マッサーの話
【五ヶ月ぶりにペダルを回せた! 病院のエルゴメーターだけどね。
何なんだろうな? ただペダルを回すっていうだけの動作が、何でこんな幸せな気持ちにさせてくれるんだろう? もう無理かもって思っちゃった時もあったけど、ずっと応援し続けてくれてる皆さんのおかげでです。本当にありがとう!】
手術前は、腿を引き上げようとすると背中に痛みが走って、歩くのも足を引き摺るようにしてたし、エルゴメーターを漕ぐ事が出来なかった。
手術の翌日、ベッド上で脚を動かされて、手術前なら背中に痛みが出て出来なかった動作をされても痛いのは背中じゃなかった。股関節も硬くなっているから上手く上がらなくて、側から見たら変わらないように見えるだろうけど、オレの中ではちょっといい感じがしていた。
股関節を動かしても背中に痛みが走らなくなったので、ストレッチや柔軟、マッサージを受けながら少しずつ可動範囲を広げていく事が出来、遂にエルゴメーターまで漕ぎ着ける事が出来たのだ。
ペダリング運動が出来るようになった事で、ソラの身体は日に日に驚く程の改善を見せ、主治医の石山を唸らせた。
石山は当初は、ソラを半年程ここに入院させ、リハビリも行っていく事を考えていたが、もう少ししたらスポーツ選手としての専門的なリハビリを開始出来そうだと考えた。
ソラとダイチと相談し、一月から二ヶ月間、ナショナルスポーツパークで、リハビリと基礎トレーニングをみっちり行うという計画を立てた。ナショナルスポーツパークは、あらゆるスポーツ競技のナショナルチームや強化選手が、リハビリや科学的トレーニング、合宿などを行っている施設だ。
選りすぐられたトレーナーに指導を受けられる。
今は運動する筋肉がほぼほぼ無くなっている状態なので、基本的な筋力を付ける事が第一だと考えた。
ダイチがその事を、スペインにいるチームマッサーの真崎に伝えると、真崎は「少し待ってほしい」と言ってきた。この後、日本に帰国する予定があるが、調整して出来るだけ早く帰って、一度ソラの身体を見たいのだと。
真崎にしか見えないと思える身体の見方、それをダイチはこれまで驚きの目で見てきた。理論的な物ではないが、彼の感覚は鋭い所を突いてくる。これは何かあるに違いないと感じ、真崎を待った。
真崎はすぐにやってきて、ダイチと一緒に石山ドクターに挨拶に行き、早速ソラの身体を診る事にした。
ソラの病室で二人になると、久々の再会に会話が弾んでいた。連絡は取り合っていたが、ソラは話したい事が沢山溜まっていた。
「そろそろ、身体ちょっと見せてもらおうかなぁ」
真崎がそう言うと、ソラは少し浮かない顔を見せた。
「仕方ないな」
着ていたトレーナーを脱ぎ、その下のTシャツに手を掛けながら言った。
「オレの身体見て、真崎さん泣かないでね」
ソラが悲しげな顔を真崎に向けたので真崎は笑った。
「泣かないさぁ。これまで長年色んな選手の身体触ってきて、泣いたのは一回だけしかないから。まだあの時は若かったしなぁ」
ソラはTシャツに掛けていた手を離し、目を大きくした。
「え? 一回泣いたんですか? えー、聞きたいな。何で泣いたんですか? 誰? もしかしてダイチさん?」
真崎は話す事をためらったが、何となく話したくなった。
「ダイチだよ。あいつがプロになって三年目位だったかなぁ。初めてツールに出て三週間走り終えた日、オレはレースを見に行っててゴール後に会えたんだ。ちょっと身体きついから診てほしいって言われて、その日の夜、宿舎で診てやったんだ。ダイチの身体見たのは一年ぶり位だったなぁ。
ダイチって、いっつもレース後でもけろっとした顔してるだろ? まだまだ幾らでも走れます、みたいな感じで。あいつの筋肉、いつもレース後でもそんなに硬くならないんだ。
それがさぁ。あの時、あんなダイチの身体初めて見たんだ。何回か派手に転んで、結構傷だらけだった。相当無理して我慢して走ってたんだろうなぁ。筋肉のバランスも崩れてガチガチになってる筋肉もあった。よくこんな身体で最後まで走り切ったと思った。全然辛さなんか顔に出さないでさ。ここまで酷使された身体を見て、ダイチの生き様に感動しちゃってさぁ。オレも、もっともっと頑張って、こういう選手達を少しでも楽にさせてあげたい、いいパフォーマンスを引き出す助けになりたいっ思ったんだ。若かったなぁ。それで泣いた。でもそれで泣くのは卒業した。この事はダイチにも言ってないんだぁ」
ソラはしみじみと聞いていた。やっぱりダイチさんは凄い。知れば知るほど凄い人だって思う。
「じゃ、お願いします。とりあえず上だけ脱げばいい?」
「ああ。上脱いで、ベッドにうつ伏せになって」
まだ脱ぐのも、ベッドに横になるのも時間が掛かる。真崎はしっかりとその動きを観察していた。
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