ひょっとこ踊り
そんなある日、ソラはダイチと乗っている時に、急に腰を上げてダンシングをやってみようという気持ちになった。
ソラは何やらピョコピョコとぎこちない動きを始めたかと思うとケラケラと声を出して笑い出した。
「全然出来ねー。何だかひょっとこ踊りをやってるみたいだ」
そんな事を言いながらケラケラケラケラ、笑いながらおかしなダンシングを繰り返している。
ダイチはそれを見ながら、つられて声を出して笑っていた。
「ソラ、ひょっとこ踊りなんてやった事あるのか? ピョコピョコ飛び跳ねてる小鹿みたいで、中々可愛いダンシングだ! また女性ファンが増えるぞ!」
初めて二人に自然な笑いが出ていた。
「バカにしないでよ。オレ、真剣にやってるんだから!」
トレーニング後、ソラの身体を診ながら真崎が言ってきた。
「今日何かいい事あった?」
ソラは笑った。
「いい事なんて無いですよ。ぜーんぜん出来なくて。何か突然、ダンシングが出来そうな気になってやってみたんだ。そしたらひょっとこ踊りやってるみたいに全然ダメで笑っちゃったよ。ダイチさんにもバカにされるし、散々だった」
「いつになく嬉しそうじゃないか」
真崎が言うとソラは「そう?」と首を傾げた。
真崎はほんのかすかな喜びをソラの身体に見出していた。
「ソラ、オレが待ち望んでいた物が、ソラの背中にほんのかすかに現れたぞ。嬉しそうにしてる。背中が。ほんの少しだけ。オレはこのかすかな喜びが膨らんでいくように毎日気を入れてやるから、ソラも絶対に消すなよぉ」
「え?」
ソラはキョトンとした顔を真崎に向けた。
「見えるんですか? オレには分からない。笑いながら乗ったから? 背中はそんな事で喜ぶの?」
真崎も不思議そうな顔をになった。
「んー? オレにも分からないよ。そんな事は。でもそういう感じがするのは確かなんだぁ。なあ、ソラ。明日乗るのがちょっと楽しみだって思ってないか?」
「ん? 確かにそれはあると思う。ひょっとこ踊り、明日はもう少し上手くやりたいって思う」
「それそれ。ソラ、無理に頑張ろうとするんじゃなくて、そういう気持ちを身体も待っていたんだと思うんだぁ。
それから、動かないのはしょうがないんだけど、どこがどういう風に動きたがっているか、感じながら走って、それを伝えてほしいんだぁ」
「わかりました。何かちょっと上手くいきそうな気がしてきた。ありがとうございました!」
真崎に上手く暗示を掛けられたかのように、明日乗るのが待ち遠しくて堪らなくなった。やっぱりダンシングは全然出来なくて、思うように身体は動かなかったけれど、身体の動きを感じ取りながら、決められた最長時間いっぱいいっぱいを乗るようになった。
「肩甲骨が動かないんです。こう、クックックって行ったら脚の方もガッガッガッて行きそうなのに。背中の角度が変っていうか、もう少しクッてしたいのにクニャックニャってなっちゃって」
ソラの表現はいっつもこんな感じで、一般の人には分かり難いだろうけど、真崎にはよく分かる。
「そうだ。明日、プールに行こう。ダイチも連れて、ここから三十分位で行けると思うから乗っていって、プールで身体動かして、また乗って帰ってくる。オレは車で付いていくから」
真崎がそう言うと、ソラはちょっとびっくりした顔をした。
「え?自転車以外の事、取り入れるんですか? 他の運動で筋肉付けるのはタブーなのかって思ってた」
真崎が説明する。
「筋肉付けるんじゃないんだ。自転車に乗った時の感覚を大切にしながら、動かしたい所を水中で動かすようにしていくんだ。水中でやる運動には色々メリットがある。今のソラの身体は水中の方が動かしやすいと思う」
真崎は身体に刺激を入れるタイミングをとても大切に考えている。
それは理論的な物ではなくて、微妙な感覚なのだが、身体を触っていると、たまにその身体が欲している声が聞こえると言う。そのタイミングを逃すと、その声は聞こえなくなるし効果もなくなると言う。
ソラはそれを聞いて何か上手くいくかも、と楽しみになった。
バイクでの身体感覚を持って、水中で動かし、そのままバイクに繋げるという一連のトレーニングは良い効果をもたらした。
次第に体力も付いていき、少しずつ力も入るようになり、乗る事が本当に楽しくなっていった。ひょっとこ踊りも上級の域に達し、かっこよくなってきた。ペースは相変わらずゆっくり、サイクリングペースで乗っているが、三月になり、暖かな日が増えてくると、ソラの走りはぐんと良くなり、トレーニング量も増やしていけた。
毎日真崎がしっかりと身体を診て、悪い兆候が見えた時はしっかりと休養を入れさせた。
怪我の周辺はすぐに硬くなりやすく、入念な施術は欠かせなかったが、水中トレーニングも上手く併用して、少しずつ階段を上っていった。
少なくとも、今年はレースには出ないと決めている。ロード選手としての身体を取り戻す事が目標だ。じっくりと焦らずに。
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