第130話 二人きりの海水浴3

130話 二人きりの海水浴3



 むぎゅっ。背中を、幸せな感触が包み込む。


 それと同時に、鼻腔をくすぐる大好きな人の匂い。俺は、背後からサキに抱きしめられていた。


「ど、どうしたんだよ。急に」


「分かん、ない。分かんないけど……和人のことを、抱きしめたくなったの。背中いっぱいなでなでされて、私も触りたくなっちゃったのかな」


 右耳の近くでそう言って、サキは俺の胸元に回した腕の力をそっとこめる。


 密室空間。外からは少しずつ増え始めた周りの人の話し声や、海水の弾ける音が入ってくる。そんな外からは見えないだけでもはや野外と変わらない環境の中、サキはくっついて離れてくれない。


「和人といると、やっぱり落ち着く。アカネさん達とみんなでワイワイするのもいいけど……和人とこうして二人きりで過ごす時間が、一番幸せ」


「な、な……っ!?」


「えへへ、恥ずかしいな。でもそれ以上に、身体が幸せでぽかぽかしてる。……キス、してもいい?」


「っあうぁ!?」


 突然目まぐるしく変わっていく状況に、身体がついてきていなかった。頭の整理もつかない。甘えた猫撫で声でいきなり凄い台詞を連ねられて、脳が大パニックだ。


 大体、キスって。ここはほぼ外なのに。誰かにテントを捲られるだけで、全て見られてしまう場所なのに。しかも……サキの格好は、刺激の強いビキニ姿だというのに。


 ダメだ。そんな事を今されたら、きっと完全に虜になってしまう。サキから目が離せなくなって、俺の脳内が埋め尽くされてしまう。


「お、落ち着けサキ。一旦冷静にだな……」


「私、冷静だよ? 和人が好きだから……キス、したいの」


「今日は朝、しただろ?」


「足りないもん。ねぇ、ダメ?」


 ダメ、とはいえなかった。だってサキが、こんなにも正直に甘えてくるから。お酒でも飲んでいるのかと思うほどに積極的なのは、コイツも俺と同じように二人きりの一日に舞い上がっているからだろうか。


 だがどちらにせよ、好きな人にキスをせがまれて断れる男などいない。俺が取れる行動は一つだった。


「分かった。サキ、目を閉じてくれ」


「んっ……」


 俺の身体から少し離れ、目を閉じてただ俺のことをじっと待つ。そんなサキに、俺はゆっくりと口づけした。


 頭が、幸せでいっぱいになっていく。周りの物音が何も聞こえなくなって、サキで溢れていく。


 ただ唇を合わせただけの軽いキスだというのに、全身が熱くなって思わずサキを抱きしめていた。


「はぁ。は、ぁ……っ。和人、耳まで真っ赤。そんなにドキドキしたの?」


「あ、当たり前だろ。ずっと心臓がバクバク言ってるよ」


「ふふっ、私も一緒。でもね……それ以上に、もっとしたいって。大人の、エッチなキスしたいって、言ってる」


「ああ。俺の身体も一緒だ」


 五秒、十秒、十五秒……二十秒。


 俺たちは、深いキスをした。気づけば開いてしまっていた目と目が、自ら求めてしまっていた舌と舌が。互いに身体中を結びつけるかのように絡まり合って、離れない。


 ぴちゃぴちゃと唾液が混じり合う小さな音を立てながら、ただお互いの目を見つめる。家でも、いつでもすることができる簡単な行為。なのに、どこで何度しても飽きることはなくて、むしろその度に相手のことをもっと好きになっていく。


 ぷるぷると小さく身体を震わせるところも、短い舌を懸命に入れてくるところも。すぐに目がトロんとしてまるで子犬のように見つめてくるところも、抱きしめてくる腕の力が徐々に強くなっていくところも。全部変わらないことで、一生好きだと言い続けられる。今この瞬間も、きっと次またキスをする時も。普遍であると誓うことができる、相手への好きの気持ち。それを確認できる行為こそが、これなのだ。


「ちゅ……んぅ。かじゅ、とぉ。好き……好き……だよっ」


「俺も大好きだ、サキ。すっごく、可愛い……」



 さざなみの音が響く、海水浴場。俺たち二人だけの時間は、まだまだ始まったばかり。

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