最終話 それから……
合成生物を討伐してから、実に二年が経った。忍と結菜の二人は日本を離れ、異郷の地で暮らしていた。
「今日の帰りはどうですか」
「久しぶりに早く帰れそうだよ。早く
結菜からのメッセージを確認すると、忍はスマホをポケットにしまった。
「お子様は今眠りました」
「ああ、ありがとう」
ベビーシッターの中年女性の話を聞いた忍はリビングに入り、ベビーベッドの中をそっと覗き込んだ。
そこには、小さな天使が安らかな顔をして眠っていた。ついさっきまで火のついたように泣き声をあげていたのが嘘のようであるが、得てして赤子というのはそういうものなのであろう。
***
あの戦いから二か月後のことである。結菜に呼ばれて彼女の元を訪ねた忍は、衝撃的な告白を受けた。
「キミの子を妊娠していることが分かった」
寝耳に水であった。一瞬、彼女は自分をからかっているのでは、と思ったが、結菜の表情におふざけの色は全くない。それに忍自身、思い当たる節は確かにある。初めて結ばれたあの日のこと……きっとあの時、結菜は忍の子を身籠ったのだろう。あまりに急なことで、忍はしばし押し黙ってしまった。
この時、喜びと戸惑いとが、忍の頭を一気に駆け巡った。子どもを持つには明らかに早すぎて、現実味が全く感じられない。けれども結菜と自分との間に子どもができたこと……それ自体は素直に喜ぶことができた。
「僕は……どうすればいいんでしょうか。正直何をすればいいのか全く分からなくて……」
「戸惑うのも無理はないさ。取り敢えずこのことは絶対、誰にも言ってはいけないよ。それだけは約束してほしい」
「……分かりました」
「そう不安がらなくていい。後のことは全部私に任せてくれたまえ」
忍は言いつけに従い、このことを秘密にして誰にも話さなかった。彼は何も悟られぬよう、以前のように結菜の元へと通い続けた。
最初の内は結菜のお腹がまだ平べったかったので、忍の中にいまいち実感が湧かなかった。けれども彼女のお腹が次第に大きくなってくると、否が応でも自分が父親になったということを認識させられた。
そうして時が経ち……最寄りの産婦人科で、二人の子は産声を上げた。子どもは男の子で、
それから数か月後、結菜は管理している魚たちの殆どを売却した後、忍と優樹を連れて海外へと渡った。
結菜は北大西洋に浮かぶセーレル王国という島国の水産物養殖場で、食用魚の養殖に携わることとなった。彼女の大学時代の友人にこの国の高官とコネクションを持つ者がおり、その
結菜がセーレル王国を選んだのは、忍と優樹のためでもあった。王政を敷くこの島はかつて狭い島の中で二つの王家が立ち、血で血を洗う戦争を繰り返していた。戦争において真っ先に犠牲となるのは前線に立って戦う成人男性であり、男子の人口減少と平均寿命の低下が島内全体の問題となった。そういった情勢から、血統を残すために男子の初婚年齢が下がっていったのだが、男子早婚の風習は戦乱が集結して久しい現代においても残っている。今の国王も十四の頃に王妃を娶り、その翌年には第一子が誕生している。
そうした背景から、年若い父親というのがこの国では珍しくも何ともない。この国でなら、夫と息子も珍奇な目で見られることはないだろう……結菜はそう考えたのであった。
***
忍はすうすうと寝息を立てる優樹を背に、机に座って数学の問題集を広げた。結菜は高給を以て迎えられており、人を雇うことで忍が負う家事育児の負担は随分と軽減されている。そうしてできた余暇で、忍は学習を進めていた。
暫くは勉強に集中していた忍であったが、息子のことが気になりすぎて、とうとう問題集を閉じてゆりかごの中を覗きに行ってしまった。
「ママ、今日は早く帰ってくるって」
ふくよかな頬の息子を眺めながら。忍は改めて自分の身の上の数奇な運命に想いを馳せた。こんな年で父親になるとは思わなかったが、これはこれで幸せな人生だ、と思っている。憧れの人と結ばれて、二人の間に子どもも生まれたのだから。
慣れない異郷の地での生活にも、ようやく少しは馴染んできた。とはいってもまだ言葉は少ししか分からず、この国の人々とのコミュニケーションはあまり上手くいかない。それに対して結菜はほぼ完璧にこの国の言語を使いこなしているのだから、頭の出来が根本から違うのかも知れない。
高緯度にあるセーレル王国の夏は、日本よりも日の入りが遅い。まだ空が明るい内に、結菜が帰ってきた。
「今日もかわいいね、優樹は」
ベビーベッドの中ですでに目を覚ましていた優樹に、結菜は頬ずりをして背中を撫でさすった。優樹はその短い腕をばたつかせて、結菜の肩をぽんぽんと叩いている。
「まんま」
「え、今ママって言ったかい? 嬉しいなぁ……もう言葉を使えるなんて」
息子が言葉を発した……あまりの嬉しさに、結菜の顔は完全にとろけきっていた。子煩悩とはまさしくこのことであろう。
「かわいいといえば、優樹のパパもかわいいよねぇ」
「ちょっ……やめてくださいよ」
「私は嬉しいけどね。これからもかわいい忍くんでいてくれたまえよ」
結菜は忍の長い黒髪を、乱暴にわしゃわしゃ撫でた。
忍は結局、十四になっても大して背は伸びなかった。その上顔つきもあまり変わっていない。忍にとっては複雑だが、それが結菜にとっては喜ばしいことであったようだ。
「で、でも……結菜さんはかわいい方が好きなんですよね。かっこいいとか、頼りになる男よりも……」
「その通り。これは私の好みさ」
「なら……かわいいって言ってくれるような見た目のままでよかったです」
忍は赤くなって下を向いた。夫婦になった後でも、やはり忍の恥ずかしがり屋な部分は抜けきっていない。
「あの、明日は早くないんですよね。だったらその……今夜は……」
「ははぁ、根はスケベな男子だから面白いよキミは。あ、私はまだ二人目を作る気はないから、ちゃんと避妊しておくれよ」
「それは分かってますよ」
「まぁでもいずれは……ね」
誘うような笑みを向ける結菜に対して、忍は頬を赤らめながら頷いた。
世話焼き少年と科学者♀のおねショタ日記~~人食い怪獣を添えて~~ 武州人也 @hagachi-hm
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