第4話

 三人を巻き込んだ旋風が収まると、女の足元にいたはずの姉の姿が見当たらない。それに気づいた女は、あからさまにちっと大きく舌打ちをして、目の前の木の上へと視線を向けた。そして、忌々しそうにそこへ声をかける。


「……ほう、豊前坊ぶぜんぼうやないかい?九州の田舎天狗の頭領が大江山まで遥々出張って喧嘩ぁ売りに来たんかいな?喜んで買うたるで?」


 先程までの表情とはうって変わり、こめかみに虫が這ったように血管を浮かび上がらせている女へ、木の上から少し間延びした声が返ってきた。


「そういくるな、酒呑っちゃ。うちはこん娘に用があるだけやけんさ」


 木の上にいたのは、山伏の着るような修験装束に身を包んだ十代後半の少女。姉より少し上と思われる。しかし、軽々と姉を抱え木の上から酒呑と呼ばれた女を見下ろしている。


「うちは別に君ら大江山ん皆や、西日本一体ん鬼達と喧嘩しようなんていっちょん思うちょらんさ。けんどね、うちも命令されちょんのやけんしょうがねえ。黙っち目ぅ瞑っち見逃しちくれんかえ?」


「その娘ぇ連れて行ってどないする気や?そん返答次第では……容赦せぇへんで?生きて帰れる思わんといてくれや?」


「本当におじい事ぅ言うしやな、君は。こん娘は選ばれた人間ちゃ。正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト(以下は天忍穂耳命アメノオシホミミミコト)と伊邪那岐命イザナギノミコト伊邪那美命イザナミノミコトからね。わけまでは知らんさ。ただ強うしろと。何者にも負けんくらい強い人間にしろち言われたんさ」


 豊前坊と呼ばれた少女から、その言葉を聞いた酒呑がにやりと笑った。しかし、その握りしめている拳はぶるぶると震えている。


「ほぅ……なんや、彦山(英彦山)権現様の御言葉かいな?おもろいわ。ほなら妹はどないするんや?妹は連れていかんのか?」


 泣きそうな顔をして木の上を見上げている妹をちらりと見た豊前坊は、行かんと一言だけ言った。それを聞いた妹は力を振り絞り木にしがみつきながらも立ち上がろうとしている。


「あたしも……あたしも連れて行って……」


「悪いけんど、そりゃ無理なんや。うちが連れちこいち言われたんな姉だけ。妹は要らんち言われたっちゃ?どっかそこら辺へでも捨てち来いっち。だって君は選ばれた人間やねえんやけんさ。しょうがねえっちゃよ?姉ん事は諦め、きれいさっぱり忘れなぃ」


 飄々と答える豊前坊に、妹はぼろぼろと涙を零しながらも訴え続ける。それを見ていた酒呑が妹の襟首を掴まえると木の幹から引き剥がし放り投げた。


「乱暴はいけんよ、酒呑。相手は幼え子供やねえか」


「ふん、どの口がそないな事を言うとるんや?主こそ、妹を姉から引き離し、そこらに捨てようとしとるやないけ?せやけどおもろい。妹はわしが引き取り強うしたろう。誰にも……わしにも、主らが連れていく姉にも負けんと強うしたるわ」


「よう分からんけんど、頑張っちくれっちゃ。うちはうちん仕事ぅするだけやけんさ。まぁ、いずれこん二人が相見ゆる時が来ると良いよね」


 豊前坊はふふふと笑いながらそう言うと、大きなヤツデの形をした団扇をばさりと扇いだ。すると、また先程のような旋風が巻き起こり、姉を連れて姿を消してしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る