第七話『新たなギルドメンバー』②
「アイちゃん……。探してたの。ずっと」
ねーちゃんが、ぽつりとこぼした。
それはあたしの空耳だったんじゃないか、ってくらいか細い声で、簡単に雑踏の中に飲み込まれていってしまう。
探してた?
あたしには、ねーちゃんの言葉が脳みそに浸透してこなくって、単語の意味すらも忘れてしまったかのように、脳内で
「ねーちゃん……なんで……」
ようようと絞り出せたのは、自分が発したのかも疑わしいくらいの掠れた声だった。
「よかった。アイちゃん見つかって、本当によかった。ごめんね。アイちゃんにずっと謝りたくって。あのとき、アイちゃんが怒ってたことに、すごくびっくりしちゃって。怖がったつもりはなかったのに……。傷つけるつもりなかったのに……。ひどいことしちゃった、ってずっと後悔してて。ごめんね、ごめんね……」
ねーちゃんは儚げに目を瞑ると、あたしに倒れかかるようにして抱きしめてきた。
鼻腔をくすぐるのは、紛れもなく十年以上ともに生活してきた姉の香りだった。
懐かしいな。ねーちゃんの体、また大人っぽくなってる。顔も一段と綺麗になったような気がした。
息が詰まる。
拒絶されたと思っていたねーちゃんが今あたしの目の前にいて、あの日のことを後悔してた、って謝罪してくれている。
かける言葉が見つからない。
だってあたしは、あの日に戻ってやり直せるわけじゃないし。例えそれが選択できることだったとしても、あたしは今を選ぶ。
今のあたしにはギルドがある。恋人もいる。
……遅いんだよ、ねーちゃん。
「わかったから、もういいよ」
「お姉ちゃんのこと、許してくれるの?」
「うん……。だって、ねーちゃんを怖がらせるようなことしちゃったのは、あたしだし。それに、あたし、自分の全てをねーちゃんに打ち明けられなかったから」
あたしがレズビアンだって。言えなかったんだよね。もしかしたらねーちゃんは、薄々感づいていたのかもしれないけど。
ねーちゃんはすんすんと鼻をすすり、あたしに抱きついたまま泣き止まなかった。
リナ、そろそろ帰ってくるはずだけど……。こんな場面見られて、誤解されないかな?
今傍にいるのは、あたしが未練たらたらだった初恋相手で。本来なら、ねーちゃんのことばかり思い浮かぶはずなのに、考えるのはリナのことばかりだった。
「アイちゃんは相変わらず優しいね。お姉ちゃんはアイちゃんのこと、傷つけちゃったはずなのに。……アイちゃんは、今、女の子だけのギルドにいるのよね……?」
「えっ、どうしてそれを? ってゆーか、ねーちゃんはなんでこんなところにいるのさ」
ようやく飲み込んでいた言葉に回帰できた。
モヤモヤとするものはあったけれど、ねーちゃんがあたしを嫌っていたんじゃないと知ると、過去の
「……アイちゃんを探すために、色んな街を歩き回ったのよ。そしたらね、隣町で女の子だけのギルドがあるって噂になってて。そこに鬼の女の子がいる、って話も聞いたの」
ねーちゃん、そこまでしてあたしを探してたのか……。
胸が切なくなると同時、彼女の無謀さについカッとなってしまう。
「もしかして、ねーちゃん一人で? ねーちゃんは女の子なんだから、一人旅なんて危ないだろ! 何やってんだよ……馬鹿」
「だって! どうしてもアイちゃんに会いたかったの! でも、安心して。お姉ちゃんも、あの日から男の人が怖くなっちゃって……。女の方の傭兵さんを雇っていたから……危ないことはなかったわよ」
あの日。
ねーちゃんが、村で奴らに襲われようとしていたあの日。あたしが村を出て行くきっかけになった事件……。
ねーちゃんも、心に傷を負わされていたんだね。
でも。そんな怖い奴らがうようよとしている世界に飛び出してまで、見つかる保障のないあたしを探し回っていただなんて。
ねーちゃんはあたしのこと、よっぽど後悔していたんだ……。
「それで。ねーちゃんは、これからどうするの? あたしは、もう村に帰ることはないよ。自分の居場所、見つけたから」
ようやく落ち着いてきたねーちゃんを引き剥がすと、彼女はあたしより頭半分ほど高くから柔和な笑みを浮かべた。
あたしが恋していた笑顔だ。
瞼に浮かぶのは、在りし日の恋心。けど。今のあたしは過去の幻惑に揺さぶられることはなかった。
「お姉ちゃんも、アイちゃんのギルドに入りたい。私も……あそこには戻りたくないから……」
ねーちゃんの長くて糸のように細い髪の毛が風に晒されて、頬を叩いていた。侘しさを漂わせる姉は、震える小指で髪を耳にかける。
「なに言ってんだよ。ねーちゃんには、お父さんとお母さんがいたじゃん。黙って出てきちゃったの?」
「……ううん。ちゃんと、出て行くって言った。だって、私、あそこにいたら結婚させられちゃうから。そんなの、嫌……」
ねーちゃんも、孤独を強いられる女性の一人になっていた。
"あたし"っていう居場所を探し、駆け回っていたねーちゃん。彼女はどれほど心細かったのだろうか。
見れば、衣類はこの街で調達したのか新品だったけれど、靴は履き潰れてボロボロだった。
「で、でもさ! あたしのギルドのこと、知ってるの? 生半可な気持ちじゃ、入れないよ?」
「知ってる。女の子が好きな女の子、が集まるギルドなんでしょ?」
「本当にわかってるの? ねーちゃんは、あたしの保護者気分なんじゃないの? ……あたしは、れっきとしたレズビアンだよ。異性の話なんて、聞くのも
あたしは、ねーちゃんに何を期待していたのだろうか。
孤独を感じているねーちゃんに厳しい言葉を突きつけて、どうして欲しかったのだろうか。
だけどあたしの葛藤なんて一喝されるかのように。ねーちゃんは間髪入れずに返答を紡いだ。
「平気よ。お姉ちゃん、本気だもの」
「……嘘なんかついてたら、うちのマスターに簡単に見破られちゃうよ? あたしたちのギルド、異性の話題を出すのもタブーな、レズビアンだけのレズビアンのためのギルドだよ?」
「全然構わないわ。ううん、そっちのほうがお姉ちゃんも嬉しいくらい」
「本当にそう思ってる? あたしのことが心配なだけなら……他を探したほうが良いよ? だってあたし……恋人できたもん」
あたしの告白を受けたねーちゃんは、瞬間、唇を震わせて……何か言葉を飲み込んだようだった。
目元に涙が浮かんだ気がしたのは、見間違えだったのかどうか、判別がつかない。
だって、ねーちゃんは頭を振るうと、決意の滲んだ瞳をたたえているだけだったのだから。
「そっか。アイちゃん、よかったね。おめでとう。……お姉ちゃん、ちょっと寂しいけど。でもね、アイちゃんのギルドに行きたいって気持ちは変わらないわ。お願い。連れて行って?」
あたしはねーちゃんの強固な意志を感じ取って……。
圧されるように頷いていた。
「……リナ、見てるんでしょ? おいでよ」
数分ほど前から感じていた背後の気配に向かって、あたしは声をかけた。
すると、ばつが悪そうにリナがカフェの影から現れる。
「ご、ごめん。うち、声かけるタイミングわかんなくって」
リナは遠慮がちにあたしの隣に寄り添ってきて、ねーちゃんと視線を交わしていた。
「えっと。あたしのねーちゃんの、モモカだよ。で、この子はリナリーって言って、あたしの"カノジョ"!」
その紹介に、ねーちゃんは目を何度もぱちくりと開閉させる。
反対にリナときたら、後頭部をポリポリとかきながら照れ笑いをした後、丁寧にお辞儀をしていた。リナが意外と礼儀正しくってびっくりした!
「えっと、お姉さんのことは話に聞いてましたっ! う、うち、妹さんとお付き合いをさせていただいておりますっ! ふつつか者ですが、よろしくお願いします、お姉さん」
リナ、何を言い出すんだよっ!
結婚のご挨拶じゃないんだからさ! ま、まあ、あたしは別に、それでもいいけど……。
ねーちゃんは面食らった顔を継続させるばかりだ。
「あ、よろしくお願いします、リナリーさん。アイちゃんの……カノジョさん、とっても可愛いのね」
ねーちゃんは驚きを隠せてはいなかったけれど、女の子同士で付き合っていることに関しては疑問にも思っていないようだ。むしろ、そこには羨望の眼差しさえ発露している。
「で、さ。聞いてたかもしんないけど、ねーちゃん、ギルドに入りたいんだってさ。リナ、デートの続き、今度でもいい?」
あたしは申し訳無さそうに、リナを上目遣いで見やる。
だって。ねーちゃんを一人で行かせるわけにはいかないし……。
するとリナは、わかっている、と言わんばかりにあたしの肩を叩いてくれた。
「じゃー、アイの服買いに行くのは今度にしよっか♪ 今日はお姉さんをギルドに紹介したら、お部屋デートね♪」
「ん、ありがと、リナ」
リナがいい子すぎて、キスしようとしちゃったじゃんか。ねーちゃんがいる前だっていうのに、危ないなあ、もう!
「あ、おデート中だったのね。なんか、邪魔しちゃってごめんね、アイちゃん、リナリーさん」
「いいっていいって。お姉さんは大切なギルドメンバーになるんだもん。ね、アイ?」
「え? う、うん。でも、気をつけてよ、ねーちゃん。女の子と見ると、すぐに手を出す人もいるから」
シャルとか、ティアとかな!
ねーちゃんならきっと、あんな人たちの誘惑に負けるとは思わないけど。
当の本人は、なんのことかわからなくって、呑気に小首を傾げているときたものだ。ねーちゃん、天然だからなぁ……。女ったらしの毒牙にかからないといいけれど……。
あたしはリナと手を繋いで、指を絡めあって、ギルドへとUターンすることになった。後ろには、ずうっとニコニコとした笑顔のねーちゃんがいる。
なんとも、不思議な気分。
でもね、心は晴れやかだった。
ねーちゃんのこと、未練はなかったけれど。でも、でも、仲直りできたんなら、それに越したことはないから。
しかも、ねーちゃんもレズビアンのためのギルド"リリズ・プルミエ"に来てくれてさ! なんか、めちゃくちゃホッとしている自分がいた。
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