第三話『ミズキとヒメノ』
第三話 『ミズキとヒメノ』
「はーっ。シャルってば、何考えてんだろ。サキュバスの勧誘なんてさ、ミズキはどう思う?」
「うーん、そうだな。これは偏見かもしれないが、サキュバスとは淫魔なのだろう? アイカが不安になる気持ちもわからなくはないかな」
あたしとミズキの会話は、周囲数キロメートルにまで及ぶんじゃないのか、ってくらいにやたらと響き渡った。
しんとした、闇に包まれている森の中。夜になると気温の低下も相まってか、不気味な雰囲気は相乗効果となって膨れ上がっている。
ギルドの会議が終わり、シャルの邸宅に帰って、夕飯と自由時間を挟んでからのことだった。
あたしとミズキは記念すべき初巡回を行うべく、ギルド本部へ向かっているところだ。
ちなみにあたしがミズキの部屋へ訪れた時、こいつはありえない光景を見せてきた。
いくらノックしても出てこなくって、ようやく顔を出したかと思えば、汗だくの様子。しかも急いでシャツを着たのが目に見えてわかる。ボタンはかけちがえているし、下着もつけていなかった。
その上、汗ばんだ額には艷やかな黒髪が張り付いていて、妙に色香たっぷりだし。
完全に、行為の最中だった。
だけどミズキは、そんなことなどどこ吹く風。何事もありませんでしたよ、と平然を装って、あたしと巡回業務を開始させたのである。いや、何をしていたかバレバレなんだけどなあ!?
そして今、隣を歩く黒髪の美女は、夜風が心地よいと言わんばかりに目を細め、火照った体を冷ましているかのようだった。
時折鼻腔をくすぐってくるミズキの体臭は汗をふんだんに含んだものであり、意図していないのにドキッとさせられる。
しかも時たま髪をかきあげる仕草がセクシーなものだから、こいつがモテるのも頷けるもんだよ。
あたしは邪な気持ちを振り払うかのように頭を振って、ライトを周囲に向け、道筋を確認した。
先導役のシャルがいないから、真っ暗な森を歩くと迷ってしまいそうだ。月明かりもないから、方向感覚も狂いそうだし。
シャルは迷子になる心配はない、とかなんとか言ってたけどさ。よくわかんないな、シャルの考えていることは。
「あたしは、不安だよ。あたしなんかがサキュバスに会っても、簡単にあしらわれちゃいそうでさ」
「はっはっは。アイカがサキュバスに誘惑されたとしたら、どれだけ顔を赤くしてくれるんだろうね? 今から楽しみだよ」
「う、うっさいな! もしそうなったら、見てないでちゃんと助けてよね!」
まったく、隙あらばあたしをからかってくるんだもん、ミズキって。
でもね……決して、それが嫌ってわけじゃなくって。居心地のよさすらあるんだから、あたしって罵られたいタイプなのかな?
いやいや、そういう性癖はないけどもさ!
――サキュバスの勧誘を任命されたのはあたしだけど、同行者としてミズキも選ばれていた。
どうやら、シャルが見つけてきたサキュバスの同性愛者は、ここからほんのちょっと離れた場所にいるらしくって。サキュバス自体もやや危ない種族ということで、二人一組で仕事をすることに決まったのだ。
その際に、ヒメちゃんはぐずっていたけど……。
なぜかと言えば、ミズキがサキュバスに接触するのもそうだし、片道で数時間はかかる道程だからだ。
ヒメちゃんは、まるで五歳ほどの童女かと思うくらいに泣きわめいていた。
だって、今やっている一時間はかからない巡回業務ですら、別れを惜しんでいたヒメちゃんが、一日も愛しのミズキと離れ離れになるんだから、癇癪を起こすのもわからなくはないけど……。
だけどミズキが懸命に説得したり、シャルがヒメちゃんにもできそうなお仕事とかを提案してあげて、どうにか鎮めることができた。
お仕事、っていっても、シャルの自宅にて調理とかお掃除とか内職のお手伝いとか、そんな感じのものだけど。
ヒメちゃんもシャルに協力できることは嬉しいみたいで、一も二もなく頷いていたっけ。
「さて、どうしようかな? アイカのことだ、もしかしたらサキュバスに見初められてしまうかもしれないからね。そうなったら、お邪魔虫は私だ」
「冗談はよしてよ。あたしなんて、女らしさもないしさ! ヒメちゃんだって、あたしとミズキが二人っきりで旅するのに、まったく反対しなかったじゃん。ヒメちゃんからしたら、ミズキがあたしと浮気することなんか想像できないほど女の魅力がないってことなんだよ、あたしは!」
情けないことを吐露しているはずなのに、いつになく饒舌になってしまった。
だって、あたしは顔に自信がないどころか、胸だって発育不足だし……。
きっと、理想の恋人なんて見つけることができないんだろうな。女の子だって、おっぱいは大きいほうが好きだよね、多分……。はあ。悲しくなってきた。
「はっはっは。そんなことはないよ、アイカ。姫は……女の子にしか心を開かないからね。君はしっかりと"女性"として認識されているし、私だってそう思って接しているよ」
「ふーん、じゃああたしって、ミズキと浮気はしないってヒメちゃんに信頼されてるってことなんだ。なんか、嬉しいな……」
「おいおい、姫には惚れてくれるなって言っているだろう? 君は姫と話す時、どう見てもデレデレしているよな」
「いや、それはおかしーだろ! デレデレしてんのは誰が見てもお前のほうだって!」
はっはっは、とまたもからかわれてしまった。
にしても、ミズキとヒメちゃんの関係性か……。すごく気になっちゃったな。
あんなにも明るくって天使のように優しいヒメちゃんが、異性には心を開かないだなんて。何か嫌な思い出でもあるのかな、って心配すると同時、あたしは吐き気を催しそうになった。
そんなこと、あって欲しくない。
あたしは……ミズキとヒメちゃんののろけなら、無限に聞いていられるから。幸せのお裾分けと一緒だもん。嫌な過去なんて絶対にあってはならないんだ……。
だからなのだろう、あたしは自然と口が開いていた。
「ねえ、ミズキ。やっぱり、ヒメちゃんにも大変な過去があったの? あたし、なるべくミズキたちのこと応援したいって思ってるからさ。今日みたいにヒメちゃんが泣いていたら、なんか不安に見えちゃうんだよ」
「やっぱりシャルも姫も、目に狂いはなかったようだね。私たちのことを真っ直ぐに応援してくれて、女の子には優しいアイカだから。私も姫も、君を信用することができたんだよ」
ミズキに褒められると、なんて返せばいいかわかんなくなるなあ。
だってミズキって、裏表がないようなサバサバとした性格だし。いつでも本心をさらけ出しているから、好感が持てるんだろう。だからいじられても、不快に感じないんだ。
「あたしも、ミズキは信用してるよ。ヒメちゃんも、シャルもだけど。でもミズキが一番、本心を言っている気がする」
「はっはっは、よくわかるね。ああ、私は決して本心を隠さないと決めたんだよ。姫と駆け落ちをすると覚悟したときにね」
天を見上げるミズキの瞳は、すっと細められていた。
それは剣士の眼だったのか、ヒメノを愛する女性の目つきだったのかは、暗くてわからなかったけれど。
上空は木々に覆われていて、闇に包まれていて。漆黒の虚空を見つめるミズキは、きっと郷愁に駆られているのかもしれない。
「やっぱり、お姫様を攫う、って大変だったんでしょ? あたし、ミズキとヒメちゃんのこと、もっと知りたいな。だって、ミズキたちがイチャイチャしているの自慢されても、あたし、幸せになるんだもん」
「ふふ、そうなのかい? なら、遠慮なくもっとのろけてしまうぞ? 私だって、姫のことを自慢したくてたまらないんだからな。これでも抑えているほうなんだよ。なんせ、私たちのことを自慢できる相手なんて、今までいなかったんだからね」
「ほ、ほんとかよ……。下品な言葉言いまくってるくせに」
「はっはっは。卑猥な言葉に顔を赤くする姫が可愛くってね。ついつい」
最低だな、ミズキ! わざとヒメちゃんを辱めていたなんて!
でもそれが満更でもなさそうなんだから、えっちなカップルだよね、ほんと。
「ヒメちゃんとの出会いを教えてよ。いいでしょ、どうせ見回りしたら帰るだけだしさ、話くらい」
「ああ、そうだね。君には知っていてもらってもいいことなのかもしれない。隠したいってほどのことでもないしね。……出会いはそうだな、覚えていないよ。物心がつく頃からの付き合いだったからね」
「えーっ、幼なじみ、ってやつ?」
「そうなるのかもしれないね。まあ私と姫は身分違いだったから、広義的には異なるのかもしれないが。私は姫の専属従者兼、護衛として、幼い頃から剣を教え込まれてきたんだよ」
ミズキが、滔々と語りだした。
あたしは彼女の一言一句に惹かれるようにして、耳を傾ける。
ミズキとヒメちゃんは、どんな困難を乗り越えて愛を交わすようになったのか、興味が尽きなかった。
「私の幼き日々は、姫の住まうお屋敷の庭で、剣を振り続けていることだったよ。姫は私の鍛錬を縁側に座って、いつもニコニコと見てくれていた。それから、姫が学問を習うときには、私も一緒になって教科書を広げたものだ。小さい頃から、ずっと一緒だったんだよ、私たちは。その時から、私も姫も互いに恋していた。口に出しては言わなかったけれどね」
なんか、遠い世界の出来事だ。
あたしが夢で見ていたアイカの世界ともまた違う、あたしには縁のない異国の皇族。
あたしは相槌を打つのも躊躇うほど、ミズキの話を聞き入っていた。
「……姫が十二歳を越えたあたりだったよ。姫は一国のお姫様だ。姫に取り入ろうとするお偉方は無数にいた。姫は嫌がっていたのに、無理矢理に異性どもの話し相手をさせられるようになったんだ。……私は、嫌がっている姫のことを見ているだけしかできなかった。身分の差に縛られていてね」
……また、奴らの話が出てきた。やっぱり、あたしにしてみれば呪いなんだ。いつでも、どんな時でも、まとわり付いてくる。
身分や地位の高い女の子たちこそ、その呪いには縛られやすいのかもしれない。……だって、政略結婚とかがあるくらいだしね。
ヒメちゃんはその時を堺に、女性にしか心を開かなくなったという。
話したくもない相手と将来の話をさせられて、毎晩ミズキに泣きついていたらしかった。
あたしはヒメちゃんの境遇を思って、胸が痛む。嫌なことを嫌と言えず、ミズキもヒメちゃんも、苦しい日々だったんだな、って。
「そして半年前……姫が十四を迎えようとしていた日のことだったよ」
「ん? 半年前に十四なの? え、ヒメちゃんって、十四歳? あたしより一個下なの!?」
正確に言えば同い年だけどさあ! あたしが十五歳になるのはもうちょっと先のことだ。
でも! でも! ミズキがとんでもない衝撃発言をしたので、シリアスな話の最中に間抜け声をあげちゃった!
だって、だって! 十四歳でミズキとえっちしまくって、キスマークとかつけちゃうって……。ヒメちゃんって、だいぶえっちな子なんだな……。語彙も消え失せるくらいにはドキドキしてきた。
「おや、そういえば歳は言っていなかったな。はっはっは、そうか、アイカのほうが年上だったのか。しかし、それは気の毒だな。残念ながら年下の姫のほうが、胸はもう幾分かあるぞ」
「余計な情報はいらないよ! まったく、すぐえっちなこと言い出すんだもんな」
あたしは咄嗟に胸を腕でガードしてしまった。ミズキがなんやかんや、あたしの胸を見ていただなんて、恥ずかしいったらありゃしない。ふん、どうせ一番小さいよ!
その後、ミズキはヒメちゃんよりも三つ年上だと語ってくれた。
二人とも、思っていたよりもだいぶ若かった……。こんな少女たちが国を追われているだなんて、信じられない気持ちでいっぱいだ。そんな世界……こっちから願い下げだよね。
「姫がね、十四を迎えようとすると、途端に縁談の話が雨のように降ってきたんだよ。うちの国では、十四歳にもなれば立派な大人として見られてしまうからね」
ヒメちゃんは、したくもない結婚を迫られる毎日が始まろうとしていたらしい。
だけど、ミズキは女の子で。その上に身分違いで。ヒメちゃんに気持ちを打ち明けることもできず、懊悩する日々。二人は近くにいるのに、誰よりも遠くにいる気分だった、と語ってくれた。
「姫の誕生日の前日。私は……姫の寝室に潜り込んだ。姫が縁談なんて、もう我慢ならなかったんだよ。だから私は、姫に酷とも言える選択をしたんだ」
ざざざ、っと木々すらも嘆いているかのように、葉の擦れあう音がした。
夜風が闇の森をゆったりと駆け抜けて、ミズキの長髪も汗の匂いを乗せてたゆたっている。
ミズキの、悩み抜いた結果だったらしい。
十七年間、剣士として育てられたミズキは、国一番の腕になっていて。ヒメちゃんと駆け落ちをする覚悟ができたのだという。
「私は姫に言ったよ。姫を愛している、って。その日からだ、私が自分を偽るのはやめようと決めたのは。私は、姫が他の人の妻になるのは我慢がならないから、私を選んでくれないのならば、姫の前から去ることを告げた。だが、私を選ぶことはすなわち、反逆と一緒だ。……まあ打首をされるのは私だけだが、それでも辛い人生の選択を、姫に強いてしまった」
ライトの光に横顔を照らされたミズキの表情には、後悔などなかった。
ヒメちゃんを想う乙女の顔が、あるだけだった。
「だけど姫はね、即決してくれたよ。私と愛し合うってことを。……その決意を私に証明したかったのかな。姫は十四になる前日に……私に純潔を捧げてくれたよ」
なんて尊い話なんだろう。
あたしは感動して涙を浮かべそうになった。心はあまりにも感情を揺さぶられたためか、ベッドの中で枕を抱いて横転したいほどに浮き足立つ。
二人は初夜を過ごして――覚悟を決めたのだという。
互いに、想いの内をぶちまけて。幼い頃から相思相愛だった気持ちが確認できた、と言っていた。
「幸いだったのは、私が姫の専属従者だったことだね。国を逃亡するギリギリまで、姫と脱出ルートを考えて。姫を連れ出すことも苦ではなかった。まあそこから国外に逃げるまでは、一瞬の気も抜けない旅だったけれどね、はっはっは」
ミズキは、ようやく肩の荷が下りたと感じているのか、心の底からの笑いだった。
シャルとの出会いが、ミズキカップルの救いにもなったのだ。
逃亡生活中のミズキたちは……やっぱり余裕がなかったみたいで。
いつ死別するかもしれない、と恐れていたミズキは。未練の残らないように、頻繁にセックスをした、って言っていた。だけど、性行為だって確実に安全な場所でしかできなくって、常に周囲を気にして、神経の張り詰めた半年だったようだ。
「でも、よかったよ。ミズキとヒメちゃんが何事もなく、無事でさ。あたしが心配してたほど、ヒメちゃんがひどい仕打ち受けてた、ってわけでもないしね。ああでも、奴らが苦手なのは痛いほどわかるからさ! ヒメちゃんが安心できる国、作りたいね」
「ああ、そうだね。姫が住むには、ここが一番だよ。もちろん、私にとってもね」
「でも意外だなあ。初えっちは、ヒメちゃんから誘ってきたんだ? ヒメちゃんて、もっと奥手だと思ってたよ」
二人の愛に感情を揺さぶられたあたしは、テンションが高くなってしまい、えっちな話に首を突っ込んでしまっていた。
でもでも、あのヒメちゃんがだよ! 誘っていただなんて……今夜はこの妄想で眠れなくなりそうだし。
「はっはっは。そんなことはないよ、姫はむしろ私よりも積極的さ。なんせ、姫とヤリすぎてセックス疲れをしている私に、さらに迫ってくるんだからね。もちろん、私だって姫を拒否することなんてできないから、毎日が大変さ」
「ヒメちゃん十四歳なのに、えっちすぎるでしょ……! ああ、どうしよう、明日からヒメちゃんの顔見れないかもしんない……」
「はっはっは、羨ましいだろう? あんなに可愛くて、えっちな姫が私の恋人なんだ。永遠の愛も誓っているんだ、私は幸せ者だよ」
「羨ましいけど。ヒメちゃんみたいな恋人いて、ズルいって思うけど。でも、あたしは同じくらい、ミズキを祝福したい気分だよ。二人とも、ずっと幸せでいて欲しい」
「ああ。ありがとう、アイカ。君は、私にとって初めての親友だな。もちろん、姫にとってもそうだろう」
親友、ってミズキが言ってくれて。
孤独で、鬼で、少数派だったあたしに、親友って言ってくれて。
ミズキと、ヒメちゃんと、出会えたことに感謝でいっぱいだった。
……あたしたちが夢中で話し込んじゃったから、ギルド本部の見回りは、往復で予定の倍くらい時間がかかっちゃった。
帰ったらミズキがヒメちゃんに怒鳴られていて、ちょっとだけ面白かった。
でも、きっと、すぐに仲直りえっちするんだろうなあ。しかもヒメちゃんから誘うんだろうな。……やっぱり、羨ましい。
あたしも恋人、欲しいな……。
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