第160話 威厳の決壊
160話 威厳の決壊
桜さんに連れられて、廊下を歩く。
そうして案内されたのは、一つの襖の前。どうやらその先でサキのお父さんが待っているようだった。
「お父さん。和人君、来てくれましたよ〜」
「おう。じゃあ部屋に入れろ」
「ですって。じゃ、がんばってね、和人君」
「はい……」
ガラガラ、と襖を開けた桜さんが後ろに下がり、俺とサキが二人で和室の中へと入る。
中には座布団が三枚、そして中央にちゃぶ台を置き、その向こう側の上座にて腕を組みこちらを睨んでいる巨漢が一人、いた。
あれは、なんという名前だったか。法被? 甚兵衛? とにかく和風な紺色の部屋着に身を包み待っているのは、先程インターホン越しにえげつない言葉を吐いていた人と同一人物だろうということがすぐに分かる。
がたいは俺よりも一回り大きく、筋肉質。短く切られた黒髪と醸し出す威厳が、無言の圧を醸し出していた。
「よく来たな。座れよ馬骨」
「ば、馬骨……」
どこぞの馬の骨が〜、なんて言い方をする、あれのことだろうか。まさか初対面から馬骨などと呼ばれるとは。
だが、流石に一言目から反論できるほどの胆力は俺にはない。そのまま一番自分に近い座布団の上に正座し、その隣にサキ。そしてお義父さんの隣に桜さんが腰を落とす。
それからは、およそ数十秒の静寂がその場を包んだ。どうして良いのかわからず、俺もその空気に飲まれて固まっていたのだが。サキがちゃぶ台に隠れて持ってきた紙袋を俺の太ももに当てたことでハッと気を取り戻し、それを持ち上げて見えるように中身を取り出す。
「あの、これ。つまらないものですが……」
「お゛おん?」
お義父さんが大好物という水羊羹。それを見せると、ピクリと眉が動いて小さく反応する。
喜んでもらえたのだろうか。一瞬、そんな淡い期待を抱いたのも束の間。
「水羊羹、か。つまらねえな。わかりやすくこういう時に持ってくる物の相場じゃねえか」
「ひっ」
本当につまらない。そう一蹴されてしまった。
いや、つまらない物ですって前置きして渡したんだから改まってそんなこと言わなくても。もう全然泣きそうですけどね、俺。これ以上その雰囲気でいびられ続けたら泣くぞ? いいのか? いい歳した男が本気で泣くぞ。
「まあいい。それよりも今日テメェを呼び出したのは当然、俺の愛娘に手を出しやがったからだ。なんでも俺が仕事でいないのを良い事に? 同棲までしてるらしいじゃあねえか。覚悟は出来てんだろうな」
「か、覚悟……ですか?」
「おう。死ぬ覚悟だ」
理不尽! 理不尽すぎる!! なんだこれ!?
「ちょっとお父さん! なんで和人にそんな意地悪言うの!?」
「お父さんじゃなぁい!! サキ、俺のことはパパと呼べと何度言えば分かるんだ!! 昔はそう呼んでくれていただろう!?」
「は、恥ずかしいからヤダ! 別にお父さんでいいでしょ!?」
「よくなぁい!! パパと呼びなさいパパと!! あとお前、なんで俺がいない間に彼氏なんて作ってるんだ! やっぱり誑かされたのか!? オラオラ詐欺ってやつか!?」
「オラオラじゃなくてオレオレでしょ!? あと和人は詐欺なんてしないもん! 私が本当に好きで付き合ってるんだもん!!」
あれ、あれれれ。お義父さん? 僕に対する態度と娘さんに対する態度、違いすぎませんか。いや確かに僕は部外者ですけども。なんでさっきまでヤクザみたいな雰囲気だったのに急にただの親バカになってるんですか。さっきまでの風格はどこ行っちゃったの。
「ん゛んっ。いいか、サキ。男というのは獣だ。死肉に群がるハイエナだ。そんな奴にお前を手渡すなんて、俺には出来ねぇんだよ」
いやちょっと。その理論でいくとサキが死肉になっちゃうんですけど。さてはこの人死ぬほど動揺してるだろ。娘が思ったよりも反論してきて言葉に詰まってるだろ。
「大体そんなヒョロガキのどこがいいってんだ。少なくとも俺の方が、筋肉も強さもあってだな……」
「でも、和人の方がかっこいいもん」
「ビキッ」
あ、やばい。今お義父さんの血管がブチギレる音が聞こえた。
サキのやつ、一生懸命反論してくれたのは彼氏としても死ぬほど嬉しかったのだが。流石に今のは沸点を超える返しだったのだろうか。
まずい。娘のサキへと怒りがつくことはないかも知れないが、元々この場は俺を始末するために設けられたもの。もしあの人を怒らせたら、俺にシワ寄せが────
「ひっ、えぐ。桜ぁぁぁあ!! サキが! サキが反抗期に入っちゃったよォォォオオ!!!」
「……え?」
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