第34話 恋と真実

「あの、こんにちは……えーと……」

「ちょっと、打ち合わせ通りにやってよ!」

「僕に演技は無理ですって……」

 フィンリーと日本語でこそこそ話し、軽く小突いた。

「アーサーさん、あの……その……、僕が初恋の人です」

「本当に演技ダメダメだね!」

「ぼ、僕です。月森彼方です」

「はい、彼方さん……ですね」

「アーティー、笑わないであげてよ。この子がんばってるんだから」

「断じて笑ってはおりません。少し、肩が震えるだけで」

「ってことで、賭けは君たちの負けだよ。確か僕の弟が初恋の人を見つけられたら、賭けは僕らの勝ち。幽閉もなし。自由の身ってことだったよね。運命に導かれたのか、アーティーが日本に行ってからすぐに出会い、一年以上も時間を過ごした。ちなみに賭けは無効ってのはダメだからね。あのときのことはしっかり録音も映像も残してある」

「ファミリーネームが違うではないか!」

 男性が大きな音を立ててテーブルを叩く。婚約相手の父親だ。

「月森君、前の名字はなんだっけ?」

「七海です。七海彼方。僕の親は離婚していて、名字が変わっているんです」

「しかし……男じゃないか」

 ざわめくだけならまだしも、鼻で笑う者、偏見の目を向ける者には心が痛む。

「事情があって子供の頃は女の子の格好をして、スカートやワンピースを着用していました。いろいろあって、名残でまだ髪は伸ばしたままでいます」

 呪いの証だとは伏せた。

「そもそも、魔女なんてバカげた話だと思わない? 今の時代にいるわけないでしょ。それとも、魔女狩りは建前で、アーティーの知る何かを手に入れたいのかなー?」

「何も知らないと申し上げたはずです。賭けは私の勝ち。初恋の人が日本から追って私の元まで来てくれた。これ以上幸せなことはありません。……せっかくですから、ここで結婚式でも挙げますか?」

 アーサーは彼方へ問いかける。

「そーですねー」

 彼方は必死に目を逸らす。

「その棒読みなんとかなんない?」

「僕、学芸会レベルすらままならないんです……許して……」

 その点、アーサーはまるで本物のプロポーズのように、しっかりと言葉を口にする。

 アーサーの隣にいた女性は立ち上がると、アーサーの頬をおもいっきり叩く。静寂に包まれた。

 アーサーは動かない。悲しむでも謝るでもなく、黙って女性を見つめている。

 女性は大声を上げて頬を濡らす。走り去っても、誰も彼女を追いかけようとしなかった。

 先に動いたのは彼方だった。

「アーサーさん!」

 赤くなる頬に手を当てると、

「ビンタ一つでなかったことにできるのなら、お安いものです。あなたの手が、とても気持ちいい」

「さあ、撤収しようか」

 モーリスは暖かく声をかけ、彼方の背中を押した。

 心に熱が広がっていく。父親というのは、こんなにも優しいものなのか。経験がなく、戸惑いも生まれる。

 ホールを後にする途中、黒服の男性は絶対に諦めないと悪態をつく。

「心配しなくても大丈夫だよ。今のやりとりもこっそりカメラで取ってあるし、ちゃんと音声も保存している」

 初めてのリムジンだ。中は映画が観られ、ワイングラスも置いている。

「アーティー、ちょっと寝たら? 目の下の隈がすごいよ。変態並みだよ」

「何が変態なのか理解不能ですが、休息は同意です。おやすみなさい」

「はい、おやすみー」

 彼方の肩を枕に、数分後には寝息を立て始めた。

 彼方も体温が心地よく、遅れて眠りについた。


「それじゃあ、初恋の人に会えた記念と久しぶりに家族が揃った記念と婚約破棄記念に、乾杯!」

「婚約事態は未遂でしたので破棄も何もないですが。乾杯」

 陽気なフィンリーと冷静なアーサーは、同じ兄弟でも対照的だ。

「イギリスはパイ料理をよく食べるんだ。シェパーズパイは僕の大好物でね。コテージパイも好きなんだが、やはりこちらは特別な気持ちになる」

 モーリスは嬉しそうに口へ運ぶ。

「何が違うんですか?」

「コテージは牛の挽き肉、シェパーズはラムの挽き肉を使うんだ。それとマッシュポテトを合わせてパイに包む。パンにもワインにも合う、最高のディナーだね」

 シンプルにポテトとチーズを合わせたり、葉物のスープ、魚のフライやポテトフライも大量にある。

 複雑な味ではなく、どれもシンプルだ。日本の味は、いかに塩味が強いのか感じる。

「日本では、主に誰が料理するんだい?」

「僕は父も母もいないので、祖母です。一般家庭なら母親がすることが多いですが、最近はちょっとずつ変わってきています」

「はは、それは素敵な話だ。スタッフォード家は誰も料理ができないんだよ」

 モーリスは豪快に笑う。

「この子たちの母親もまるで料理ができない。特にアーティーの……」

「ダッド、その話は」

「はいはい。ディナーの後はアップルパイを食べよう。ブラムリーというリンゴを使ったアップルパイが絶品なんだ」

「楽しみです」

 モーリスはイギリスでのクリスマスや正月の過ごし方を話し、日本の文化にも興味津々だった。

 言葉につまると隣でアーサーが助け船を出し、彼方は頷く。

 夕食どころかデザートを食べるまで、アーサーとふたりきりで話ができていない状態だった。

 落ち着かない様子の彼方を見て、フィンリーはそろそろ部屋に戻ろうと席を立つ。

「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

「明日はゆっくり寝て、観光に行けばいいさ。こちらこそありがとう。ずいぶんと家庭の事情に巻き込んでしまったね」

「いえ、自分から飛び込んだんです」

「君はとても芯が強く、美しい人だ。明日、君が起きれば僕はもういない。残念ながら仕事でね。また会えたら嬉しい」

「はい。僕もです」

 大きくて、力強い握手を交わした。

 モーリスと話をすると、心がざわめき目の奥に痛みが走る。

「父の知らない僕にとって、あなたはとても強い存在です」

 小声で言った独り言はモーリスの耳にも入り、背中に腕が回される。

「ありがとう。君のような人が、息子の捜し人で本当によかった」

 違うんです、そうじゃないんです、と心の中で何度も口にした。

 これはフリだ。幽閉され、二度と会えなくなるかもしれない彼を取り返すための、演技。同じ名前の彼方であり、海外旅行経験がある。昔、女の子の格好をさせられていた地獄が、まさか役に立つとは思いもしなかった。長い髪も重なり、偽りが真実味を帯びる。

 ディナーの後は部屋に戻り、シャワーを浴びてすぐに寝た。寝不足に加えて疲労もあり、次の日は昼近くに目が覚めた。

 メイドを呼ぶべきか部屋でうろうろしていると、ベルを鳴らず前に昼食が運ばれてきた。

「アーサーさんは部屋にいますか?」

「用事があり、今朝早くに屋敷から出ていきました。夕方には戻るそうです。フィンリー様も仕事です」

「……分かりました」

 ハムとチーズのサンドイッチだ。それと野菜のスープ。

「……………………」

 薬膳スープのような、薬の風味がある。何を煮込んでいるのか、日本にはない野菜だ。

 半分ほど食べてメイドを呼ぶと、彼女は皿に残った料理に目を落とし、訝しみながら会釈した。

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