序章『リリズ・プルミエ』③

 街道から外れた、切り開かれた平野のような場所に、木造の建築物がぽつんと点在していた。

 建物の裏手には鬱蒼と茂る森林が広がっていて、人間が誰しも近寄らないのも頷けるくらい、ひっそりとしている。


 通された内部は、酒場を彷彿とさせる内装だった。

 木造りの二階建てで、一階には丸テーブルが複数設置されている。カウンターの奥にはキャビネットが設えられてあり、たくさんの飲料も用意されているみたいだった。


 ただし銀髪の少女シャルロッテの言う通り、ギルドの始動がなされていないのか、建物に人影はさっぱり感じられなかった。

 日当たりはやや悪いらしく、薄暗い建物内は寂寞とした空間を演出している。

 手入れは入念になされているのか、埃一つ見当たらないけれど。


 こんなしっかりとした小屋を準備できているなんて、普通ならば十歳の少女には無理な話である。シャルロッテの話には真実味が帯びてきていた。


「さあ、そちらにおかけになってください。お飲み物はアイスティーでよろしいかしら?」


「……すまないね」


 ミズキはヒメノと隣り合って椅子に座って、シャルロッテを目で追っている。

 シャルロッテはカウンターの奥にて、紅茶を葉っぱから淹れるようだ。その所作はどれ一つとっても優雅で、いいとこのお嬢様にしか見えない。


 あたしも手持ち無沙汰で、突っ立っているわけにもいかず、ミズキたちの向かい側にて腰を下ろした。


「改めて、鬼のアイカさん、先ほどはありがとう。なんだか、これも奇妙な縁だね」


 ミズキは、初夏の草花が振り撒く香りのように爽やかな笑顔で、あたしに話しかけてきた。すでに敬語ではなく、打ち解けたように気さくだ。


「……あ、あたしは、女性だけのギルド、ってやつに惹かれただけだから。あたしも……そういう性指向だし。ミズキとヒメノの関係性も応援してるよ」


「それはありがたい。私たちは誰からも理解を得られないと思っていたから」


 達観したように言うミズキに、共感しそうになった。

 やっぱり、どこの国でも、あたしたちみたいなのは爪弾きにされるんだね。

 ……まあ、あたしには恋人がいたことはないから、ミズキたちとは細かい齟齬があるとは思うけど。


「鬼さん、ありがとうございました。これ以上、みーちゃんの手を汚さないでくれて……」


 すると、今まで怯えた小動物のように隠れていたヒメノが初めて口を開けた。

 蚊の鳴くような声で、風が凪ぐだけでさらっていってしまいそうな、ボソボソとしたものだったけれど。

 ハープのように綺麗な声だった。


「ミズキ……。あんたは……」


「まあ、そうだね。隠し事はやめよう。……一国の姫を攫ったも同然の私には、大量の追手が、けしかけられてね。何人かを斬ってしまったよ。軽蔑したかい?」


「女の子を斬ったんなら、あたしは……あんたを嫌いになるかもしれない」


 自分を偽りたくなくって、ミズキに真っ向からぶつかる。

 しかし、あたしの尖った意見なんて、柳に受け流されるみたにして。彼女はふっ、と余裕ある笑みを浮かべた。


「私が女性に手をあげるはずがないだろう? そうでもなければ、私もシャルロッテ嬢の誘いには乗らなかったよ」


 あたしは、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 ミズキたちのことを心の底から信頼できそうで。ようやく安住の地が見つかったみたいにして、心が豊かになっていく気がしていた。


 だって。あたしは、ミズキみたいな女の子と友だちになりたい、ってずっと思ってて。夢の中のアイカもおんなじだったし、オンラインゲームでギルドを作った理由でもあった。


「ところでアイカは、私たちに付き添ってもらって、平気なのかい?」


「あ、うん。……あたし、独りぼっちだし。毎日暇してるから、平気だよ」


 なるべく暗くならないように、あはは、って付け加えるみたいに笑ったけれど、どこか乾いたものになってしまった。

 ミズキとヒメノは好奇心に満ちる瞳をあたしに向けてくる。

 ……鬼なんて珍しいだろうからね、あたしの生い立ちでも気になっているんだろう。


「うふふ、わたくしもお話に混ぜてくださいな。アイスティーをどうぞ。レモンもミルクもご自由に」


 すると、助け舟が入るようにして、銀髪のストレートヘアが視界の端でたなびく。


 シャルロッテが、グラスの中で氷が揺れる軽やかな音色を鳴らしつつ、テーブルにやってきたのだ。

 赤茶色の液体がなみなみと注がれたグラスを人数分配ると、彼女自身も椅子に落ち着いた。

 ……余りにも小柄なシャルロッテは、椅子から足が床に宙ぶらりん状態だ。


 ヒメノはよっぽど喉が渇いていたのか、真っ先に紅茶を口に含んでいた。

 小さくて愛らしい桜色の唇がグラスに触れて、一心不乱に飲み干そうとする姿が庇護欲をそそるほどに可愛い。

 その前に、しっかりと飲み物の匂いをチェックしていたから、ミズキは抜け目がなかった。


「シャルロッテ嬢。君がギルドを作りたい、っていうのはこの小屋を見てよくわかったよ。それで、君は私たちをどうしたいんだい?」


 ミズキは、一生懸命にアイスティーを味わっているヒメノを穏やかな双眸で眺めながら、問いかける。

 するとシャルロッテもまた、貴族風に相好を崩した。

 ……なんか、みんなお上品で、粗野なあたしだけ場違いだな。


「気軽にシャルと呼んでくださってけっこうですよ。……そうですね。わたくしは、まず、ミズキさんとヒメノさんの安全を確保してあげたいと思っていますわ」


「……どうやって?」


「この施設は、ギルド本部として機能させようと思って作らせたものですが……裏手に、わたくしの自宅があります。そちらでならば、外敵はそうそう入ってこれませんから。ミズキさんはわたくしの自宅を自由に使っていただいてかまわない、ということですわ」


 紅茶で舌を湿らせながら、のんびりとした口調のシャルロッテ。

 しかし反対に、ミズキは表情を苦くしている。彼女たちは国に追われる身。この地にまで逃亡してくるだけで、どれほどの困難があったのかは計り知れない。


 それを空気から読み取ったのか、シャルロッテは続けて口を開いた。


「ご安心なさって、ミズキさん。ここは東洋から見れば遠い異国の地でしょう。わたくしの自宅ならば、誰にも見つかることはありませんわ」


「う、うむ……。しかしだな、私はシャルに何もできることはないよ。それに、万が一、シャルの家に危害が及んだら、君のご家族に申し訳が立たない」


「心配には及びませんわ。わたくしに血の繋がった家族はおりませんから。……ただ、千人ほどの女性と暮らしておりますけれど」


 シャルロッテは、まるで昨日見た絵本の内容でも語るみたいにして、妄言のようなことをのたまう。

 あたしは半眼で銀髪の少女を睨みつけた。


「千人の女と暮らしてるだとか、千歳の吸血鬼だ、とか。お前、ちょっと中二病こじらせすぎじゃないの?」


「中二病? なんですの、それは? アイカさんはおかしなことをおっしゃりますね」


 あ、しまった!

 夢で見たアイカの文化に毒されすぎたせいか、おかしなことを口走っちゃった。

 けれど、しょうがないじゃん。十歳の幼女がこんなことを言っているんじゃ、中二病としか思えないもん。ま、あたしも年齢的には中学生なんだけど……。


「しょーがないでしょ。シャルって、ただの幼女にしか見えないし」


「訳あって、幼い体で過ごしていますから。ふふっ、これでも、本来の姿はもう少し凛々しいのですよ?」


「なんだよ本来の姿、って……」


「"闇夜の魔人やみよのまじん"と恐れられた吸血鬼が、わたくしシャルロッテですから」


 また変なことを言い出した!

 あたしは熱にうなされたのかと思うほど、頭痛がしてしまいそうだった。

 こんな幼女を信用して、ここまで来てよかったのかな。

 ……でも、女の子だけのギルドは、気になるし。


 だけど、意外なことに、シャルロッテの中二病発言に反応したのはミズキだった。


「闇夜の魔人? まさか、貧民階級の女性を解放するために、軍隊と争ったと言われる解放軍のリーダー。その吸血鬼……かい?」


「あら、ずいぶん昔の話なのに、東洋の国まで流れてしまっていたのですね。お恥ずかしいですわ……」


 なるほど。どうやら、少しは有名な逸話らしい。

 だけど、このちんまい女の子が、その解放軍のリーダーとかなんとか、って信じられないな。


「じゃあさ、その本来の姿、ってやつを見せてよ。そしたら、あたしも信じてあげられるんだけど」


「申し訳ありません、それはしないと戒めておりますの。……わたくしが大人の体になるときは、どうしても守らなければならないものがあるときと。――性交のときだけ、ですわ」


 ん?

 今、なんて言った、このガキんちょ。


「せ、性交?」


「うふふ。セックス、と言ったほうがよろしかったでしょうか?」


 こ、こいつっ、こんな可憐な見た目して、とんでもないこと口走りやがる! 思わず紅茶を少量吹き出しちゃったじゃんか!


 あたしですら言葉に出すのは躊躇うような単語を、まるで挨拶のように言うなんて。

 気まずくなって視線を横にずらすと、同じようにお姫様のヒメノが顔を真っ赤に染めていた。

 逆にミズキは平然としているけれど。


 あたしは口直しに、もう一度アイスティーを口に含んでから、ようようと声を絞り出した。


「げ、下品なんだな、シャルって」


「そうでしょうか? 女性との行為は非常に素晴らしいものですよ? ああ、ご安心ください。わたくしは、殿方と交じりあったことは、ただの一度もございませんから。アイカさん、あなたと同じ嗜好ですよ」


 か、顔が熱くなる。

 シャルロッテのやつ、本当に行為を経験したかのように語ってくるから、マジで千年生きてるんじゃないのかな、って気になってしまった。


 そして、ミズキはそれを受けて、うんうん、と鷹揚に頷いているし。


「ああ、シャル。私にはわかるよ。姫との行為は、それはもう素晴らしいものだったからね。特にね、姫のおま……もがっ!」


 は?

 今、何を言いかけたんだ、この女!


 しかし、そのあられもない名称が口から発せられることはなかった。なぜなら小柄なヒメノが、物凄い勢いでミズキの口を塞いでいたのだから。

 東洋のお姫様は、こっちが気の毒になるくらい頬を上気させ、頭から湯気を上げている。

 ……そんな反応見せられると、ミズキたちがどんな行為に及んでいるのか、想像しちゃうんですけど。


「んんっ、おほんっ。でさ、シャルは、千人の女の子と住んでるのに、なんでギルドは作らなかったのさ。別に、ギルドを創設するなら、あたしたちじゃなくてもいいんじゃないの?」


 あたしは咳払いして、えっちなことを考えているのを誤魔化しつつも、話題を逸らした。


「そうはいきません。わたくしの囲う女性たちは、皆普通の女性たち。非力でか弱いんですのよ。アイカさんのような鬼の方や、ミズキさんのような剣の達人こそが、わたくしが追い求めていた人材なのです」


「なんで、また。力なら、魔人なんちゃらとかの、シャルのほうがあるんじゃないの?」


 シャルロッテはあたしのもっともな疑問を受けて、グラスをテーブルに置いた。

 彼女は陽光に一度も触れたことのないような白い指で、髪をかきあげる。


「わたくしとて、彼女たちを守ることだけで手一杯、ということですわ。国を作るためには活動範囲を広げることも必要でしょう。それに、商業を行うのならば、力に優れた人材がどうしても必要になってくるのです」


「そんな大事な仕事を任せるのがあたしで、いいの? だって、シャルはミズキたちを探していたんでしょ? あたしなんて、たまたま、そこにいただけだっていうのに」


 シャルロッテは十歳の少女では到底浮かべられないようなほど、妖艶に唇を吊り上げる。ルージュを引いていないのに真っ赤な唇は、瑞々しく、てかてかと輝いている。


「ええ、素晴らしい偶然でしたわね。……ですが、殿方に声をかけられている女性を見ただけで、殴り飛ばしてしまうような気概のあるあなたに、わたくしは惹かれましたのよ。わたくしのギルドメンバーにもっとも必要なのは、アイカさんのような方なのですから」


「ああ、シャルの言うことは、私にも本当に共感できるよ。アイカのパンチは非常に爽快だったからね。ねえ、姫?」


「う、うん……。鬼さん、格好良かったよ」


 みんなしてあたしを褒め称えるものだから、鼻がむず痒くなった。


 ミズキはヒメノと、数秒おきに見つめ合っては微笑んでいるし、テーブルの下では手を恋人繋ぎしているし。ヒメノに至っては、時折ボディタッチをして、体も心の距離も近さを表現している。


 女の子カップルは見ているだけで、ドキドキとしてしまう。拝んで、頭を垂れて、ありがとうありがとう、って感謝の念だけでいっぱいになる。それが女の子同士、っていう素晴らしき存在なんだよね!

 けれど。あたしには不安もあった。


「あ、あたしは……。本能で嫌だと思って、先走っちゃっただけだから。これから先も、考えるより早く手が出ちゃうだろうし。暴力沙汰で迷惑かけちゃうよ」


「よいじゃないですか。アイカさんは、女性には手をあげないでしょう?」


「それは、当たり前だよ!」


「ふふ、やはり、わたくしと同じ嗜好ですわ。それに、ミズキさんも。どうでしょう、わたくしとギルドを創設してくれませんか?」


 あたしには断る理由が何一つなかった。

 やっと、自分の居場所が見つかったような気がする。

 

「あたしは、もちろんシャルについてくよ。……個人的には、ミズキたちにも、入って欲しいな……」


 あたしは恐る恐る、向かいに座るミズキを上目遣いで見やる。

 

 女の子カップルが、安全に、楽しく、仲睦まじく暮らせる世界。たまには、あたしにのろけてきたりして、幸せのお裾分けをしてもらえる居場所。

 ミズキたちに、そんな楽園を提供したかったのだ。


「うむ……。しかしだね、私のようなお尋ね者……」


 ミズキの懸念は、常にそれが付きまとうらしく、歯切れが悪い。

 だが、彼女を後押ししたのは、気の弱そうなヒメノだった。


「シャルちゃん、お願いします。みーちゃんがゆっくり休めるお部屋をお貸しください。……みーちゃん、追われているからって言って、夜も全然眠らないで……。わたし、わたし……。みーちゃんの体が心配で……」


「姫……。すまないね、姫にいつも苦労をかけてしまって……」


 涙を流して訴えかけるヒメノ。ミズキはお姫様の肩を抱いて、背中を優しくさすってあげている。

 ……ヒメノって、おしとやかなお姫様のような性格だし、逃亡生活って、すごい精神面辛かったんだろうね。

 あたしも釣られて泣きそうになっちゃった。


「ご安心ください、ヒメノさん。わたくしの自宅は、"闇夜の魔人"、の縄張りですから。外の輩など、何人たりとも、敷居をまたがせません。ミズキさんが毎晩ぐっすりと眠れるお部屋の提供をしてさしあげましょう。――ああ、ご心配なさらず、性交も行えるように防音が整った部屋を用意しますわ」


 せっかくいい話に落ち着きそうなのに、下世話なことを挟むなよシャル!

 あたしは心の中だけで叱咤した。


「そこまでしてもらえるのなら、私もシャルに恩返しをしないといけないね。……ギルドには、協力しようじゃないか」


「まあ。うふふっ。今日という日は、本当に素晴らしい一日ですわね。創設メンバーは三人もいれば充分でしょう。女性だけの国を作れるその日を夢見て、わたくしたちのギルドの始まりです」


 シャルロッテは、乾杯でもするようにアイスティー入りのグラスを掲げた。

 ミズキがそれに続いて、ヒメノもグラスを合わせる。

 あたしも……女の子だけの国を作る同志たちに賛同の意を込めて……彼女たちのグラスに打ち付けた。カランっていう耳障りの良い音がギルドに奏でられる。


「それで、シャル。ギルドの名前はどうするんだい?」


「そうですわね……。遠い未来の話だと思っていたので、良い名前がとっさに思い浮かびませんの」


「……リリズ・プルミエ」


 口が勝手に動いていた。

 あたしは、はっとなって、咄嗟に口を手で覆う。

 三人の視線はあたしに降り注いできて、顔面が熱くなる。

 ……夢のあたしがオンラインゲームで使っていたギルド名だ。恥ずかしい。


「可愛らしい響きですわね。どういった意味でしょうか?」


「えっ? ええっと……。リリィ(百合)と、プルミエ(始まり)を、語感がよくって繋げた安直なものだけど……」


 あたしは慌てて手をぶんぶんと振る。

 所詮は、中学生が作ったギルド名。余りにも適当すぎて、説明をするのですら憚られるよ。


「いいじゃないか。ねえ、姫?」


「うん、可愛い名前だとおもうよ……」


 あたしを気遣っているのか知らないけれど、ミズキカップルも否定的な意見を出さない。

 

「それでは、ギルド"リリズ・プルミエ"。今、この時をもって活動を始めましょう」


「い、いいのかよ、あたしがつけた名前で」


「ええ。女の子だけの世界を強く願う、アイカさんがつけたギルド名こそが、ふさわしいでしょう。皆さま、よろしくお願いしますね」


 あたしたちのギルド、リリズ・プルミエ。

 ギルドマスターはシャルロッテ。千歳の吸血鬼、闇夜の魔人とかいう二つ名の中二病。


 それから創設メンバーは、剣士ミズキと、東洋のお姫様ヒメノのカップル。


 そして、鬼のあたし、アイカ。


 女の子だけの国。

 夢の乙女の園。

 そんな幻想じみた世界を建国するまで、走り続けることを誓うギルドが誕生したのだった。

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