第158話 緊張緩和のキス

158話 緊張緩和のキス



「ヒィッス、ヒィースッ……」


「か、和人? それは緊張してる呼吸音なの……?」


 震える足腰で細々と地に立つ俺は、自分でもよく分からない呼吸を必死に整える。


 ついに今日が来てしまった。車をずっと家の前に停めておくのもあれだからとバスでゆったりここまで来たはいいものの、俺の心はいつまでも落ち着いてくれない。


 引越しの時に一度だけ来た、サキの家。その門の前まで来て「あれ、ここまで大きかったっけ」と一軒家に対して圧倒的な存在感があるように思えてしまう。


 まだ顔も見たことのない、サキの父親。俺が知っているのは怖いという情報と今紙袋に入れて手にしている、有名店の水羊羹が大好物ということのみ。


 サキはこれさえあればきっと上手くいくと言ってくれたが、羊羹一個で買収できる相手とは思えない。


「や、やっぱり帰らないか? いっそのこと引っ越そう。お義父さんから逃げ切ろう?」


「何今更弱気になってるの!? 大丈夫、大丈夫だって! お父さん、怖いけど根は優しい人だから!! 和人がそんなんじゃ上手くいくものもいかないよぉ!!」


 ぶんぶんと肩を揺すられても、緊張が解けることはない。


 ああ、帰りたいなぁ。サキと二人でゴロゴロしたい。クーラーの効いた涼しい部屋でイチャイチャしてたい。抱きしめて、それで……


「むぅ。こうなったら────!」


 サキがぷくりと頬を膨らませながら、不満そうな目で俺を見つめて肩を揺するのを止める。


 と、同時に。顔を引き寄せて、じっと目線を交差させた。


 サキの可愛い顔だ。小さい両手で俺の顔を掴んで、一体何をするつもりなのか。せっかく今、息を整えようとしてるところなのに。


「和人、ガチガチになってる。解さなきゃ、だよね」


「ん……ん゛ぅっ!?」


 一瞬、妖艶な笑みを浮かべたサキは。そのまま顔を近づけてきて、そっと俺の唇を奪う。


(何、考えて!? ここ、サキの家の前で!?!?)


 頭を回しすぎてオーバーヒート寸前だった脳内が、更なる高速回転で湧き上がっていく。


 ご両親に見られたら。こんな場所で。脳裏にチラつく言葉達を押し退けてやってきたのは、純粋な気持ちよさ。


 サキの柔らかい唇の感触を感じて、身体はふやけていった。


「落ち、ついた?」


「落ちついた、って。キスされて落ちつけるとでも……?」


「えへへ、ちゃんとした反応が返せるなら、もう大丈夫そう。ね、和人。肩の力を抜いて? 隣には、私がいるから」


「サキ……」


「今はこんな、軽いキスしかできないけど。ちゃんと家に帰れたら、いっぱい甘々な大人キスしよ? それをモチベーションに頑張ってくれたら嬉しいな、なんて……」


 ドクン、ドクン、と激しく心臓が脈打つのに反して、精神は凪いでいくのを感じる。


 サキは、励ましてくれたのだ。顔を赤くしているし、きっと恥ずかしかったのだろうけれど。それでも、俺のために。


 頭は冴え、呼吸が整っていく。我ながらこれで落ち着きを取り戻すのはどうなのかと思うが、サキのキスは俺にとってアドレナリンの塊だ。


 そんなものを摂取させられたら。頑張るしかないだろ。しかも家に帰ったら、もっといっぱい貰えるんだし。


(よし、決めた。今日は絶対無事に家に帰って、サキと死ぬほど甘いキスしてやる。そのためなら、俺は最恐のお義父さんにだって勝ってみせる!!)


「……ありがとう、サキ。俺、覚悟が決まったよ」


「じゃあ、インターホン押すね?」


「頼む」


 さあ、出て来るなら出てこい。


 今の俺に勝てる奴なんて────


「おう、テメェが俺の娘を誑かす馬骨野郎か。入れ、ボロボロに泣かしてやるよ」



 あ、ダメかもしれない。声だけで泣きそう。

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