第六話『恋する鬼の行き着く先は』④

 一睡もできなかった……。

 ふらふらとしながら自室のカーテンを開けると、あたしの悩み事なんて嘲笑うみたいに燦然さんぜんとした朝日が差し込んでくる。眩しい。


 目を細めて外を眺め、よしっ、て気合いをいれる。


 あたしは決意したんだ。


 リナリーとともに未来を歩むことを。

 って、大げさかもしんないけどさ。そもそもリナには昨日のことで嫌われちゃって、あたしの決心なんて一蹴されるかもだけど。でも、想いだけでも伝えないと!


 リナはね、あたしと一緒なんだから。

 お互いに嫌いなものが共通してて、そのことでメンタルをやられちゃうこともたくさんあってさ。そんなときに、辛い気持ちを共感できるあたしこそが傍にいてあげるべきだと思った。

 だって、あたしがずっと、寂しいと感じていたことだから。


 あたしの気持ち悪い性格なんて誰にも受け止めてもらえず、孤独感で溢れていた過去の日々。

 あたしはね、ずっと欲していたんだよ。

 自分の趣味嗜好、苦手なものを全部許容してくれる女の子をね。

 つまり、あたしと同類のリナリーだって、同じことを思って生きてきたはず。


 リナが嫌なものを見ちゃったり、聞いたりしたときは、あたしが慰めてあげられる。逆だってそうだ。


 ……アキホさんのことも、気にならないと言えば嘘になるけど。

 アキホさんならきっとあたしじゃなくっても、素敵な恋人ができるはず。もしもいい人が長い間見つからないようだったら、あたしが探すのを手伝ってあげてもいいし!


 けれどリナは。

 あたしにしかリナの慰め役にしかなれないと思ったんだ。

 もちろん、このギルドにはあたしやリナのように異性の話を聞くのすら苦手、っていう考えの子も増えてきているし、シャルの邸宅にだっていっぱいいる。


 でもさ、あたしとリナは、そのことで日がな語り合っていたんだよ。

 なんだろうね、いわば"オタ友"みたいにさ。あたしたちって、共通の話題があると、急激にアツくなっちゃうんだ。

 今まではその距離感が友だちっぽさもあって、自分の気持ちから逃げていたけど。


 ここまで追い詰められて、やっと整理がついた。


 あたし、リナと恋人になりたい!

 もしかしたら未来には、別れ、っていう悲しい道もあるのかもだけど。

 だからといって、今のリナを悲しませてもいい、ってわけじゃない。


 あたしは意を決して、シャワーを浴びた。

 リナに全部を伝えるんだから、体を清めないと、って思ったんだ。

 それから自分なりに身だしなみを整えた。


 あたしに女の子女の子した服は似合わないから、シャツにハーフパンツっていうラフなスタイルだったけど。

 髪だって櫛で梳いたし、ヘアピンもつけてみた! 頭髪の装飾品は、普段は角が隠せないとコンプレックス全開になっちゃうからしないんだけど……リナはあたしの嫌だと思う部分も可愛がってくれるし、今日は隠さない!

 気持ちの臨戦態勢はばっちり。あたしは勇み足で自室を出た。


 午前中から、うだるように暑い日だった。


 シャルの邸宅は空調が効いていて、快適な空間を保たれているはずなのに。

 まるであたしだけ外にいるかのように発熱している。緊張と興奮は体内を活性化させてくるんじゃないのか、って思わせられた。


 二階の東側にある一室こそが、サキュバス一家に与えられた部屋だ。

 といっても、長女ティアは他の女性のところに転がり込んでばかりらしいし、次女の"ナナ"や四女の"アメリア"も、あまり部屋には戻ってこない、ってリナが言ってた。

 末っ子のみゃ子ちゃんもシャルのところに入り浸っているみたいだ。


 なので、だだっ広い部屋に一人だからオタ活も捗るし、自由にくつろげるってリナがはしゃいでいたっけ。

 リナはサキュバスなのに、一家で唯一恋人も作らないで。

 あたしのこと、ずっと待ってたんだろうな……。


 大丈夫だよ、リナ! あたし、決めたからさ!


 想いを込めて、扉をノックした。

 なんてことのないノックだったけれど、リナを呼ぶためのノックだと思ったらこれにも誠意が必要なんじゃないのかなーって気がして、強めに叩いてしまう。


 しかし扉は、あたしの気持ちとは真逆を示すように、のっそりとやる気なく開かれた。


「…………なに?」


 ずきっ。

 その瞬間、あたしはどうしようもないほどの後悔が胸に去来した。


 現れたリナリーは、あたしの心が痛んでしまうくらいには凄惨な出で立ちをしていたのだ。

 彼女の目元は腫れていて、夜通しで涙を流していたんだろうな、って簡単に予測できる。

 髪の毛もボサボサで、メイクも落とさずに泣き続けたのか、ところどころ崩れていて、彼女の荒んだ心を全身で表現しているかのようだった。


 服だって、昨日ギルドに来たときの格好のまま。本来はお洒落に決めていたはずの薄ピンクのシャツと、淡いベージュの上着。それからミニのプリーツスカートは、よれよれになっていて、あの後ずっとベッドで蹲っていたのだろう。


 どうして昨日、追いかけてあげなかったんだ、あたし。

 女の子のことこんなに悲しませて、泣かせて、馬鹿じゃん……。気づくの、遅いんだよ。


「あ、あの、あたし、リナに話があって……!」


 精一杯、気持ちを伝えないと。

 あたしも震える唇を奮わせて、拳を握り締めながら言葉を空気に乗せた。


「うちは、ないよ……」


 声までも悲壮感が漂っていて、しゃがれている。

 リナはあたしを避けるようにして、扉を閉めようとした。


「待ってよ! お願い、聞いてよ」


「嫌だっ、聞きたくないっ!」


 あんなにあたしのことを受け入れてくれたリナが、今度はあたしを拒絶してくる……。

 心が折れそうになった。


 その一瞬の隙を突かれて、リナが部屋から飛び出す。一目散に廊下を駆けるリナの後ろ背を見て、はっ、となって、あたしも無我夢中で疾走した。

 もう、迷わない。

 今度こそ、リナの背を追いかけるんだ!


 広々とした豪邸を駆け回る。

 リナは猫のように身軽で、愛らしく揺れる小ぶりな翼も利用して、風に乗るように逃げていく。

 リナの羽は空を飛ぶことはできないらしいけど、空気を泳ぐように羽ばたかせることで、高い機動力を得られる、って得意げに語ってもらったことがあった。その俊敏さは魔獣退治にも一役買っているらしい。リナは今、それを存分に発揮させていた。


 リナは階段も跳躍するように下っていって、あたしとの距離をどんどん離していく。

 でも、あたしだって鬼だし! 体の頑丈さなら自信があるんだ!

 あたしは階段を一段一段下るのもまどろっこしくなって、全段をすっ飛ばした。

 

 盛大に特大ジャンプをかまし、階下にずしーん、って地響きにも似た揺れを発生させて、あたしはロビーに降り立つ。

 追いつかれたリナは、けれどあたしには目もくれず、玄関の扉を開けてまだまだ逃げる。


「あらあら、青春ね~」

「アイカちゃんがんばれ~」

「きちんと掴まえててあげなきゃ駄目よー!」


 周りにいたシャルの囲いの子たちに、声援を送られる。

 ……みんな、あたしたちの喧嘩をちゃっかり楽しんでやがる! お気楽すぎないか!?

 ってゆーか、みんなして慣れきった対応だなあ。もしかして、こんな痴話喧嘩、しょっちゅうなんだろうか。


 って言ってる場合じゃない!

 あたしもシャルの家から飛び出して、左右にきょろきょろと首を動かす。

 速い!

 リナは邸宅の裏に逃げ込もうとしているのか、その背はすでに小さくなっていた。


 むわっとする外の暑さを振り切るようにして、あたしはクラウチングスタートの動作を取った。


 大地を蹴る。


 鬼の筋力でのスタートダッシュは、つま先が土をえぐり、弾丸のような勢いであたしを射出させた。


 リナの背がみるみるうちに迫ってくる。


 リナは邸宅の角を曲がって、裏庭に駆け込んだ。

 シャル宅の裏には、大きな樹の周囲にテーブルが寄せられた、ちょっとした憩いの場が作られてある。

 しかし夏で朝の今は誰もいなくって、静謐せいひつな空間となっていた。


 物静かな裏庭にて。

 あたしはようやくリナを確保した。


 背中越しに飛びついたため、リナは地面に押し倒される格好だ。

 大樹の根本にて、リナに覆い被さったあたし。

 枝葉が幾重にも絡まりあった木の下には薄暗くなるほどの影ができていて、リナの首筋にじっとりと浮かぶ汗が光り輝いて見えた。


「逃げすぎでしょ、リナ……」


「……重たいから、どいてよ」


 リナは肉体的には抵抗してこなかったけれど、彼女のエメラルドグリーンの瞳には拒絶だけが浮かんでいる。

 あたし、嫌われたのかな。

 しかたないよね。昨日、泣いていたリナを追いかけられなかったんだから。

 でも、でも、気持ちだけは伝えておきたいんだ!


「聞いて、リナ。あたし、」


「聞きたくない!」


 リナは耳を塞いで目を瞑った。

 頑なに、あたしを拒否する。どうして、こんなにも声すら聞き入れてくれないのだろうか。

 あたしは意地になって、リナの腕を掴んでいた。


「聞いてよ!」


「やだっ、聞きたくない!」


「お願い、聞いて!」


「いやだって言ってんでしょ! 馬鹿アイっ! 誰か助けて、アイが乱暴してくる!」


「……っ!」


 リナは聞く耳持たず、喚き散らしてあたしを遠ざけようとする。

 でもね。

 あたしは折れない!

 今はリナの耳が塞がれていないし、チャンスなんだ!


 あたしは、すうっ、と息を思いっきり肺に送り込んで。


「リナっ! あたし、リナが好きだっ!! 誰よりも好きだ!!」


 言った。

 大気を震わせるほどの大声で、言ってやった!

 

 あたしの咆哮のような叫びが残滓となって、いつまでもこだましていた。シャルの邸宅全域に及ぶほどの反響が終わると。

 空気が静けさに満ちる。あたしたちも周囲の自然と一体化したみたいにして、しんとしていた。


 リナが、あたしを不安げな瞳で見上げている。

 まつ毛が長くて愛らしいリナの双眸は、何度も瞬きを繰り返した。


「え? アイ、どゆこと? うちのこと、好きって」


「どうって! リナは経験豊富なんだから、空気でわかるでしょ! むしろなんでわかんないのさ。あたしが、リナのこと恋人にしたいって言ってるの!」


「待って待って! だって、アイ、違う人のこと好きになったんじゃないの?」


「違うよ! 昨日、確かに良い雰囲気にされちゃったけどさ。あたし、ちゃんとリナに決めたんだよ。リナだけを選ぶって決めたの」


「ほんと? うち……。アイが、あの人と付き合ってるんだと思ってさ。その報告されるのかと思って……あはは」


 だから逃げてたのか!

 リナは、がっくりと力を抜いて、昇天寸前かのごとく脱力しきった笑みを浮かべている。腕で顔面を覆って、ふるふると体を震わせて。

 どれだけ、あたしの報告を聞くのが怖かったんだろうか。

 あたしはリナのことをぎゅうって抱いた。


 地面の上で覆い被さったままだったから、傍から見ればいやらしい行為の最中に見えなくもないかもだけど。とにかく、リナを抱きしめたかった。


 全速力で追いかけっ子をしたあたしたちは、汗だくで。

 服がぐちゃぐちゃになりながらも、リナのことを抱いた。リナもあたしの背中に腕を回してきて、あたしたちは一つになれた気がした。リナの目元には涙も浮かんでいて、安堵と嬉しさに満ちた表情をしていた。可愛い。


「ねえリナ。あたしと……恋人に、なってくれる?」


「当たり前じゃん。ってゆーか、遅いんだよ、もう……。馬鹿アイ!」


「ご、ごめん。あたし、こんなの初めてだったから……。どうすればいいかわかんなかったんだよ」


「じゃーさ、お詫びにちゅーしてよ。うちら恋人なんだよ、できるでしょ?」


 胸がノックされたのかと思った。

 リナは真摯な眼差しであたしに口づけを訴えかけてくる。今までのような冗談、っていう雰囲気では決して作れない、恋人同士の甘い空気に包まれた。


 リナの無防備な桃色の唇が瑞々みずみずしく光っていて、あたしのことを待ち望んでいる。

 ごくり。

 胸が、壊れちゃう。ドキドキいいすぎて、世界に存在する音が心音しかなくなったのかと思った。


「ううっ……。初キスは、リナからしてくれるとばっかり思ってたから、心の準備が……」


「あははっ、顔真っ赤だよ、アイ。可愛い♪ でもね、アイからしてくれなきゃ、許さなーい」


「わ、わかってる、よ……」


 数センチ、リナに顔を寄せる。

 気が動転しまくり。鼻息が荒くなる。呼吸が荒れ狂う。こんな獣のような息遣い、リナに聞かれたくないのに!

 でも、でも、リナは目を閉じちゃって、あたしのことを今か今かと待っていてくれる。

 可愛いよ、リナ。

 ちょこんと突き出た唇が、愛おしいよ。


 あたしは、リナの背を追いかけたときの勇気を思い出して――唇で、唇に触れた。

 柔らかい。

 けど! 恥ずかしさがあたしの思考全部を上回った! 触れるだけのキスをした後、そこに電流でも流れたみたいにして、咄嗟に離れる。

 あたしのファーストキスは、一秒未満だった。情けなすぎか!


「アイ、照れすぎでしょ! へへっ、今度からはうちがたっぷり可愛がったげるからね。覚悟してよ!」


「う、うん。お手柔らかにお願いします……」


 やば! リナの顔を直視できない。

 だって、だって。こんなに可愛い女の子が、あたしの"カノジョ"なんだもん。

 生きていてよかったな……。

 今日この日は、間違いなくあたしの人生で最高潮だから。


「あらあら、おめでとうございます、アイカさん」


 すると、邸宅の角からは、少女姿のシャルを筆頭に女の子たちがぞろぞろと現れ始める。

 なっ! なんでみんながいるんだ!!


「覗きなんて、最低だなっ、シャル!」


 あたしはぷるぷると震えながら立ち上がり、今できる最大限の怒りを乗せてシャルを睨んだ。

 すると、銀髪の少女はさもおかしそうに笑うばかりである。


「だって、あんなにも大声で告白していたのですもの。見てくれ、といわんばかりでしたわよ?」


 そうだった!

 あたし、めっちゃ叫んで告ったんだった!!

 穴があったら、入りたい。

 蹲ったあたしの肩を抱いてくれたのは、あたしの愛しの恋人だった。

 慰めてくれて、ありがと、リナ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る