第135話 二人きりの海水浴8
135話 二人きりの海水浴8
「うー……やっぱり私も行けばよかったかなぁ」
少し張り気味の左脚を摩りながら、私は日の当たらないテントの中で一人ぼやく。
風も心地いいし、ここで脚を伸ばして座っているのはとても楽で気持ちいい。だけど、和人と別れてまだほんの数分だというのに私の心は”早く会いたい″でいっぱいだった。
(でも、すれ違ったりしても嫌だしなぁ……)
飲み物を買ってくるって言ってたけど、それだけならもうそろそろ帰ってきてもおかしくない。会いたいという気持ちでここを飛び出たはいいものの結局すれ違って、なんてことが起これば迷惑をかけるだけだ。
なんてそんなことを考えながら、私はさざなみの音を聞く。それと同時に、砂浜を歩きこちらに近づいてくる足音も。
「あ、帰ってきた?」
うだうだとしている間に、どうやら一人はもう戻ってきてしまったようだった。そういえば飲み物って何買ってきてくれたんだろ。
「和人ー? おかえ……り?」
「おねーさんっ♪ こんにちは〜」
そこに立っていたのは、筋肉質な二人の男の人。どちらも肌は小麦色で、髪も金色で明らかにチャラい。元々男子が苦手な私にとってはその場で声を失ってしまうほどに怖い人種。
「ねぇねぇ、さっきの男彼氏〜? 今暇なんだったらあんな細いのじゃなくて俺達と遊ぼうよ〜!」
「あ、えと……あのっ……」
どうしよう。これ、ナンパだ。
ニヤニヤとした表情がなんか嫌だ。視線が私の顔じゃなくて胸に向けられてるのがよく分かる。絶対にこんな人達について行くなんて嫌なのに、そう口にするのが怖くて。私は少しずつテントの奥へと後退りすることしかできない。
(和人……和人っ……!)
いつもならこういう人達からは、和人がさりげなく守ってくれた。
大学の狭いエレベーターや人の多いショッピングモール。少しでも他の男の人から声をかけられそうになる場所にいるときは通路側を歩いてくれたり、私と男の人の間に位置取って会話を続けてくれたり。
でも、今この場に和人はいない。一人でちゃんと言わなきゃいけない。いけない、のに。
「こ、来ないでください。私、彼氏が……」
「えー? いいじゃぁん。俺らと遊ぶ方がいいって!」
「そーそー。俺らそこのホテルに泊まってるからさ。一緒に部屋で呑もうよ!」
言い切る前に言葉を重ねられて、私の身体はすくんでしまう。男の人相手だと普通の人でも少し緊張するのに、こんなに怖い人だと余計に私の口は言葉を発せなくなっていく。
怖くて、涙が出そうになった。テントの入り口に手をかけて少しずつにじり寄ってくるその姿が、本当に怖くて。
「助けて……和人っ」
苦し紛れに、震えた声でなんとかそう発したその時。もう一つの足跡が早足で近づいてきて、私に向けて伸びてくる小麦色の手を、白身の細い手が掴んだ。
「あの、すみません。やめてもらえませんか?」
「はぁ? 何々おにーさん。俺今この子と話してるんだけど?」
和人だ。和人が、戻ってきてくれた。息を切らしながら、私を助けにきてくれた。
「嫌がってるじゃないですか。これは話してるんじゃなくて言い寄ってるだけです」
「和、人……」
「あと、コイツは俺の彼女です。だから……手を出すな」
これまでに見たことのない顔だった。私に向ける優しい目ではなく、本気で心の底から怒りを表している強い目。睨みつけるようにそう言って手に力を入れた和人に萎縮したのか、男の人達はその手を払ってテントから離れる。
「けっ、だる。もう行こうぜ」
「あーあ。上玉だったのにな」
去って行く。さっきまでは私に近い距離感でヘラヘラした笑顔を向けてきた人達は、脱力したかのように肩を落としてやがて消えた。
「ごめんサキ。飲み物、めっちゃ並んでて。俺も並んでたんだけどさ……なんか凄く嫌な予感がして、何も買わずに走って戻ってきた。その、大丈夫か?」
「う、うん……」
ゆっくりとテントに入ってきて、心配そうに私を見つめてからそっと頭を撫でてくれる。
柔らかくて、あったかくて。さっきの人達みたいに筋肉質でもないし強そうでもない。でも……とっても優しい、そんな手。私の大好きな人の、大好きな手。
さっきまではあんなに怖かったのに、今ではそれも全部抜けて。あっという間に私の身体は安心感に包まれた。
「……ちょっとだけ、怖かった」
「うん。本当にごめんな。少しの間だから大丈夫かと思ったけど、俺が甘かった。もう大丈夫だから」
「ありがと。かっこ、よかったよ」
情けなくまだ少し震えが抜けない私の肩をそっと撫でながら近づいてくれる和人の胸元に、私は縋り寄るように収まる。もう、大丈夫だ。
「ジュース、まだ買えてないんでしょ? 次は一緒に買いに行こ」
「いいのか? 結構並んでたぞ」
「うん、いい。和人となら大丈夫」
情けない姿を見せてしまったけれど、それ以上に。私の大好きな人のカッコいい姿を見れて、身体はもう……元気で満ち溢れていた。
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