谷(プロ七年目)
ドーフィネ
この年のツールにソラを出場させる事は予定に入れられてなかった。しかし、ソラの状態が急激に良くなってきたので、少しだけ視野に入ってきた。
そしてこの一年間で急成長を遂げたアラハは今年の出場はほぼ間違えないだろう。
ツールの前哨戦、一ヶ月前の八日間のステージレース「ドーフィネ」にソラとアラハが出場する事になった。
ドーフィネには昨年のツールのマイヨジョーヌ、レオナードも出場していた。レオナードはソラが復活してきた事を自分の事のように喜んでくれた。ソラはちょくちょく連絡は入れていたが、直接会うのはイタリアでお世話になった時以来だ。
「レオナード、あの時は本当にありがとう。ここまで来れたよ。まだまだ勝負には絡めないし、山あり谷ありかもしれないけど、ツールに出場出来る可能性もあるんだ。三週間はさすがにまだ出させてもらえないと思うけど。
ここに来るまで色々あったけど、もっと若かった君が三年もかけて復活して、ツールの王者に上り詰めて、本当に凄い事だって改めて感じたよ。オレも負けないように頑張るから」
ソラがそう言うと、レオナードは照れ臭そうに笑って「くれぐれも無理するなよ」と言った。
第六ステージ。
その日は二つの一級山岳を越えて下りきって一キロ平坦を走ってゴールという設定だった。
一つ目の山で十名の逃げが出来、そこにソラとアラハが入った。総合タイムが既に五分以上遅れている選手達ばかりだったので、集団は追わなかった。二つ目の山の頂上手前で、この日絶好調だったアラハがアタックし、これまた調子の良かったソラが続き、二人が後続を少し離して山頂を通過した。
二人共下りは得意だ。もしかしたら、このステージでワンツーの可能性も出てきた。
先頭を交代しながら下りを攻めていた。久々のこの感覚。レースでしか味わう事の出来ないスピード感満点のダウンヒル。アラハが先頭、ピッタリとソラが付いている。リズムも合っていてこの感覚は堪らない。
下りも中盤を過ぎた時、タイトコーナーでほんの少しアラハのブレーキのタイミングが狂った。
アラハの前後輪が同時に滑り、アラハが倒れた。ソラがそれに突っ込むように宙を舞った。
アラハは地面に倒れながら、ソラが宙に舞うのを見ていた。
ソラが‥‥‥すまない。どうかオレよりも軽症であってくれ‥‥‥、初めてそんな風に思った。ずっとずっと、いつもいつも、あいつを
地面に横たわるソラを見て、軽症では無い事を悟ったアラハは目の前が真っ暗になった。
ソラは地面に横たわりながら、すぐに手と足を少し動かしてみた。
最悪の事態は免れたと思った。しかし、これまでに感じた事のない強い衝撃を感じていたので、最悪の次ぐらいに酷い怪我をしてしまったかもしれないと思っていた。この場所を動かなくちゃと思ったけれど、自力で動く事などとても出来なかった。
二人を追っていた選手達がスローダウンしながら二人を追い抜いていった。その後ろに続いていた審判車と逃げていた選手達のチームカーが急停車し、ミヤビズーランドのチームカーからダイチとメカニックが飛んできた。
「ソラ! アラハ! しっかりしろ!」
二人共意識はしっかりしているように見える。
ダイチがソラの横に来て座った。
ソラの言葉が先に出た。
「オレは大丈夫だから‥‥‥、大丈夫だから」
ソラは小さな声で、「大丈夫だから」と繰り返していた。
審判者が旗を振り、集団にスピードダウンを促し、その場所をゆっくりと集団が通過していった。
救護車からドクターが降りてきて二人の状態を確かめている。ソラは身体を固定され、二人共担架に乗せられて救護車に運ばれた。
「アラハ、大丈夫か?」
救護車に乗せられる時、ソラが小さな声で言った。
アラハは「すまなかった」と言いたかった。「オレは大丈夫だけど」と言いたかった。それなのに声にならなかった。ショックで声が出てこなかった。
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