第四話『サキュバス"リナリー"一家』

第四話 『サキュバス"リナリー"一家』



 西のバリクーン大陸に流れる一本の大河"リバーブロッサム"近辺は、辺境の地域だ。

 山や森、それから平野の多い自然たっぷりのこの地方には、農村などの集落も多々見受けられる。


 あたしたちのギルド"リリズ・プルミエ"や、シャルロッテの邸宅も、そんな地方の片隅にあった。

 

 シャルロッテ宅から数十キロ離れた、東の森を抜けた先には流浪のサキュバスが住み着いているらしい。

 リバーブロッサム近辺は、旅人が頻繁に訪れることで有名であり、森や山には小休止が可能なロッジが各所に建てられてある。


 そのうちの一つこそが件のサキュバスの住処であり、シャルに命じられた初任務、あたしの目指すべき目的地だった。


「いやあ、しかしだな、これだけのどかな大地を歩いていると、自分が重罪人として指名手配されていることを忘れてしまいそうだよ、はっはっは」


「その冗談は笑えないっつーの……」


 大口を開けて豪快に笑う隣の美女は、黒髪の剣士・ミズキだ。

 彼女は腰元まで伸びる藍がかった黒のロングヘアを後ろで纏めており、右手には刀を携えている。

 ミズキほどの美女が刀を所持していると、それだけで絵画になりそうなのだから、不思議だ。彼女はまるで、女の子が持ち歩く小物みたいにして、自然と刀を身に着けている。どれほど手に馴染んでいる代物なのだろう。


 それからミズキの服装は、いつもよりもさらに凛々しさを際立たせていた。

 黒のスーツはボタンを止めておらず、白のワイシャツは胸元を開けて、透き通るような綺麗な肌が露呈していて。

 皺一つ見当たらない黒のスラックスは、ミズキの長くしなやかな足をこれでもかというくらいに強調している。


 ――そしてあたしもまた、同じようにスーツに身を包んでいた。

 シャルロッテが、仕事をするならスーツのほうが見栄えするでしょう、とかなんとか言ってきて、無理矢理着させられたのだ。


 くそっ、ミズキは似合っているからいいけれど、あたしなんかじゃ、ちんちくりんだよ。

 しかも、スーツってなんだか堅苦しいし、動きにくいし、着心地が良くない。

 あたしもミズキを真似して上着のボタンは外し、首元も緩めていた。さすがに胸まではボタンを開けないけど。そもそも、胸、ないし。言ってて悲しくなってきたぞ。


「しかしこれだけ遠いのでは、シャルも私たちに頼りたくなるわけだね。夜までに帰れるといいが……」


「なんだよ、そんなにヒメちゃんが恋しいのか? まだ出発してから数時間じゃん。しかも、今までたっぷり自由時間はあっただろ……」


「はっはっは。いや~、今朝も時間ギリギリまで愛し合ってしまったからなあ。見てくれよ、キスマークをこんなところにまで付けられてしまったんだ」


「み、見せんなよ……」


 ミズキは頭がいかれているのか、シャツの胸元をめくりあげ、乳頭が顔を出しそうだ。ミズキの豊満なおっぱいには……乳房全体に及びそうなほどのキスマークが散りばめられていた。

 ずっと思ってたんだけど、ヒメちゃんってえっちすぎないか?

 一体ミズキの体には、どこにどれだけキスマークが付けられているのか確認したくなってしまった。


「のろけてもいい、と言ったのはアイカだからね。私は遠慮しないよ。にしても、アイカだって、だいぶ女性には慣れたみたいじゃないか」


「ぜんっぜん、慣れないんだけど……」


 あたしは鉛よりも重たい溜息をついて、おでこに手の平を当てた。

 

 あたしたちがシャルロッテの家で暮らすようになってから、一週間が経過していた。

 シャルの囲っている女の子たちの名前も何人か覚え始めて、挨拶以外にもお喋りするようにはなったんだから、成長は確かに感じられるんだけど……。


 結局のところ会話なんて、「うん」、とか、愛想笑いとか、その程度止まりである。

 中学一年生時代のアイカを思い出してしまうよ。夢のアイカも、いわゆる"コミュ障"であり、クラスメイトの女子相手にはしどろもどろしていたっけか。


 反面、ミズキはシャルを彷彿とさせるくらいに女の子たちに囲まれる日々である。

 ヒメちゃんの嫉妬も臨界点を突破しちゃうことは珍しくなく、あたしは時折ヒメちゃんの愚痴相手になっていた。

 といっても、ミズキたちは即座に仲直りえっちをするらしく、彼女たちは日がな部屋にこもりっきり、何をしているかは明白だった。なんて自堕落で淫らな生活をしているんだ、こいつら!


 ……あたしはそんな毎日が愛しくて、楽しくて、日々幸せを噛み締めていた。


 けれど、楽天的に生きていくわけにもいかず。

 シャルロッテに関しては、日に日に謎が増えていくばかりである。


「あたしはシャルの考えが、まだよくわかんないんだよね。サキュバスだって、シャルが勧誘したほうが絶対にいいと思ってるし」


「まあ、確かに、"忙しい"を理由にするのは、いささか不自然ではあるな。とはいえ、シャルが嘘を言うはずもないだろう。忙しいのも事実みたいだしね」


「それはそーなんだけどさ。どうして今までサキュバスの勧誘をしに行かなかったんだろうね」


「シャルにだって、得手不得手はあるということだろう」


「そーなのかなあ……」


 あたしは釈然としない面持ちで呟いた。


 シャルが勧誘を提案したサキュバスとは、同性愛者のサキュバス。

 サキュバスといえば淫魔と呼ばれる珍しい種族であり、人間の性を食らうとまで伝承される生物である。


 実際はそんなことはなくって、人を誘惑する術に長けた女の子の悪魔族ってだけなんだけど……。彼女たちは異性とつがうことを約束された生物であり、男性型の淫魔はインキュバスに分類される。だからこそ、サキュバスの同性愛者といえば希少中の希少だった。


 シャルが目をつけたサキュバスは、サキュバス族を追放されてしまった同性愛者の集団で、五人ほどで世界を放浪しながら生活しているらしい。

 なので、一つの地域に留まることは長くないので、早急に勧誘が必要、とのことだった。


 サキュバスはレア生物なので、人間の密猟ハンターが情報を掴んだら、狙われてしまうからだ。

 といっても、サキュバスも悪魔なので、人間なんかには遅れを取らないけれど……。


 だから、シャルは優先してサキュバスを保護してあげるべきだと思った。

 しかも、サキュバスを勧誘する理由は他にもあって、同性愛者のサキュバスをギルドメンバーに加えることができれば、一気に女の子たちを集めることができるようになるかもしれないからだ。

 同性愛者のサキュバスならば、女の子たちを集めるいわゆる"マスコットキャラクター"として、宣伝塔になる、とシャルは目論んでいた。


 しかしそこまで考えているシャルが、今の今まで重い腰を上げることがなかったのが、不自然だったのである。

 

「もしかしたらシャルも、不安だったのかもしれないね。ギルドを立ち上げるのも、ずっと悩んでいたことなのかもしれないよ。……私たちがこの地方に訪れて、そしてアイカも偶然そこに居合わせて。シャルにとっても、いいきっかけだったんじゃないのかな」


 地平線に目を這わせながらのミズキの考察は、やたらとしっくりきた。

 千年を生きた太古の吸血鬼、にばかり目が行きそうになっちゃうからな、シャルって。彼女にだって悩みや不安は無数にもあるのだろう。

 

「だったら、なんとしてでもサキュバスを説得して、ギルドメンバーにしないとね。ギルドを賑やかにして、シャルを喜ばせたいじゃん?」


「ああ、その通りだ。……ただし、姫をナンパするようなサキュバスだったら、私が追い出してしまうかもしれないけどね。はっはっは」


「やめろよ、なんかそうなりそうな気がしてきたじゃん……」


 あたしはげんなりとして、またも溜息を吐いた。

 どうにもこうにも、サキュバスという種族の偏見が拭えないのだ。


 シャルの邸宅にて、ナンパ三昧のサキュバス、という図がいくらでも思い描ける。

 そしてそれに張り合うシャルロッテ……。ああ、淫らな生活に拍車がかかるんじゃないのか……。

 あたしのプラトニックな恋愛は、いつ訪れるのだろうか。


 取らぬ狸の妄想を脳内で繰り広げていると、山岳地帯に差し掛かっていた。

 あたしは右手の地図に視線を落として、目的地が近いことを確認する。


 山間の途中に建てられたロッジに、サキュバスが住み着いているらしいのだ。

 ここはリバーブロッサムの中でもことさら辺境の山なので、人が通ることはあまりないらしい。だから、彼女たちは一ヶ月ほど滞在するだろう、とのこと。

 シャルってば、どこでそんな情報もらってくるんだよ……。


 周囲はごつごつとした岩肌が目立つようになり、木々を駆け抜ける涼風が足元を通り過ぎていく。

 山の麓には、木造りの二階建てログハウスがぽつんと点在していた。

 その小屋はひっそりとしすぎていて、誰かが住んでいるかのような気配は感じられない。


「な、なんか緊張してきたな」


「あくまで交渉役は君だからな? 私はただの同行者だ」


「あ、ずるいぞミズキ! お前、あたしがテンパる姿を見たいだけだろっ!」


「はっはっは、そんなことはないよ。私は姫にしか色目は使えないってだけさ」


「色目を向ける必要はないだろ……」


 ミズキと会話していると、疲れが溜まっちゃうよ、まったく!


 あたしたちの足は、心情を映し出しているかのようにゆったりとしており、じっくりと亀かと思うほどの遅さで小屋へ進んでいく。


 後数十メートルもすれば扉の前にまで辿り着く。

 そこまでログハウスに近づいた時――一際強い風が凪いだ。


 と同時。

 火薬が弾ける乾いた轟音が鼓膜をつんざいた。


 あたしとミズキは咄嗟に後方へ飛び退いて、頭上を見上げる。


 硝煙が立ち込めて、白のもやが視界を揺らめかせたその先――ログハウスの屋根には、いつの間にか人影が現れていた。


「撃たれたくなかったら、黙って帰んな。あんたらは女の子だから、警告だけで済ませてやんよ」


 上空から流れてきたのは、可憐な少女の声だった。

 煙が晴れていき、屋根の上にいる人物が段々と明確になっていく。


 そこに立っていたのは、桃色の髪を風になびかせている十代ほどの見た目をした女の子だった。


 彼女がサキュバスだっていうのは、すぐにわかった。

 なぜなら、愛らしいくらいに小ぶりな翼と尻尾が揺れているのだから。


 前屈姿勢であたしたちを覗くサキュバスの少女。彼女が着用しているインナーのキャミソールは水色で、胸の谷間がバッチリ覗ける。二つの房は白桃かと思うほどに柔らかそうでいて、人肌の赤みが艶かしい。あたしの口内に唾液をとめどなく生まれさせてくるほどには淫靡な代物だ。

 そして羽織る白のパーカージャケットと、陽光を反射してキラキラと主張するネックレス。

 だがそれすらもアクセントに過ぎないのは、彼女が肩からかけているバレッドベルト――銃弾のせいである。


 下半身はショートパンツと膝下のソックスで、ギャルっぽい印象のくせに重火器で武装した、ギャップの激しい女の子だった。

 顔立ちも派手派手で、メイクを施しているのかアイラインが濃いし、耳にはピアスが連なっている。はっきしいって、お洒落で可愛かった。


「ちょ、ちょっと待ってよ! あたしたちは敵じゃないよ!」


 あたしは慌てて両手を上げて、敵意がないことを示す。

 しかしだけど、いきなり銃で撃たれるだなんて思いもしていなかった。

 サキュバスって、よっぽど狙われることが多いのだろうか……。こんな出会いをしているのでは、説得が難しいのかも、と不安がよぎる。


「嘘をつくなよ! 後ろの女、刀持ってんじゃん。大方、うちらを捕まえて売り飛ばしにきたんでしょ」


「ああ、私のせいか。それはすまないね。君が望むのなら刀は暫く放っておこう」


 ミズキは素直に刀を後ろに投げ捨てた。

 肌見放さず持ち歩いていた物なのに、意外と躊躇わないんだな、ミズキ。

 

 上空のサキュバスは、武装を解除したミズキを半眼で睨みつつも、銃口をぴたりとあたしたちにポイントしたままだ。警戒心が、かなり強い。


「何の要件だ? 特に前の女……あんた鬼っしょ? さすがにうちらでも、鬼っ子には力負けしちゃうからねー。妙な動きをしたら、足くらいは撃っちゃうよ?」


 ちくり。

 鬼であるだけで恐れられるあたしは、胸に銃弾を打ち込まれたような気になった。


 でも。きっとこの女の子も、サキュバスっていうだけで、レズビアンっていうだけで、嫌な目にあってきたに違いない。

 彼女が棘のようにツンツンとしているのは、その現れなんだ、って同類のあたしには察することができた。


 だからなのかもしれない。

 あたしは、彼女に心の底からの叫びで呼びかけていたのだ。


「聞いてくれ! あたしは……レズビアンだよ。女の子と争いたいわけじゃないんだよ。だから……銃を向けられると、ちょっと悲しい」


「……私も同じだ。レズビアンだよ。まあそれを証明することは、できないかもしれないが。信じて欲しい」


 あたしの言葉を補足するように、ミズキも両手を上げながら訴えかけた。


 サキュバスは無言で逡巡をして――ふわり、と跳躍した。

 彼女はさながら猫かと思うくらい柔軟に、重力を感じさせない動きで地面にすとんと降り立ってくる。

 そして銃を肩に担いで、慎重な足取りであたしに歩み寄ってきた。

 

 彼女の小さな鼻が、すんすんと動く。

 うっ、汗臭かったかな? 半日近く歩きっぱなしだったし……。


「ふーん。確かに、男の匂いはしないね。てか、鬼ちゃん、あんた処女っしょ?」


「はっ!?」


 あたしは突然の指摘に、口を金魚のようにパクパクとさせた。

 顔が急激に熱くなる。

 いきなり何を言い出すんだ、こいつ! デリカシーがなさすぎないか!? ってゆーか、なんでそんなことわかるんだよ! あたしって、そんなにモテなさそうな顔かなあ!?


「きゃははっ、顔真っ赤じゃん。けっこー可愛いね、鬼ちゃん」


 後ろではミズキが笑いを堪えているのが見ないでもわかった。

 くそっ、こいつらっ……! あたしをからかうのが、そんなに面白いのかよ!


 続けてサキュバスは、あたしの傍らを通り過ぎて、ミズキの匂いも犬のように鼻を鳴らして感じ取っているようだ。


「ふーん、このおねーちゃんも男の匂いはしないけど……。えっちな匂いがすごいなあ。彼女がいるっぽいね」


「ほう、そんなことまでわかるのかい? まあ私はレズビアンだけど、特定の相手がいるからね、他の女子は愛せない。しかしだな、よくある質問で、もし姫が男だったら――多分愛せないだろうから、私は生粋のレズビアンなのだろうな。それと、私はおねーちゃんではなくて、ミズキだ」


 これが淫魔と呼ばれるサキュバスなのか。彼女はどうやら体臭だけで、何かを知覚できる超感覚を有しているようだ。

 ミズキとのやり取りを経ると、むき出しだったサキュバスの敵意は鞘に収まったかの如く、消失する。


「うちはリナリーだよ。あんたたちがレズビアンだっていうのは、本当みたいだね。ミズキの話、すんごいよく共感できるし、あんたたちみたいな子がいてくれて、ちょっと嬉しいかな」


「そんな簡単に信用してもらっていいの? あ、あたしはアイカだよ」


「まーね。うちは女の子の匂い嗅げば、だいたいのことはわかっちゃうしね。まー、とはいっても、簡単に部屋にあげてあげるわけにはいかないなあ。アイたちの要件はなんなのさ」


 ギャル風のサキュバス・リナリーは、なんとその場にあぐらをかいて座りだした。

 ここで話を聞く、との意思表示らしい。


 あたしとミズキは顔を見合わせて、頷く。そして、三人で円を描くようにして腰を下ろして、顔を突き合わせた。

 こんな山の麓で井戸端会議なんて、何が始まるのやら。


 ギルド"リリズ・プルミエ"と、サキュバス"リナリー"の勧誘合戦が、今幕を開けようとしていた。

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