怪我を負って

 翌朝、ソラはダイチの部屋に来て「今日は完走を目指して走らせて下さい」と言った。

 相当痛いんだろうなと思ったけれど、ダイチは「おお、頑張れよ」とだけ言った。


 最後尾からスタートして、集団の一番後ろでしばらく走っていると、前から下がってきたライバルチームのレオナードが声を掛けてきた。

「よお、オレもさ、散々色んな失敗してきたから気にするなよ。早くしっかり治せよ。後半の山岳でまたエースを勝たせる為のアシスト勝負しようぜ」

 僕はそれを聞いて、レース中であるというのに不覚にも涙を流してしまった。慌てて手で拭ったので、レオナードには気づかれなかったと思うけれど。


 ソラは三日間、痛みに耐えて走り抜いた。休養日明けにはだいぶ楽になったので、今チームの為に出来る仕事を少しずつやっていった。またボトル運びからだったがチームの為に走れる事が嬉しかった。

 毎日二百キロ近い距離を走りながら怪我を回復させていくなんて、一般人から見たら尋常じゃない。

 しかし、これがプロの世界だ。ソラは日に日に回復し、最終週に入るとほぼ完治したように走れるようになった。

 痛みを堪えてチームに尽くすソラを見て、チーム内でのソラへの信頼も戻り、ソラがアシストに徹する事で一週目にあった変な緊迫感も無くなっていた。


 プティは複雑な思いを感じていた。ソラの怪我はチームにとっても痛手であり、ソラにとっても気の毒だと思ったが、自分を脅かす存在がいなくなってホッとしていたのは事実で、そんな風に思ってしまう自分の心の小ささを嘆いていた。

 プティはここ数年、フランスチームの中の絶対的エースであり、フランス人として、国民の期待を一身に受けて走り続けている。

 様々な重圧を感じながら色んな感情を抱き、でもどんな感情を持ったとしてもそれを心の奥にしまい込んで、エースとしての自覚と責任を持って走っている。

 そして、エースとして信頼出来る選手であるからこそ、ダイチもソラも身を粉にしてエースのアシストをする事が出来ていた。


 色んな思いはあったが、山岳の厳しいステージが多い三週目に、ソラのアシストを受けられる事はプティにとって本当に心強いものだった。

 ベルチャを勝たせる為のレオナードとプティを勝たせる為のソラのアシスト対決は見る者を唸らせた。


 最終日、パリシャンゼリゼ通りに入る迄のパレード区間でレオナードとソラは暫く話し込んでいた。

「またやられちゃったけど、レオナードとのアシスト対決、楽しかったな。僕が大失敗して身も心もボロボロになってた時に、君が励ましてくれたのが本当に嬉しかったんだ。ありがとう」

 ソラがそう言うと、レオナードは笑った。

「あの怪我から、よくここ迄走れるように戻したな。凄いよ。オレも楽しかった。近いうちにもっと楽しい対決をしようぜ。ソラとのエース対決楽しみにしてるよ」

 ソラは嬉しかった。

「うん、オレも楽しみにしてる」

 そう言った。


 初めて自分の事をオレと言った。まあ、英語だから僕もオレもmeだけど、何となくレオナードはいつもオレと言い、僕は僕と言っていた気がする。この時、レオナードがオレと言っているのに僕が僕と言ってたら、初めから負けてるような気がした。だから僕もオレって言う事にしたんだ。

 エース対決か‥‥‥

 だけど、僕はエースになんかなれるんだろうか?


 総合結果としては、ベルチャが二連覇を達成し、健闘したプティが二位となり四年ぶりに表彰台に戻ってきた。


 パリでの表彰式が終わり、ホテルに戻ると、もう夜は遅かったけれど、ダイチの部屋でダイチとソラはお疲れ様会を開いた。ソラは三匹のライオンを持ってきて、部屋には四匹のライオンが並んでいる。


 ソラは十月にならないとお酒は飲めない。今日位、二人でワインを少し飲んでもいいかな? と思ったけれど、それはもっといい日に取っておく事にして、ジンジャエールで乾杯する事にした。


「お疲れ様でした!」

 声を合わせてグラスを合わせた。

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