第17話 譲れない想い

 それからの三週間、恵奈の訓練は続いた。


 来る日も来る日も達美たちにドッキリやイタズラを続けた恵奈も次第に罪悪感が消えてきたのか、イタズラを仕掛けている時でさえ笑顔を浮かべるようになっていた。


 そんな日々が続き、いよいよ明日を試験に控えたZ寮の夜。


『やっぱり無理です。by黒木恵奈』


 一階の談話室の机に置かれた一枚の手紙。


 それを囲うように立ち、達美たちは思案していた。


「これは…………どっちだと思う?」


 達美が呟く。


「いつも通りなら、イタズラ…………だよな?」


 新が答える。


「だが、試験は明日。ならば、この手紙の意味的には…………」


 信吾が濁しながら言う。


「もしかして……まさか……」


 静がゆっくりと三人を見て、それから三人もそれぞれの顔を見合う。


 その表情から答えを察した一同は一呼吸置いたのち、手紙の意味を口にした。


「「「「逃げた?」」」」


* * * * * * * * * *


 Z寮でそんな問答が行われている中、一人海岸へと向かう恵奈がいた。


 大きなリュックを背負い、手作りのイカダを海面に乗せる。


「…………これで……いいよね……」


 恵奈は振り返って自分が暮らしたZ寮を悲しげに見つめる。


「迷惑かけて…………すいませんでした……」


 恵奈はZ寮にいるはずの四人に向け、深く頭を下げる。


 そして、イカダに荷物を降ろし、旗を揚げ、迷いを断ち切るようにイカダに乗り――


「何してんだ?」


「ひいいぃぃぃッ!?」


 ――突如、現われた勝の声に恵奈は仰天し、バランスを崩して海に落ちた。


「こんな夜更けにどこに行くのか気になって付いて来てみれば……お前、いつの間にイカダなんて作ってやがった?」


 海から飛び出してイカダに飛びつく恵奈を勝は咎める。


「明日はついに試験だ。あれからお前があいつらにやってきた嫌がらせの感覚で相手を翻弄すれば楽勝だ」


 未だにうるさいほど騒ぐ心臓を落ち着かせようと恵奈は静かに呼吸をする。


「だが、もしもの事があれば一大事だからな。今日はお前が、明日の試験でミスらないようにする策を持ってきた」


 頭から海に落ちて、体は震えるほど寒いのに対して、恵奈は自分の頭が沸騰しそうなほどに熱くなっていくのが分かった。


「これさえあれば、お前みたいな小心者でも上手くプレイできる……って聞いてるのか? 明日は大事な――」


「――ほっといてくださいッ!!」


 勝の言葉を遮って、恵奈は叫んだ。

 

 自分でも信じられないほどの声量に恵奈は驚くも、漏れた感情を抑える術を持たない恵奈の感情はみるみる瓦解がかいしていく。


「いいんです! 私がどんなに頑張ったって無理なんです! 勉強しかできない私がどんなことしたって、ここでは何の意味もない! ただの憧れだけでできる世界じゃないのは、もう痛いくらい知ってるんです!」


 イカダに捕まりながら、悲痛な声を上げる恵奈。その姿を勝は真っ直ぐに見つめ続ける。


「お前がどんな学校生活を送ってきたかは知っている。三年前、遊学の筆記試験最高点数を叩きだし、推薦入学者としてお前は入学してきた。誰もがお前をエリートと呼び、一時期は使徒たちの憧れの的だったらしいな」


 勝が語る恵奈の過去。当時の情景を思い出す度に恵奈は歯を強く噛み締めた。


「だが、それは虚像でしかなかった。お前は実技になれば理想通りのプレイができず、ランキングはどんどん下がる一方、お前を慕っていた生徒はだんだんといなくなり、バカにもされてきた」


「……知ってるんじゃないですか、私のこと……」


「あぁ、知っている。お前はまぎれもない――遊学一の最弱だ」


 あまりにも大胆で直接的な勝の言葉に恵奈の瞳が揺れ、それを察されないように恵奈は目を伏せた。


 恵奈は動じてないように装いながらも、濡れた服と勝の言葉が鉛のように重く、恵奈の心と体を引き摺りこもうとする。


 ――大丈夫、そんなことは知っている。


 心の中で何度もそう唱えながら、恵奈は勝の言葉を待つ。


「だがな――」


 その時だった――一瞬、恵奈の身体が宙に浮いた。


「――あっ」


 気付けば恵奈はイカダの上におり、そこには自分を引き上げた勝の姿もあった。


「最弱だから弱いと誰が決めた?」


 貫くような瞳で恵奈を見つめる勝の目に、密かに恵奈の心臓が跳ねる。


「お前らが雑魚と呼び、バカにするバニラカード。だが俺にとっては、そいつら一枚一枚が切り札で、譲れない想いがあるんだ」


「譲らない想い……それはどんなものですか……?」


 恵奈が向ける視線を逸らして勝は黒い水平線を見つめる。


「少し、昔話をしよう」


 勝はゆっくりとイカダに腰を下ろし、その隣に恵奈が座ると、勝は語りだした。


「昔、一人のガキがいた。早くに親を事故で失くし、病気を患っている妹のために裏のカードバトルで稼いでいた。だが、金も無いそのガキはまともなカードなんて一枚も無かった。いつもそいつは自分の身の丈よりも何倍のデカイ大人たちから甚振いたぶられる日々を送ってきた」


 海岸に打ち付ける波の音がテンポ良く響く。そんな波の音をBGMにして勝の話しは続いていく。


「だが、ガキは諦めなかった。妹の治療費のこともあったんだろうが、何よりもそいつを突き動かしたのは、そいつが持っていたカードのためだった」


「…………カードのため?」


「あぁ。そのガキが持っていたカードたちは、元々は親のカードだったらしい。親の形見であるカードたちをバカにされるのが、そのガキにとっては一番の屈辱だったんだ」


 そして、と言葉を続けながら勝は立ち上がり、静かに話しを聞いていた恵奈を見下ろす。


「そのガキは負けなくなった。環境によって自分のできることを模索し、新たな戦術を生み出すガキに他の大人たちの戦術が置いていかれた。これが俺が知っている裏の昔話だ」


 勝の話しを恵奈は頭の中で反芻し、おそるおそる自分の考えを口にする。


「ずっと同じカードを使い続けたからこそ、それができた。先生はそう言いたいんですか?」


「…………少し違うな」


 勝はまた視線を水平線の向こうに移す。そしてそれを追うように恵奈も視線を移した。


 その視線の先に答えがある気がして。


「ガキは……信じ続けたんだ。自分のカードを、自分の想いを。だから、たとえ自分よりも強い相手と戦っても怯むことも、恐れることもなく、自分の戦いに集中できた。他の奴らが言う戦術なんてのは、そのガキが試合中に編み出したただの処世術に過ぎない」


「でも…………私にはそんなこと、到底できませんよ……」


「できる」


 きっぱりと恵奈の言葉を否定する勝。それに驚いた恵奈は勝の顔を見つめた。


 勝は変らずに海の向こうを睨んでいるが、その瞳は震えることなく、しっかりと何かを見定めていた。


「俺はお前のことなら知っている。お前が何故この遊学に来たのも、何故カードが好きなのかも。そんなお前なら分かるはずだ。俺が言いたいことが」


「……………………」


「ふぅ……ガラにもなく喋りすぎたな」


 そう言うと勝はイカダから海岸に上がり、恵奈に背を向け歩き出す。


「明日、必ず勝て。そうすれば、お前の想いは本物になる。その時こそが、カードバトラーとしてのお前の本当のスタートだ」


 それだけを言い残して勝はその場を離れていく。


 その後ろ姿を見届けて恵奈はまた漆黒に染まった海とそこに寂しく浮かぶイカダ。


 そして、その上に立つ自分の姿を見た時、見慣れない袋が置いてあることに気付いた。


 そして明日、この袋の中身に翻弄されることを恵奈はまだ知らない。

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