第7話 孤独な闘い

 結菜と結ばれたあの日以来、なぜか彼女は「今日は来ないでほしい」と連絡を寄越してくるようになった。それが一度であれば、忍もさして気を揉まなかったかも知れない。しかし二度、三度と続くと、流石に不安の黒雲が忍の心中に立ち込めた。


 ――もしかしたらあの時、自分は結菜に嫌われることをしてしまったのかも……


 そうした疑念はすぐに繁茂して、この繊細な少年の心に地下茎を張りめぐらしてしまった。

 一週間、不安に苛まれて眠れぬ日々を過ごした忍は、とうとう決心した。


 ――会いに行って、直接理由を聞いてみよう。


 そう思い立った忍の行動は、驚くほど速かった。彼は着の身着のままで、急いで家を飛び出した。彼はすっかり伸びた髪を風になびかせながら、黒い疾風が如くに走り出したのであった。


***


 曇り空の下、冷たく湿った風が、この長身美人の頬を吹いていた。

 川岸にたどり着いた結菜は、川に沈めていた数機の水中カメラを全て回収した。発信機の受信装置によれば、あの怪物ここら辺のどこかを泳いでいる。奴はきっと流れの穏やかな、それでいて水深のある場所で伏せっているに違いない。そして、餌となる生き物をほとんど食いつくしているだろうから、きっとお腹を空かせているだろう。

 そう目星をつけた、結菜の作戦が始まった。


 結菜はクーラーボックスから解凍済みの冷凍ニジマスを三尾取り出して、それをドローンにくくりつけて上空に放った。ドローンを使って川のあちこちにニジマスを投下した後、再び手元にドローンを戻し、そしてまた同じようにニジマスをくくりつけて上空に送り出した。

 水鳥の鳴き声に混じって、ぼちゃん、ぼちゃん、と、水中にニジマスの没する音が響き渡る。

 六尾目が投げ込まれた時のことであった。突如、ドローンの真下の水面が、大きく盛り上がった。水をかき分けて姿を現した巨大な生物は、大口を開けて落ちてくるニジマスをばくりと食らった。

 現れたのは、まさに怪獣といってよい生物であった。胴体はアリゲーターガーそのものであるが、ワニのようなごつごつとした脚が生えている。異様、というより、もはや冒涜的な生物ともいうべきであった。陸上を警戒に動くことができるのは、エラ呼吸だけでなく肺呼吸を行うことのできるアリゲーターガーが素体となっているからであろう。

 異様なのは、容姿だけではなかった。普通のアリゲーターガーは、どんなに大きくても二メートルを少し超える程度である。けれども目の前の合成生物は、全長だけでも七メートル以上はあった。世界最大級のワニであるイリエワニよりも大きい。凄まじい巨躯である。

 アリゲーターガーとアリゲーター、魚類と爬虫類の合成生物。これこそ昭が相打ち覚悟で仕留めようとして失敗した怪物であった。


「さぁ、来たまえ。決着をつけようじゃないか!」


 結菜は地面に置いていたクロスボウを拾い上げて構えた。このクロスボウに装填された注射器の中身こそ、この日のために結菜が用意していた必殺の武器である。


 帰郷した結菜は観賞魚の売買と忍の両親からの授業料、実家からの仕送りで生活費を得ながら、怪物退治のための薬品を作り出そうと実験を繰り返した。そうしてとうとう、薬品を餌に混ぜたレインボーシャークの爆発が、実験の成功を知らせてくれた。あれは決して事故などではない。実は最初から、魚の体を爆発させる実験を行っていたのだ。

 この注射器に満たされている液体こそ、レインボーシャークを爆発させた薬品であった。レインボーシャークのような小型魚であれば、餌から摂取させても爆破できる。けれども今目の前にいる巨大生物に対して経口摂取では十分な効果は望めない。粘膜に針を打ち込み、そこから直接注入してやらねば、確実とはいえないだろう。


 結菜はクロスボウを構えながら、突進してくる合成生物をじっと待ち受けた。チャンスは一瞬、怪物が口を開けた時だ。

 アリゲーターガーはガノイン鱗という非常に硬い鱗で全身を固めており、中途半端な攻撃ではまず貫くことはできない。七メートルを超えるような巨体であれば、なおさら鱗は分厚く硬くなるであろう。あの大爆発にも耐えたのだから、その防御力は相当なものと思われる。だから外側からクロスボウで撃っても、きっと注射針は刺さってくれない。

 やがて、怪物は捕食のために、その特徴的な細長い口を大きく開けた。中には細く鋭い牙がたくさん立ち並んでいるのが見える。アリゲーターガーの牙は、咥えた獲物に突き刺して逃さないことに特化したつくりになっているのだ。


 ――今だ!


 意を決した結菜は、クロスボウの引き金を引いた。

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