ステップアップ(プロ八年目)

憂鬱

 スペインに戻り、早速自転車に乗ってみる事にした。エルゴメーターではゆっくり三十分漕ぎ続ける事が出来るようになっていたので、初日はダイチと最長十五分と決めた。

 ソラは一年前の手術後の事を思い出していた。あの時は手術後、一ヶ月間みっちり体幹トレーニングに費やし、久々に自転車に乗れて本当に嬉しかった。あの時もダイチさんが一緒に乗ってくれて、涙を流して喜んでくれた。毎日乗れる一時間が楽しみで仕方なかった。

 あんな風に感じられるかな? とワクワクしていた。と、同時に不安も感じていた。あの時の身体と今の身体は全然別物になっているからだ。

 ダイチも同じだった。


 ソラは一人で乗り出せるかな? ダイチはとりあえず、ソラがやる事を黙って見ていた。壁に捕まって、ゆっくりとバイクに跨ると、スッと漕ぎ出した。

「さすが、ソラだ」とホッとしてダイチも漕ぎ出した。ソラはゆっくりと一つ一つ確かめながら漕いでいるようだったので、ダイチは声を掛けず、しばらく黙って二人で漕いでいた。取り敢えず普通に漕げている感じだが、ソラに笑顔は無い。一年前のあの嬉しそうな姿と対照的で、ダイチは心配になった。

「痛むのか?」

 ダイチが尋ねるとソラは「大丈夫」と答えた。

「嬉しくないのか?」

 ソラは無表情のまま答えた。

「嬉しいよ。でも一喜一憂しないって決めたから。今日は初日だし、これ位にしておく」

 そう言って、来た道を引き返した。

 宿舎に戻りダイチが「降りれるか? 支えようか?」と聞くと

「自分でやってみる」と言って壁を使って上手く降りた。

「やっぱり外はいいな。ありがとうございました。明日またお願いします」

 少し笑って中に入っていった。ダイチは変だな? と思っていた。無理矢理笑顔を作っているように見えた。


 ソラはシャワーを浴びて、真崎に身体を見てもらった。

「あんまり嬉しそうじゃないな。上手くいかなかったのかぁ?」

 真崎の問いにもソラは淡々と答えた。

「嬉しいよ。でも一喜一憂しないって決めたから。順調な滑り出しだと思います」

 真崎はソラの身体の活性化を願って、気を込めて施術を行った。全然嬉しそうな身体に感じられなかったし、真崎の気が入っていくような感触も無かった。

「ソラ、一年前の手術後みたいに乗れるはずはないんだよ。時間はかかるって言ったろ? ゆっくりじっくりやっていこうなぁ」

 自分にも言い聞かせるように真崎は語りかけた。


「わかってます。明日からもよろしくお願いします」

 作ったような笑顔に真崎も少し心配になった。


 ソラは分かっているつもりだった。この身体で気持ち良く乗れるはずはないって。でもやっぱり昨年の記憶があったから、少しは期待してしまう自分がいた。乗り出して、やっぱり「楽しい」「嬉しい」っていう感覚は無かった。

 自分を鼓舞して、勢いで、色んな人達に復活を公言してきてしまった事を少し後悔している自分がいた。石山先生や高松さん、タケルの顔が浮かんできた。オレの事を信じて応援してくれている人達の為にも頑張らなきゃいけない。ダイチさんや真崎さんにも弱味を見せない、そう思っていた。


 十五分乗れなかったので、ダイチに了解を得て、夕方少し室内でローラーに乗った。純粋に乗りたいという気持ちではなく、少しでも早く「乗りたい」と思うようになりたいという気持ちが強かった。


 あまり進展が無いまま、そんな日が三週間程続いていた。

 チーム員達がトレーニングに出掛けていく姿、戻ってくる姿、疲れきった様子を見るのは辛かった。

 ダイチもソラと約束した時から本格的に自分のトレーニングにも精を出していた。ソラを気遣って気づかれないようにやっている事が余計に辛かった。


 何となく世間の批判の目も気になっていた。もう使い者にならないだろう選手にいつまでお金を賭けているんだ、みたいな。

 チーム内においても、ダイチさんや真崎さんがオレの為に割いている時間が多いのを、良く思っていない選手がいるのも伝わってくる。

 アハラがソラが淡々とリハビリする姿をしっかりと見続けていて、心配して時々声を掛けてくれるのも本当は辛かった。それでもソラは顔に出さないように作り笑顔でやり過ごしていた。

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