手術
少し時間は掛かると言われていた。来年のツールには間に合わないだろうけど、時間をかけてしっかりリハビリしていけば、またツールを走れるような身体に戻せる可能性は高い、と。
ソラは石山ドクターの話を聞いて、何の迷いも抱かなかった。見出せなかった希望の光がはっきりと見えた。自分の身体を治す為に、多くの人に大きな力を貸してもらっている。絶対に復活してみせると心に誓った。
プロになってから、日本には一度も帰っていない。かれこれもう五年になる。日本に持っていく荷物は最小限にしたが、ライオンは持っていった。こいつには見守っていてほしかった。
暮れも押し迫った頃、手術は無事に成功した。ソラは石山ドクターも驚く程の回復と改善を見せていた。手術の痛みと傷の痛みが癒えると、これまで悩ませ続けられた嫌な痛みが消えている事にソラは驚いていた。まだベッド上から動く事が出来ないのに、毎日ニコニコしている。いつもライオンが見守っている。
「痛みが消えました! すぐにでも自転車に乗れそうな気がする!もう治ったんじゃないかな?」
本当にそんな風に思ってしまう程だった。
最低一ヶ月は軽いリハビリしか行えない予定だったが、一週間で立位歩行訓練に入り、負荷無しでエルゴメーターにも乗れるようになり、体幹トレーニングを少しずつ始める事が出来た。怪我前に行っていたトレーニングと比べたらママごと遊びのような物を必死にやっている感じだが、少しずつ出来るようになっていく事が堪らなく嬉しかった。
一ヶ月間、みっちりとリハビリをし、ソラはスペインに戻った。スペインでも体幹トレーニングに多くの時間を費やし、室内トレーニングのみで外を走る事は我慢していた。
三月。遂に外で走る許可が降りた。ダイチが一緒に走った。
こんなに嬉しそうなソラを見た事がない、とダイチは思った。クイーンステージを獲った時も、マイヨジョーヌを着た時も(ライオンを貰ってキスした時は同じ位嬉しそうだったかな?)、山岳王になった時も嬉しそうだったけど、こんなに純粋な喜びが溢れ出る感じではなかった。こいつは自転車に乗る事がどれだけ好きなんだろう? ここまで我慢してきた事、ここまで来れた事を思うと涙が出てきた。
ソラも涙ボロボロ流してるだろうな、と思って顔を見ると意外な事にそこに涙は無かった。
「あれ? ソラ泣かないのか?」
ダイチがそう言うとソラはダイチの顔を見て笑った。
「あ! ダイチさん泣いてる! ありがとう。オレはね、涙をコントロール出来るようになったんです。悲しい事、苦しい事があり過ぎて、その度に泣いてたら醜くい悲惨な顔になっちゃうでしょ?
だから、もう泣き虫ソラは卒業したんです!」
ホントかよ? ソラがそんな風に言うとオレは余計に涙が溢れてきちゃうじゃないか。
ダイチは涙を拭いながら、必死に笑顔を作っていた。
一ヶ月間は負荷はかけず、サイクリングのようなペースで最長一時間。少しでも痛みが出たら止める事。自転車で出来るトレーニングはそれだけだった。
たったそれだけでも、ソラは見違えるように元気になった。痛みなく乗る事が出来る。一日のうちにたった一時間そんな時間があるだけで、毎日明日が来る事が待ち遠しくて仕方なかった。地道なリハビリや体幹トレーニングさえも、ぐっと楽しくなり、一層力が入った。
アラハはそんなソラを遠くからいつも見ていた。こんなに嬉しそうに自転車に乗る人を見た事がない。こんなに自転車を好きな人を他に知らない。ソラの強さの一番の秘訣はそこなのかもしれないと思っていた。
昨年のツールの最終週からソラが不調に陥って、オレは今がチャンスだって思って必死にトレーニングしてきた。少しは強くなったけど、この調子じゃまたソラにすぐ抜かれてしまう。くそ〜、頑張らなきゃ。今年こそオレはツールに出るんだ。ソラがツールのチャンピオンになる前に、絶対オレがチャンピオンになるんだ。
アラハはチームに入れてもらいたくて、深井に話した以外は誰にもそんな事は言わないけれど、心に秘めている思いはずっと変わらない。
三月は上手くいった。
四月から、ソラは少しずつトレーニング的に乗り始めた。
難しいのはここからだ。負荷をかけると違和感や痛みが出てくるのは承知の上だ。どこまでなら大丈夫か、やり過ぎないように最大の注意を払う。良い時も有れば、悪い時もある。上手くいく時も有れば、上手くいかない時もある。上手くいき続ける事は無いと分かっているから、ソラは一喜一憂する事はなくなった。焦らずにじっくりやると決めている。
ソラは一回りも二回りも成長したとダイチは感じている。精神的に
四月、五月と暖かくなっていく気候と比例するように、ソラの身体もよく動くようになり、小さなレースにも出場出来るまでに回復した。
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