第142話 茜色に染められし未来3
142話 茜色に染められし未来3
「どう? 落ち着いた?」
「……はい」
私はその胸の中で、何分か分からないけれど長い時間。啜り泣いた。
多分もう、心の器が限界を支えていたのだと思う。一度溢れたら気持ちが止まらなくて、泣きすぎて目が痛くなるまで涙は出続けた。
でもこの人は、そんな惨めな私に文句一つ言わず、最後まで付き合ってくれた。泣いている間ずっと頭を撫でてくれたり、背中をさすってくれたり。優しい声で「大丈夫だよ」って言ってくれるだけで、私の中の黒い何かが消えていく。
「ずっと、苦しかったんだね。溜め込んで溜め込んで、吐き出す場所が無かったんだよね。ねぇ、もし良かったら何があったのか、教えてくれない?」
私は全てを話した。就活の面接で何度も、何度も自分は不要だと言われて。どれだけスキルを磨いても、「女だから」という理由でいつまだ経っても誰にも受け入れてもらえない。そんな、ここ最近の赤裸々な事情を全部。
この人は黙って、たまに頷きながら静かに話を聞いてくれていた。そして全部を吐き出し、空っぽになった私をまた、包み込んでくれた。
「そっか、就活で。辛かったね……」
でも、と付け足して、言葉を続ける。
「君は凄いよ。自分に足りないものを必死で磨いて、一度断られても何度も何度も立ち向かった。一つの物事に本気になるって、誰でもできることじゃないから。本当に……」
その言葉には、どこか哀愁を感じた。そういえばこの人は、どんな仕事をしているのだろう。そもそも年齢も知らないけれど、多分私と同じくらいでこの時期に走り回っていないということは、既に就職先が決まっているのか。
知りたい、この人がどうやってこの荒波を乗り越えたのかを。
「あの、あなたは? 就活……どうやって切り抜けたんですか?」
「え? あー、私? 就活って……あ、そっか。よく考えれば私達、まだ自己紹介もしてないんだ」
その後告げられたのは、衝撃の事実。鳴川茜と言うらしいこの人は、実は私より一つ年下だった。
つまり学年で言えば、まだ大学二年生が始まったところ。この人は就活を乗り越えたのではなく、そもそもまだ始めていなかったのだ。
「私は、小鳥遊南、です。鳴川さんが一つ下だったなんて……」
「あはは、鳴川さんじゃなくて茜でいいよ。私も南ちゃんが一個上なんてビックリしちゃった」
それから、茜さんの軽い身の上話を聞いた。
茜さんが通っていたのは、ここらへんでも有数の名門大学。私の通っているところより偏差値は十も上の、日本の中で十番以内には入るであろうエリート校だ。
しかし彼女は、僅か一年で学校を辞めていた。今ではマンションに一人暮らしをしているらしい。
「私ね、家がお金持ちなんだ。お父さんは医者で、私も半ば強制的に医学部へのレールに乗せられたよ。親の言う通りに中学受験して、高校受験して。大学も、言われた通りのところに進んだ」
お母さんに褒められるのが好きだったのだという。そのためなら堅苦しい学校に行かされても苦じゃなかった。お母さんの笑顔が見られるなら。頭を撫でてもらえるなら。頑張る気力は無限に湧いた。
「だけどね、大学受験が終わって通い始めると、そこはすぐに私の居場所じゃないって分かったの。幸いにも私は地頭がよかったみたいでさ、勉強にはついていけるんだけど。私には……夢が無かった」
ほどなくして茜さんは、子供の頃から溜めていたお小遣い全てで大学一年分の学費の半分を払い、残りの半分は自分で稼いで返すと言って家を出た。お父さんには二度と戻ってくるなと散々言われたそうだが、お母さんには今も幾らかの仕送りをもらい、それとコンビニのバイトで安いマンションの一室を借りて暮らしているんだとか。
「それなりにしんどいし、お金に余裕も無いけどさ。私は今までの人生の中で今、一番楽しいよ。堅苦しいレールから外れて自由に夢を探す一人暮らし、最っ高!」
「夢……見つかったんですか?」
「勿論! まあ一般的に見たら人を助けるお医者様なんかよりちっぽけかもしれないけどさ……私は世界一凄い仕事だと思ってる。人を笑わせ楽しませる、最高の仕事!!」
凄い人だ。ありきたりな、そんな感想しか出てこなかった。
壮絶な人生だ。今断片的に聞いただけでも、私ならきっとすぐに挫けていると分かる。
「凄い、ですね。私はそんな風に……自由になるための一歩を踏み出す勇気はありませんでした」
「何言ってるの、南ちゃん。君は今、自立するために自分で資格を取って、企業を選んで面接に行ってる。それは立派に、”夢を追う″ってことに繋がってると思うよ?」
「そんな、こと。私には大それた夢なんて、一つもありませんし……」
「夢なんて、具体的なものはなくて良いんだよ。最終的に自分が楽しく生きられたなら、それは夢を叶えたも同義。ね、南ちゃん。楽しく生きよ? 私は今日初めてあなたと出会って、まだこうして一度お話ししただけの仲だけどさ。南ちゃんにはただの社畜として社会の歯車になるなんて、そんな勿体無いことして欲しくない」
どうしてこの人は、初めて会った私にここまで良くしてくれるのだろう。怖くなるほどに優しかった。
でも、私には道が敷かれていない。普通な私には、新しい道を作って切り開くことなんて出来はしない。そんなことは自分が一番よく分かってる。
「私が切り開くよ。南ちゃんのための、新しい道を!」
「え……?」
「私は南ちゃんが欲しい。私に足りないものをたくさん持ってるあなたと、一緒に夢を叶えたい!!」
ミシッ。私の歩こうとしていた道にヒビが入って、崩壊していった。落ちた先は暗闇じゃない。新しい、茜さんの敷いた道に、私は突入していた。
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