第165話 私を変えてくれた人2

165話 私を変えてくれた人2



 電車から降りると、少し肌寒い風が吹いていた。


 大勢の高校生達とすれ違い、そして素通りしながら。優子と二人で正門をくぐる。


 まだ試験までは三十分ほどあるため、その間身体を温めるために。校舎の手前にある自販機で缶のカフェオレを買った。


「あったかい……」


 だが、熱々の缶をいつまでも握りしめているわけにはいかない。


 プシュッ、と良い音をさせてから、漂ってきたいい匂いに鼻腔をくすぐらせて。暖かいカフェオレを、およそ三口で手早く飲み切った。


「よし、じゃあサキ。お互い頑張ろうね」


「う、うん。また、あとでね」


 受験する学部が違うと、必然的に階も部屋も全く異なった場所へと案内される。その過程で、最も心強い味方とは離れてしまった。


 先に行ってしまった優子の背中を消えるまで見つめてから、ポツンと。その場に一人取り残されて、白い息を吐く。


 ここからは一人だ。一人で、合格という名の勝利を勝ち取らなければならない。


「……行こう」


 立ち止まっていても時間の無駄だ。まだ数十分あるのだから、最後の最後まで復習をして足掻こう。


 そう決意して、カフェオレの入っていた缶を捨てる。決戦の場所はさっき優子が入って行った館とは違う、三号館。正門からは一番離れた所に位置する校舎だ。


 多くの生徒の話し声で賑わう校内を歩く。


 カフェオレで温められた胃は思いの外調子がよくて、足取りも軽い。


 我ながら本当に情けないけれど、ここまで澄んだ心持ちで受験に臨めるとは思っていなかった。今はもう離れ離れになってしまったけれど、やっぱり親友が近くにいてくれるだけで安心できた。


 あとは、私がいつも通りの力を発揮して受験をするだけ。模試の結果は決して悪くなかった。百パーセントのパフォーマンスを出すことができれば、きっと合格だって夢じゃないはず。


(えっ、と……あった。ここかな?)


 三号館二階、「328」教室。


 廊下から見える位置に張り出されていた紙を確認して、自分の受験番号が載っているところを見てから。指定されている座席へと向かう。


 既に教室には五十人ほど人がいて、妙なプレッシャーが蔓延していた。みんなピリピリしていて、単語帳やまとめノートには食らい付くような視線を突き刺している。


 でも、私は臆さなかった。思っていたよりも心は平然としていて、呑まれる気配はない。


 大丈夫。私は大丈夫。そう、何度も自分に語りかけるようにして。ゆっくりと、座席に座った。


────そして、自分の身体に起こっていることを知る。


「あっ……」


 それは、筆箱からペンを取り出して握った瞬間の出来事。


 指が震えていた。寒さによるものでも、当然武者震いなんかでもない。


(駄目。考えたらっ!!)


 溢れ出る不安と、孤独感。そして恐怖。


 抑え込めたと思っていた。思い込んでいた。でも一度自覚して溢れてしまったそれらは、止まってくれなくて。手先の震えと共に、心臓を根本から掴むようにして押し上げてくる。


 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッドクンッ、ドクンッドクンッドクンッ。


 動悸が加速していく。


 私は一瞬にして、その場の雰囲気に呑まれた。


「う゛っ!?」


 蝕まれた精神は、あっという間に身体へと伝染する。


 気持ち悪い。唐突な吐き気が襲ってきて、止まらなかった。


(トイレ、行かなきゃ……っ!)


 まだ嘔吐が上がってくる気配はない。だが、いつそうなってしまってもおかしくなはいと、身体が告げていた。


 手遅れになる前に。冷たく冷え切ってしまった手先を机につけ、立ち上がる反動をつけてから逃げようと。この教室……戦場から離れてしまおうと。


 したその瞬間に、私は出会ってしまった。


「あの……大丈夫ですか? 顔、真っ青ですよ?」


「えっ……?」


 私の運命を変えた人。



────数刻先に初恋をしてしまう、黒田和人という男の子に。

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