後輩ちゃんがこんなに可愛いと言うことを、私だけが知っている。
将平(或いは、夢羽)
第1話
「初めまして。総務部に配属されることになりました。宜しくお願いしますっ…!」
上司に連れられて挨拶回りにやってきた彼女は、緊張した面持ちで、そう言って頭を下げた。
前年度の決算が悪く、私の勤めている会社では、私が入社してからは初めて、新卒を一人だけ雇用した。
本来であれば毎年、新卒が五人くらい入社する。中途も同じくらい、入る。田舎寄りにある中小企業の会社で、それはなかなか多いんではないだろうか?といつも思っていた。
それが、今年は一人だなんて。しかも、女子で。
製造メーカーのこの会社は、男性社員の方が圧倒的に多い。
さぞ、心細い思いをしていることだろう。
とは、思った。
けれど、だからと言って絡んだりはしない。それは、きっと私の役目ではない。
挨拶の日以降、彼女とは部署が違うこともあって、特に会話もないまま日々が経過した。
朝、彼女は私よりも出勤してくるのが遅い。事務所に入る時、大きな声で「おはようございます」と言うが、それはあくまで先に出勤していた事務所の『皆』に向けられていて、私個人に向けられたことはない。
新入社員研修の一環で、他部署見学の際に私の所属する購買部の仕事内容について簡単に説明した以外、話すことはなかった。
私は雑談と言うものが苦手で、その際にも、仕事のことしか話さなかった。
しかしある日。
偶然、一緒になったお手洗いで。私は内心、発狂した。
彼女、…その後輩ちゃんがポケットから取り出したのは、私が最も敬愛している“世界が始まった日”というバンドの公式グッズのハンカチだったからだ。
「えっ!後輩ちゃん…!それっ……!“世界が始まった日”の公式グッズのハンカチだよね………っ?!」
声を、かけずにはいられなかった。
相手もまさか私から声をかけられると思ってなかったようで、びっくりと言った顔でこちらを向く。
「えっ!あ!はい!先輩、ご存知なんですか?」
うん!知ってるよ!と、声が弾んだ。
嬉しい。純粋に、私が好きだと想っているものを、「好き」だと想っている人に出逢えたことが、嬉しかった。
ぱぁっと、自然に表情が明るくなったと思う。
「私も好きなの!嬉しいーっ!それ、好きな子、私の友人に居ないんだよね!」
私はつい興奮してしまい、いつもより大きな声が出る。後で少し反省したが、口調も早口になっていたと思う。大興奮、と言い表されても、その通りだ。私の興奮に、後輩ちゃんは戸惑っていたのかと言えば、そうではなかった。
「私も嬉しいですー!最近、ハマって。今、沼(ぬま)ってます!」
とても人懐っこい顔をして、同じだけの興奮を持って、言葉を返してくれた。
私は急に親近感を覚える。
もっと、この子と話がしたい!…と思ったけれど、まだまだ就業時間中だ。
私は少し、真面目なところがある。頭が固いと言われればそうだが、仕事中の雑談はあまり好まない。
今日のところは取り敢えず、この収穫だけを胸に持ち帰ることにしよう!と、このテンションを切り上げることにする。
「まだ話したいけど、取り敢えず、事務所に戻らないとだね…!良かったら、また話そう!」
いや、是非、話してください!と私は頭を下げた。
それから、まだ”世界が始まった日“にハマりたてだと言う後輩ちゃんに、おすすめのCDやDVDを貸した。私が持っていなくて後輩ちゃんが持っているものは、借りたりもした。
初めて貸し借りをした時、返ってきた紙袋の中に、たけのこの里とメモが一枚入っていたことに、驚いた。
なんて律儀な子なんだろう…!と思った。
メモにはご丁寧に感想が書かれていて、胸を打つ。
若いのにしっかりした子なんだなぁ、と、初めて彼女に印象を持った。
私も次に貸す時にはおすすめのお菓子と手紙を添えた。
きっと、「貸して下さってありがとうございます」のお菓子だったのだろうけれど、その気配りが嬉しくて、そのまま受け取るだけということが、どうしても出来なかった。
反対に迷惑になるかも…とは思ったけれど、お菓子と手紙を添えずにはいられなかったのだ。
そんなやり取りを、もう何回もして、私達は今時珍しい、アナログなやり取りを重ねた。
彼女が添えて返してくれる、おすすめのお菓子やメモが、いつの間にかとても楽しみになっていた。
もっと、仲良くなりたい。
もっと話したい。
そう思うけれど、連絡先を改めて聞くのは躊躇われた。
だって、私は「先輩社員」なので。
私が聞けば、後輩ちゃんは断れないだろう。それが、嫌だった。強要してしまうようで。仕事とプライベートの付き合いは、オンオフしっかり分けたい子かもしれない。
話せば話す程、後輩ちゃんはとても人懐っこく、真摯な性格なのだとは伝わってくる。それでもやっぱり、無理をさせているところもあるかもしれない、と思った。
私は結構、人付き合いには臆病だ。
……………好き、かも。
会えば高揚し、メモを大切にとっている。
私は、この感情が「恋」だと気が付いた。
だから、彼女から連絡先を聞いてくれた時は、心が踊った。「嬉しい!」と連呼してしまったように思う。
さて、しかし、これが恋だとするならば、つけなければならないケジメがあった。
「………ごめん。好きな人が出来たの。………別れてくれない…?」
なんて、自分勝手なんだろう、と。
我ながら思う。
鼓膜を震わせる私の声は、何処か他人じみていて、無機質に響く。
相手はしかし、笑って、「やっぱりね」と言った。
「最近なんか、楽しそうだったから。ひょっとしたら、と思ってた」
いいよ、別れよう。
そんな風に言ってくれる彼のことを、好きであり続けられなかったことを、申し訳ないと思った。
…「申し訳ない」と思ったことを、やっぱり、申し訳ないと思う。
私達は同棲していたので、引っ越し先のアパートが決まるまで居て良いと言ってくれた。それも、有り難い。
ケンカにならないのは、私がそれ程までに愛されていたのか、もしくは、あまり愛されていなかったのか、どちらかかな、と思った。もう、よくわからない。
付き合っていた期間こそ長かったものの、私達はあまり、お互いに干渉して来なかったように思う。
スマホでアパートを探しながら、ふと、「そう言えば、後輩ちゃんは県外から来ていたな」と思った。彼女は、一人暮らしをしているのではないだろうか…?
あわよくば、一緒に住めたりなんか、…しないだろうか…?
そんな、邪な妄想は、ついぞ、現実となる。
「いらっしゃいませ」
「へへへ、お邪魔しまーす」
インターフォンを押すと、中から出迎えてくれた後輩ちゃんの姿に、きゅんとした。誤魔化して笑った。
「荷物それだけですか?」
「うん」
「あ、スリッパ、履いて下さいね」
「ありがとー!」
恐らく新調してくれたのであろう、スリッパが、嬉しい。
私が持ち出したルームシェアの話を少しだけ戸惑って聞いていた後輩ちゃんが、それでも、わりとすぐに承諾してくれた。
それならばと、その週の土曜日には荷物をまとめて引っ越した。
業者を頼まなくてもいいくらい少ない荷物に後輩ちゃんは驚いたようだった。
家電は既に揃っていたし、家具も必要ない。ならばあとは、会社の事務服やパンプス、スニーカー、数着の外出用の服にパジャマにする部屋着、化粧品類や小物、本とか……。そんなものくらい。元より、私は物欲が少なく、私物が少ない。
お世話になるからと買ってきた地元でも有名な和菓子屋さんのいちご大福を渡せば、後輩ちゃんは目を輝かして喜んだ。
おすすめしてくれるお菓子から、私達の好むものが非常に似通っていることに気が付いていた。絶対に、喜んでくれると思っていた。
これから宜しくね、と渡せば、こちらこそ!と受け取ってくれる。
「私、ここのいちご大福、大好きです!」
「好きだと思った」
私は自然と顔の筋肉が綻ぶ。後輩ちゃんが、嬉しそうな顔をするのが好きだった。
私が笑うと、後輩ちゃんはハッとした顔をして、それから少し、目を反らした。
「?」
何事かな、と思ったけど、聞かなかった。
その答えはけれど、その夜、コンビニで買ったお酒で開いてくれた細やかな「歓迎会」にて明かされる。
「先輩めっちゃ美人なんで。これから一緒に住むのかぁと思うと、もう、ドキドキしちゃいます…!」
お酒に少し酔ってしまっているのか、「仕事も出来るし、頼りになるし、美人だし!美人だし!!」と、何度も「美人」と連呼してくれる。素直に、照れた。
「えっ…!わ、う、嬉しい…!そういう風に思ってくれてたの…?ありがとう!」
ドキドキなんて、きっと私の方がしているけど。と思った。
これから、好きな人と、ひとつ屋根の下で暮らすのだ。
二人で過ごす日々を重ねる度、後輩ちゃんの色んな事を知る。
料理が上手。
洗い物と洗濯物は苦手。
ゴキブリが出ても、平気で殺せる。
ちょっとオタクなところがあり、気になった事柄はすぐに調べ、詳しくなるのが早い。
韓国コスメを愛用している。
休日でもちゃんと鏡の前に立って、身嗜みを整える。
夜はちゃんと、パジャマに着替えて寝る。
意外と世話焼きで、三人姉妹の長女らしい。
「おっはよー!後輩ちゃん、トースト、食べる?」
「………食べまふ…」
それから、朝が苦手。
「ジャムにする?マーガリン?」
「…んー…、今日は、ジャムで…」
「オッケー!」
未だに眠いのであろう。
目を擦りながら、後輩ちゃんは洗面所に向かう。
必然的に、朝食の用意は私がすることが多かった。その代わりというわけではないだろうが、晩御飯は大体、後輩ちゃんが作ってくれる。平日は先に帰った方が作ることになっていたので、必然と言えば必然だった。
1DKのアパート。
玄関から真っ直ぐ、キッチンがあってダイニングに続く。
それぞれ十畳以上はあるらしいこの部屋は、確かに、狭苦しさは感じないが、大人二人が生活していて、広いと言うこともない。
私達はいつも、ベッドを背もたれにして、小さなローテーブルの上で肩を並べてご飯を食べた。
すぐ向かいにテレビがあって、「テレビは1メートル程離れて観る」なんてのは不可能な距離だ。
ルームシェアの話を持ち掛けた時、少しだけ悩んだのは「部屋が狭いこと」と「プライベート空間がなくてお互いにストレスを感じないか」と言うことだったのだと、いつだか打ち明けてくれた。
肩を並べて食べる毎朝晩のご飯なんて、私にとってみたら、それ以上無いくらい、居心地が良い。
「幸せ」を絵に描いてみたら、きっとこんな間取りになる。
と、思った。
ぎゅうぎゅうで、暖かい。
「今日は何する?」
「んー……、あ、本屋に行きたいです」
「いいねぇ。じゃあ、お昼はカフェ行こー!」
休日に、トーストを噛りながら二人でその日の予定を立てる時間が好きだった。
ああ。なんて、心地が良いんだろう。
そう想う。溢れる。後輩ちゃんと居ると、「好き」が溢れる。
「はぁ…。私、後輩ちゃんと居ると落ち着く…。凄く好き。恋かも」
気が付けば、そう、口から溢していた。
自然と出た幸せな溜め息に、後輩ちゃんはやっと目を覚ましたようで、ギョッと私を見ていた。
「えっ!?」
言ったちゃった!と思ったけれど、まあいいか、と同時に思う。
もう、隠しておくことなんて無理だなと思った。だって、もう、触れた肩から伝わってしまうんじゃないかってくらい、本当に、彼女のことが好きだった。
「驚いた顔も可愛い。好き」
「え、あ、あの、」
戸惑って耳まで赤くしているのが、堪らなく可愛いと思った。
ああ、ハグをしてしまいたい。…そんな気持ちを堪えるのが、どれだけ大変だったか。
「あっ!赤くなってるー!えへへ、可愛いっ!」
冗談のように聞こえるように、私は笑った。
「か、からかわないで下さいよ…!もう!…しかも、可愛いとか…ッ!」
「えっ?後輩ちゃんは、可愛いよ?」
「そんなん……」
続く言葉を待ったけれど、遂になんとも続かなかった。
後で薄々気が付くのだけれど、後輩ちゃんはどうやら、自分の外見に少しコンプレックスがあるようだ。
ふわふわの髪も、手入れの行き届いた肌も、ぱっちりと開いている目も、声も、性格も。…どこをとっても、こんなに可愛いのに…?
私は理解に苦しむが、本人の理想がずっと高いところにあるのかもしれない。
「……可愛いなんて。言われたこと、無いですよ…」
やがて、振り絞るように小さな声が聞こえて、しかしそれを私は、弾む声で返す。
「じゃあ!後輩ちゃんがとびっきり可愛いっていう事を知っているのは、私だけって事だねっ!」
後輩ちゃんは目を丸めて、それからやっぱり、赤面した顔を伏せた。
ほら!そんなところも、可愛い!
私はこの日を境に、すっかり吹っ切れてしまった私は、事あるごとに「可愛い」とか「好き」だとか、それはもう、彼女にアタックしまくった。
生産管理システムを新しく導入するとかで、デモストレーションが行われることになった。
私にも参加の声がかかる。
入社して、六年。
やっと自分も、そういった責任のある会議に参加する立場になったのだなと、緊張を伴いつつも嬉しく感じた。
けれど、事前に渡された資料では、「良いんじゃないですかね!」としか、感想が浮かばない。
周りからどう見られているかは知らないが、私は結構、頼りない。
県内ではそこそこ有名な高校に通っていたが、成績が良いのと頭が良いのは違う。と思う。
私は様々な「人より劣ること」を努力でカバーしてきた。
それでも、人付き合いは苦手だった。
昼休みは誰かと話をするよりも、一人で音楽を聴きながら本を読む時間が好きだった。
だけど、仕事の事は別。内容が仕事に関することなら、社員同士の会話は厭わない。会議でも、発言する。だから恐らく、周りは私の事を「実はポンコツ」なんて、気が付いてはいないと………思う。
さあ、でも、今回は、どうしたものか。
資料を何回も何回も、読んだ。
毎日のルーティンの仕事をこなしつつ、手が空けば、また資料を読んだ。今のシステムと比べる。聞いておかなければいけないことが、沢山あるはずだ。質問しておかなければならないことを、必死に探した。
そして会議の日。
各部署の事務員とその上長、それから、総務部が会議に参加した。
議事録を担当するのは、後輩ちゃんだ。
私は、尚のこと、緊張した。
けれど、緊張感というやつは続かなくて、想定していたよりも長い会議に、自分の部署とは関係のない説明の時間は非常に眠たく感じて、二回ほど舟を漕いでしまった…。誰にも、バレてなければいいけれど…。
それから、自分の部署に関係のある話になった時、やっとスイッチが切り替わる。
これでもか!と思う程、手を上げて発言した。
会議は三時間も続き、残業して、タイムカードを押す。
後輩ちゃんは定時で上がっていた。
後輩ちゃんと、彼女の作ったご飯の待つアパートに帰るのだと思うと、疲れも少し吹き飛ぶ。
“世界が始まった日”を聴きながら、車を三十分走らせて、アパートに着く。
「たっだいまぁー」
「お帰りなさい」
玄関を開けるとすぐ、豚汁のいい香りがした。
私は洗面所をスルーして、真っ直ぐ後輩ちゃんの元へ向かう。
そして、後ろ姿の後輩ちゃんにハグをした。
「はぁあああ。後輩ちゃんの香りを吸引して癒されよー」
「変態に拍車がかかってますよ」
私が後輩ちゃんの事をよく知っていったように、彼女の方は彼女の方で、私に対する様々な気付きがあったと思う。
それこそ、私が実は全然頼りにならないことなんて、すっかりバレてしまっていることだろう。
美人だ!素敵だ!と称えてくれた後輩ちゃんの姿は、重ねた日々の、日常に溶けた。
それは、「失望」ではなくて、「親しみ」なんだと思う。だから、私は後輩ちゃんに適当にあしらわれるのが好きだった。
「くうぅう。クールな後輩ちゃん、痺れる!好き!」
「はいはい」
後ろからのハグも、髪の毛に顔を埋めてスリスリとすることにも動じず、後輩ちゃんは料理をする手を止めない。冷蔵庫へ行ったり、コンロへ行ったり。私を引っ付けたまま、ズルズルと移動する。
「今日のご飯なにー?」
「ご飯と豚汁と、アジフライ」
「やったー!私の好きなものばっか!」
私が疲れていると察して、きっと、そういうメニューにしてくれたんだろう。ああ、もう!好き!
私は抱き締める腕に力を込めた。好きを、込めた。
スキスキスキスキ!心の中で、何度も言った。
並んでご飯を食べ、食器を下げて、洗い物は私の役目だ。ご飯を作らなかった方が洗うので、大体はいつも、私がした。後輩ちゃんはその間にお風呂掃除をして、お湯を張ってくれる。
女同士っていうのは、やっぱりいいな、と思った。
元彼と比較してしまうのは良くないことだと思うけれど、彼はいつもスマホゲームばかりだったので、家事の殆んど全てを、私がしていた。
女性は、家事は自分の仕事だと潜在的に思ってしまう生き物なのかもしれない。またはやっぱり、私達の価値観がよく似ているだけなのかもしれないが、彼女との共同生活は、スムーズで、そんなところも心地がいい。
「今日は一緒にお風呂するー?」
浮かれた気分のままに言えば、お湯張りのボタンを押した後輩ちゃんが、「ばっか………!先輩の、馬ッ鹿…!」と本気にして顔を赤らめるものだから、私はつい、笑ってしまった。
後輩ちゃんと私は、本当に好みが似ていて、だけど、価値観は少しずつ異なる。当たり前だ。
若いけど、しっかりしている。
一緒に居れば居るほど、やっぱりそう思う。
私は彼女を尊敬していたけど、見かけ倒しで実はポンコツだと知られてしまった私を、後輩ちゃんはどう思っているのだろうか…?
卵焼きはいつもしょっぱくなってしまうし、ドライブと間違えてバックしてしまい、駐車場のフェンスを壊したこともある…。
「もお!先輩は!」とか、「仕方がないな、先輩は!」とか、笑って言うこともあれば、ちょっと怒った顔をして言うこともある。
ごめんなさい…としゅんとすれば、いつも、結局は眉を寄せて笑って、「本当に、見掛け倒しの人ですね」と決まった台詞を言う。それは、ちょっとくすぐったい。
私の恋は、きっと実らないだろう。
そう、思うので。
共通の趣味である物書きは、いつも百合で、悲恋になる。妄想して、ハッピーエンドに持っていこうとしても、どうにもうまく行かない。
なかなか、彼女に見せられたものではないなと思う。
「今さぁ、百合書いてるの」
それはだから、思い付きで言った台詞。
「めっちゃ、ラブラブなやつ。私の理想」
嘘だ。
貴女への想いが溢れて溢れて仕方がない、ただの私の気持ちを書き殴ったものだった。
後輩ちゃんは、私の事をまだ一度も「好き」だと言ったことがない。
「モデル、後輩ちゃんなんだけど。読む?」
「……止めときます」
そう返されると分かっていて、聞いた。
臆病な、私。
「……」
「……」
続ける言葉は用意していなくて、少しだけ、沈黙が訪れる。けれど、それは、私のスマホが着信を知らせて震えたので何とか助かった。
電話、と言って、ベランダに出る。
相手は昔からの友人で、私がバイであることを知っている。雑談に、今の状況に、色々と話した。
「もう!私も好きだよ!ほんと好き!また会いたいねっ」
電話を切る前に、「好きだよー!お互い、幸せになろうねー!」「私も好きだよー!」なんていうフォーマットが、私達の中で成立していた。
久し振りに喋れたことや、今の状況を誰かに聞いてもらえたことが嬉しくて、私は心が踊るままにダイニングへ戻る。
「………」
と、そこにはパソコンの前で難しい顔をして居る後輩ちゃんが居た。
彼女も小説の創作活動をしている。
行き詰まっているのかな…?そっとしておこうか。
そう思って、声はかけなかった。
季節は巡り、冬が来た。
私は寒いのは苦手だが、『冬』は好きだった。
吐く息が白くなると、何と無く心が踊る。
赤くなる鼻の頭とか、頬とか。悴む手とか。そんな描写を文章でも取り入れるのが好きだった。
冬の炬燵。お鍋。後輩ちゃん!
勝手に、冬の三種の神器みたいに心の中で唱えて、日増しに寒くなって行く日々を楽しんだ。
吐く息が白くなるのは、何月何日だろうかと、密かに楽しみにしていた。
そんな風に、後輩ちゃんと過ごす日々が、その毎日がまた一段と楽しくって。
この、長い髪をいっそ、切ってしまおうかな、と思った。
もうすぐ、三十歳にもなるし。
なんだか、凄く前向きで、いいことのように感じた。
「そういえば、髪を切ろうと思うんだけど。どう?」
休日。
一緒に出掛けたカフェで打ち明ける。
街中の朝十時のカフェは、他にも女友達やお母様方で賑わっていて、意外にもガヤガヤとしていた。
「…いいんじゃないですか?」
「本当?」
自分はいいなと思っていても、好きな人がそうでなければ、浮かばれない。
だから、その言葉を聞いた時、心底嬉しかった。
「後輩ちゃんは、長い方が好きなのかと思ってた!」
「別に…。先輩なら、似合うんじゃないですか?」
「えっへへー!安心した!ありがとう!」
浮かれた気分のまま、カフェを出て、目的もなく、目の着いた雑貨屋に入ったり、小腹がすけばパン屋に入ったりした。
目的もなくぶらぶらと買い物を楽しめるのも、女同士の醍醐味ではないだろうか。
このデート気分に浮かれて、手を繋ぐ。
過去にも、二人で出掛ける時は手を繋いだりした。勿論、いつも私からだ。
「……」
後輩ちゃんは決まって、そんな時は何も言わない。
何を考えているのかわからないけれど、いつも、その手を離されることはなかったので、その優しさに甘えてしまう。
商店街ではすっかりクリスマスの準備がされていて、そういえば、もう来週がクリスマスなんだなぁと思った。
「クリスマスさぁ、何か欲しいもの、ある?」
「あー…、もう、そんな時期ですねー…」
彼女は少し思案して、なんでもいいです、と答える。何でもいいが一番困るなぁと思っていると、「先輩は?」と尋ね返してくれる。
「えー、後輩ちゃんからの愛かなぁ~」
いつもみたいに、なるべく、冗談に聞こえるように返した。全然、冗談じゃないのだけれど。
それはでも、多分きっと、彼女にも伝わっているのだろうなぁと思っていた。
「はいはーい」
彼女はいつものように私を適当にあしらったかと思うと、ふと、声のトーンを落とす。
「………ねぇ、先輩」
「ん?何?」
珍しく、繋いだ手に力が込もる。
それが嬉しくて、返事をするように私も、同じだけの力で握り返した。
「………私のこと、好きなんですか?」
もうすっかり、伝わっているんだと思っていたことを、改めて聞かれたので拍子抜けた。
「えっ?何?急に。好きだよ?そう言ってるじゃん」
「……」
目を丸めて言えば、後輩ちゃんはやっぱり、難しい顔をしていた。
その日の夜、後輩ちゃんが寝ても、電気を消して暗くなった部屋で私はスマホを弄っていた。
これは由々しき事態である!
と、思った。
私の想いが、温度を持って彼女に伝わっていなかったのだ。これは、由々しき事態である!
こんなに、好きなのに…?
じゃあ、どうしたら伝わるのかと、考えた。
迷惑に思われるのが怖くて、冗談に聞こえるように「好き」と言っていたのは、確かに、私の非だけれど。
それでも、そこにある本心は確かに伝わっていて、優しく、包み込んで隠していてくれているのだと、思っていた。
なんかもう、誤魔化しの聞かないようなことをしてやろう!と思って、調べたのが「バラの花束 本数 意味」だ。
次の日には、花屋に予約した。対応できるのがちょっと遠い花屋だったけれど、まぁ問題ないだろうと思う。
ふっふっふ!見ておれよ…!私の可愛い、後輩ちゃん!
クリスマスプレゼントは何でもいいって言ってたもんね!と、私は、来るクリスマスを心待にした。
しかしクリスマスの日、沢山の誤算があった。
まず、「定時で上がる」約束を、守れなかった。
すっかり帰ってしまった後輩ちゃんのデスクをドキドキ盗み見ながら、心の中で「ぅおりゃああああーっ!」と叫んで仕事を片付ける。
連絡を入れるべきだと思ったが、スマホで文字を打つ時間も惜しかった。
タイムカードを押し、車を飛ばす。
花屋で花束を受け取ったまでは良かったが、クリスマスを舐めていた。
帰宅する車と、恐らくはこれから出掛ける車で、道路は普段は見ない渋滞を起こしていた。
「全然、進まないじゃん!」
車の中で、誰にともなく、叫んだ。
結局、帰宅したのが何時だったのかわからない。
慌てて鍵を開けて玄関に入れば、窓から外を見ていた後輩ちゃんが振り返った。
怒っているのか、どうなのか。想像以上に大きかったバラの花束に視界を邪魔されて、その表情を確認することはできない。
「ごめん、遅くなったね。ただいま!」
駐車場からもうダッシュで階段を駆け上がった。はぁはぁと切れる息を少しずつ整えながら、ダイニングまで進む。
「ちょ、なん…、なんですか、それ」
「え?バラ」
はいこれ!そんな気軽な感じに、そのバラの花束を渡す。
片膝をついて…、なんて考えていたけれど、流石にちょっと恥ずかしくなってしまった。
「重ッ……!」
私は苦笑した。
確かに、感動的な渡し方では無かったから、その感想は仕方がないなと思った。私も、花屋で受け取った時、同じ言葉を口にした。「ねー!」と、同意する。
「数えてみる?百一本あるよ」
「…百一本…?」
訝しげに寄せられた眉に、きっと、「プロポーズなら百八本だったよな…」なんて考えているんだろうなぁと思った。
「そう、百一本!」
私はしたり顔で笑って、続ける。
「いまいち、伝わってなかったみたいだったから。言葉を変えてみようかと思って」
しかしいざ、その言葉を口にしようとすると、流石に少し、照れが出た。
「……………えーとね、うんと、」
「………」
後輩ちゃんは黙ってただ、私が言葉を紡ぐのを待った。
意を決して、私はその、意味を口にする。
「“これ以上無いほど、愛しています”」
はにかんで笑った。
後輩ちゃんは驚いた顔をした後、顔を真っ赤にして、少し困ったように、私を見た。
「…………馬っ鹿…。先輩、ほんと、頭弱い………」
「えっ!?何それ!ひっど………!」
もっと喜んで貰えると思ったのに…!と、なかなかショックだったけれど、その目が潤んでいることに気が付いて、息を飲んだ。
「…………あれ?なんで泣いてるの…?」
「………先輩の、帰りが遅いから………」
慌てた。
私は、彼女の色んな顔を見てきた。
本当に、彼女がこんなに可愛いってことを、私だけが知っているんだと、毎日高揚した。
けれど、唯一。
泣いた顔は、見たことがなかった。
「え?あ、ご、ごめんね…!料理、冷めちゃったよね……!」
「違くて。…………もう、私、………先輩の帰りが遅いから…。とんでもないことに、気が付いてしまったじゃないですかぁ………」
どうしてくれるんですかぁ…!と、遂に涙は溢れて止まらない。私は尚のこと、慌てふためく。
どうしていいかわからない手が、所在無く、ただ、あわあわと空を切る。
「私も、先輩が好きです」
しかし、ポツリと紡がれた言葉に、動きが止まった。
え?と、聞き返すまもなく、彼女は続ける。
「ずっと、傍に居て下さい」
えっ!と、今度はちゃんと、声に出た。
だって、思いもしなかった…。
驚いて後輩ちゃんを見れば、彼女は真剣な目をして私を見ていた。続く、言葉を、待っていた。
私は、ふにゃあと脱力して、つい泣き出してしまいそうだった。嬉しくて。
返事をしなきゃ、と思った。
けれど、少しだけ下りた沈黙に堪えかねて、後輩ちゃんは泣きじゃくりながら、「もう!」と先に声を出す。
「何、キザなことしてるんですか。そんなことより、早く帰ってきて下さいよぉ……!」
「あ、え、あ、ご、ごめん」
「いやもう、嬉しいですけど!どうしてくれるんですか!今、感情がめちゃくちゃなんですけど…ッ!」
「ご、ごめん…!」
ああ、抱き締めてしまいたい!と思って、まだ通勤バッグを肩にかけたままであること思い出した。床に置き、改めて、その花束ごと、彼女を抱き締めた。
「…やっと、後輩ちゃんの口から『好き』って聞けて…嬉しい……」
心からの、言葉だった。
「………不覚…」と、バラの向こうから声がして、おいおい、と笑う。そんな、ちょっと、強がりなところも、堪らなく好きだ。
もっと、近付きたいな…。
更なる欲に、折角用意した花束が邪魔だった。
「ちょっと、これ、置いとくね」
抱き取った花束を床に置く。
「どうしたんですか?」
首を傾げる後輩ちゃんに、ドキドキと、心臓の音が煩い。顔が熱い。緊張して、つい、上目遣いに窺ってしまう。
「あの、さ。その…、キスを、させてもらっても、いい?」
「……」
訪れた沈黙に、ヒヤッとする。
性急過ぎたかな、引かれたのかな…。
どきどきどきどき、と心臓の音は更に鼓動を速める。
しかし、次の瞬間には、後輩ちゃんは笑った。
今まで見てきた、どんな笑みよりも美しくて、幸せに満ち足りている笑みだった。
「すっかりそのつもりで花束を避けたくせに!」
的確な突っ込み。
えへへへー、と、私も笑う。
私の笑みは、そんな美しいものではなかったと思う。
照れて、嬉しくて、にやけそうになる頬を、必死に堪えた。
「すまん。キスするぞ!」
いつもみたいにヘンテコな口調で、私はその淡い色の唇に、唇を重ねた。
その柔らかさに、驚いた。
近付けた顔を離すと、目が合って、どちらともなく、照れて笑ってしまう。
「………確かに、クリスマスプレゼント、渡しましたからね?」
次に冗談めかしく言ったのは、後輩ちゃんの方だった。
クリスマスプレゼントに、後輩ちゃんからの愛が欲しい、と答えたことを思い出す。
「……確かに!受け取りましたっ!」
私達はもう一度笑みを深めて、唇を重ねた。
それから、すっかり覚めてしまったご馳走達を温め直して、一緒に肩を並べて、「いただきます」をする。
「………今日こそは、一緒にお風呂に入ろうか…?」
「ばっか!先輩の、馬っ鹿……!」
思い付いた冗談に、後輩ちゃんはやっぱり、赤面して照れ隠しに少し怒った顔をする。
「…………………でもまあ、今日は、それも良いかもしれませんね…」
「えっ…………!?」
驚いた顔で後輩ちゃんを見れば、彼女は「してやったり!」というような顔をして笑った。
「ば、ばっか……!後輩ちゃんの、ばか!」
今度は、私が赤面する番だった。
後輩ちゃんがこんなに可愛いと言うことを、私だけが知っている。 将平(或いは、夢羽) @mai_megumi
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