろうか。いや、ボッディの話が本当なら、ニーミナにいた彼女自身が疑われていることも考えなければ。
たとえばクロミオから受け取ったこの本が、何らかの重要な物と勘違いされている可能性だ。
この本自体も、もちろん貴重だ。しかし大国を慌てさせるものではない。医術国家シリンタレアにとって価値があることと、大国にとって有用であることは同義ではない。
クロミオとて、この本がいかほどのものか掴めないから、彼女に託してくれたのだろう。
「お、サグさん、それは何か知ってるって顔だなぁ」
思考の波に呑まれかけていると、ボッディの嬉しそうな声が空気を揺らした。はっとした彼女は、サグメンタートの頭を見下ろす。背負われたままでは彼の表情を捉えることはできなかったが、気配が硬く尖っていることは感じられた。
「いや、何も」
彼はこちらの反応もうかがっている。彼女は咄嗟にそう悟る。言いたくないことがあるのか? 忘れかけていたが、彼は彼女を助けに来たと告げた。そうするだけの何かが、どこかで起きたに違いない。
「サグさん、嘘はよくないぞ。情報不足は窮地の判断を誤らせる。ああ、それとも俺が信用できないのかな?」
ちらとこちらへ一瞥をくれたボッディは、皮肉な笑い声を立てた。怪しまれるのは慣れていると言わんばかりだった。
それでもサグメンタートは黙したままだ。おそらく、彼は彼女のことも信用していない。そういう観点で振り返れば、婚約者という単語に反応したのも合点がいった。ニーミナの人間と結託しているのではないかと疑っているのだ。
「そういう問題ではない」
「じゃあ機密事項ってことかなぁ?」
帽子の上で腕を組んだボッディは、軽く地を蹴り上げる。煤けた大地で巻き上がった砂が、疎らに生える草とこすれて音を立てた。
この辺りは今までよりも土が乾いているようだ。雨は降らなかったのだろうか。
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